【映画】「14歳の栞」感想・レビュー・解説

衝撃的な映画だった。何かでたまたま存在を知って、よく分からないまま観に行ったんだけど、マジで観て良かった。なんだこの映画。

僕が何に衝撃を受けたのか説明するのに必要なので、まずはどんな映画なのか説明しましょう。

舞台は、埼玉県春日部市にあるとある中学校、2年6組。修了式まであと50日、というタイミングから映画が始まり、クラスメート35名全員を一人ひとり掘り下げながら、「中学2年生、14歳の一瞬」を切り取っていく映画。

何が驚いたって、撮られる側の14歳たちが、カメラの前で「フラット」に「赤裸々」に存在している、ということ。

「フラット」「赤裸々」とカッコに入れたのは、「僕がそう判断した」ということを強調するためです。実際に彼らが、カメラがない状態の彼らと同じであるかどうかを判断する術はありません。カメラが存在することでいつもよりはしゃいでいる人もいるかもしれないし、逆にいつもより大人しくなっているかもしれません。その判断は僕にはできないし、大前提として、「カメラの存在を無視して素でいる」というのはなかなか難しいことだと分かっているつもりです。

それでも僕の目には、彼らが「フラット」で「赤裸々」であるようにしか見えませんでした。そのことが何よりも衝撃だったのです。僕としては、「これがドキュメンタリーだってのは嘘です。全員演技してもらってます」と言ってもらう方が全然リアリティがある気がします。彼らがあまりにも、カメラというものの存在をほとんど意識せずに振る舞っているように見えて、それは何も考えなければ「ナチュラルな14歳の姿」という風にしか見えないんだけど、ふと「今この場面には、この場面を撮影している大人が混じってるんだよな」と思うと驚かされるし、そのことを踏まえて考えた時、「14歳の栞」という形で見せられたこの映画が、あたかもフィクションであるかのような気もしてしまうのです。

マジでどうやって撮ったんだろうなぁ。

映画では、学校以外の場面もあります。クラスメートの男女がショッピングモール的なところでデートをしていたり、下校途中でバレンタインのチョコレートを素早く渡したり、ホワイトデーのお返しを買いにいったり、そのお返しを相手の女子の家まで届けに行ったりします。

自分が14歳だった時のことなんてもうほとんど覚えてないけど、そんな場面を撮られてもカメラが存在しないかのような振る舞いができるもんなんだなぁと感心させられてしまった。

映画を観ながらずっと考えていたことは、これは「撮影スタッフが凄い」のか「今の中学生は大体こんなもんなのか」ということです。

前者であれば、納得感はあるんですよね。どういうやり方をしたのか分からないけど、撮影スタッフが色んな形でコミュニケーションを取ったり存在感を消すような振る舞いをしたりして、普通には撮れないような密着を成立させている、ということなら、それはそれで凄いことだけど、納得感はある。

後者の可能性も、無いではないよなぁ、とは思う。例えば、僕の時代だと「あいのり」とかだけど、いわゆる「リアリティーショー」みたいな番組は以前よりも多くなっている印象があるし、YouTubeなどでも「日常の生活を配信する」みたいなのはたぶん当たり前になっているだろうと思う。だから、そういうのを見て育った世代は、「日常の生活を晒していくことにそこまで抵抗がない世代」なのかもしれない。

とは思うのだけど、それでも、35人も生徒がいてその全員が同じような感覚なんだろうか?もしそうだとしたら、それはもう、今の小中高生は大体そういう感覚を持っているんだろう、ということになる。

スタッフが凄いのか、今の子供たちがそういう世代なのかは結局なんとも分からないところだけど、撮影対象になっている2年6組には、「密着して映像を撮影する」という点で難しいだろうなぁ、と感じる点が他にもあった。

一つは、車椅子の生徒がいること。僕自身には障害を持つ人にそこまで偏見はないつもりでいるけど、取り上げ方次第では「障害を持つ人をこんな風に扱って」と批判が出る可能性がある。

もう一つは、不登校の生徒がいること。不登校と言っても、教室に来ないだけで、さわやか相談室という保健室みたいなところにはいるみたいなんだけど、これもまたデリケートな問題だと思う。

でもこの映画では、どちらについても他の生徒と同じようにフラットに扱っていく。障害を持っているからちょっと美談にしようみたいな意思はもちろん感じないし、不登校の子に対してどんな風に感じているのかをクラスメートに普通に聞き取りもしている。

とにかく映画を観ていて感じるのは、「2年6組の生徒をなんらかの枠組みに嵌めて捉えるのではなく、そのままを映し出そう」という制作側の意図みたいなものだ。映画の冒頭で、

【ある中学校の2年6組の35人の日常をありのまま捉えた、2年生が終わるまでの50日】

というような字幕が出るのだけど、本当にまさに「ありのまま」という言葉がしっくり来る映画だった。

ホントに、良くこんな映画を撮ったもんだなぁ、と思う。

恋愛的な部分の撮影を普通にしていたことも驚かされたのだけど、それは、いわゆる「リア充」的な人たちの性質もあるかもしれない、と考えることもできる。しかし、クラスの中心的な存在ではない生徒の内面も引き出しているところが凄かった。

一番驚いたのは、「早く大人になりたい?」という問いに対して、

【なりたいです。今の仲間と離れられるから】

と答えていた女の子。すげー、って思った。

だって、その発言を、普段仲良くしている友達が後で知る可能性が十分あるわけだ。もちろん彼女だってそんなことは分かっていて発言している。それが凄い。

その子は、クラスの中心的な存在ではないけど、別に友達がいないわけでもないし、一人になって浮いてるわけじゃない。けど、小学3年生から6年生が終わるまでそれまで仲良かった人から一斉にハブられた、みたいな経験があり、人間を信用していない。6年間一緒にいたってそうだったんだから、中学の3年間で他人なんか信頼できるわけがない、とカメラの前で言い切るんですね。

彼女は、撮影スタッフから「出来るなら友達になりたい?」と聞かれて、YESと答えるのだけど、でもそれを既に諦めている。「裏のない人間なんているはずないし」という風に割り切っている。

いや、もちろん、そんな風に思っている中学生なんて山程いると思う。でもそれを、カメラの前で話すってのが凄い。撮影スタッフから、「◯◯ちゃんとかと仲良いと思うけど、人間関係リセットしたいって思ってるって知ったら傷つかない?」みたいなことを聞かれて、「うーん、傷つくかも。でも◯◯ちゃんはキラキラした人生を送ってるから」みたいな言い方をするんだよなぁ。なんかすげぇロックだなぁ、って思いました。

他にも面白い子はたくさんいた。例えば文芸部所属の女の子は、「部活の時はオンで、教室ではオフです」という話を単独のインタビューの中で話す。それはいいんだけど、その後撮影スタッフから、「今(このインタビュー)はオンオフどっち?」と聞かれてダルそうに「オフです」って答えるんだよなぁ。

「自分のことは嫌いです。何かあったら好きになれてたかもしれないですけど」という女の子や、「みんな小学校からの仲で、僕には居場所がないから、早くクラス替えしたい(その後、気分が変わったのか、あと一ヶ月ぐらい続けばいいのに、と言っていた)」という男の子、「できるなら子供からやり直したい」という女の子など、「カメラの前でそんなこと言っちゃえるんだ」と感じる子がたくさんいた。発言そのものは、人間関係に悩む中学生だったらありふれたものかもしれないけど、それを、他のクラスメートに知られることになるかもしれない形でカメラの前で話してるのが驚きだった。

また、ホントにマンガに出てきそうな感じの「ザ・パソコンオタク」みたいな少年も面白かったなぁ。川辺でMacをいじって(よく分かんないけど、自作した何かの機械でGPSとの接続を試みてたっぽい)、将来は宇宙を研究する人になりたい、と言っていた。撮影スタッフが彼に、「運動部の子とか強いじゃん?ムカッとすることないの?」と聞くと、

【ムカッとしたら負けなんですよ。そこら辺のゴミには適当に遊ばせとけばいいんですよ】

と言ってて、メッチャクールだなぁ、と思った。彼が僕に興味を持ってくれるかはともかく、友達になりてーって思った。

しかしそんな彼も、別にクラスの中で上手くやれてないわけではなくて、みんなとはしゃいだりする。その一方で、男子から「キモいから近づくな」みたいに言われたりする。撮影スタッフから「(研究みたいなことして)からかわれたりしない?」と聞かれると、

【そういう奴らと関わりたくないんですよね。ああいうのって、反応してほしいだけなんですよ。だから反応しちゃったら負けなんです】

みたいな風に言って平然としてる。そんな風に、自分が好きだと思える確固たるものを持ってて、周りからどう言われようと動じない、みたいな生き方には憧れる。

映画全体の中での取り上げられ方は短かったけど、「でも、私がここにいることでクラスの雰囲気が良くなるんだったらよくないですか?」みたいに言ってる女の子がいて、その発言にはメッチャ共感したなぁ。僕も、そんな風に考えちゃう人間だった(まあ、今でも)ので。

不登校の男の子に対してもスポットライトが当たります。まず驚いたのは、不登校という状態にありながら、カメラでの撮影は許可されている(さすがに勝手に撮ってるとは思えないので)し、なんなら単独インタビューにも応じてること。

そして、クラスメートにも彼のことを聞き、「最初は気にしてましたけど、いないのが当たり前になってきちゃったんで、失礼ですけど最近はあんまり考えることないです」みたいな反応を引き出している。これは発言した人の性格にもよると思うけど(とにかく喋ってないと死んじゃう、みたいな女の子の発言だったはず)、よくもまあそんな素直に自分の感覚を口にするものだなぁ、と思う。

この映画は、冒頭で何故か馬の誕生の場面から始まって、「どんな生物でも子供から大人になる瞬間がある」みたいなナレーションで始まる。映画のテーマでもあるのだろう、生徒たちに、「どんな大人になりたい?」「どんな大人になりたくない?」「将来の夢は?」というような質問をしていく。「犯罪者にはなりたくない」「社畜は嫌だ」「ロボットクリエイターになりたいって思ってたけど、諦めました。14歳じゃもう遅いです」「人の内臓を見たいから看護師になりたいです」など興味深い回答が様々にあった。

映画全体は、特にこれという方向性もないし、なんらかの結論を感じさせるようなものでもない。恐らく制作側は、「とにかく自分たちの存在が、彼ら14歳たちの日常の振る舞いに影響を与えないように」という点に細心の注意を払って、ひたすら追い続けたのだろうと思う。

そして、主張らしい主張のない映像の連なりを観てきっと、多くの人はそれぞれに感じ入ることがあるだろう。この映画の公式HPには、「あの頃、一度も話さなかったあの人は、何を考えていたんだろう」と冒頭に書かれている。これは、「彼ら」の物語ではなく「あなた」の物語だ、ということを示唆しているのだろう。僕自身は、この映画を観て、自分のことは特に考えなかった。子供の頃には戻りたくないとずっと思っているので、過去を懐かしむような気持ちにもならない。僕にとっては「彼ら」の物語でしかなかったけど、それでもあまりの衝撃に驚かされっぱなしの映画だった。

良いものを観たなぁ。

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