【映画】「私は確信する」感想・レビュー・解説

良いか悪いかはまずともかくとして、予告とかポスターでイメージしていた映画とは全然違ってびっくりした。

予告やポスターなどで出てくるフレーズは、

【ヒッチコック狂の”完全犯罪”と物議を醸した未解決事件。実話を基に映画化、仏で40万人動員の大ヒット裁判サスペンス】

である。そもそも僕が、ヒッチコックの映画をほぼ見たことがない、というのも悪いとは想うのだけど、なんとなくヒッチコック映画に対するイメージはある。で、この映画では、事件の詳細があまり描かれないので、何がヒッチコックなのかよく分からない。

恐らくだけど、この「ヒッチコック」というのは、フランスで実際起こった事件がそう呼ばれているというだけの話で、この映画そのものはヒッチコックとは特に関係ないんだろう。

まあ、それは別にいい。僕が映画を観ていてずっと疑問だったのは、「この裁判はどうして行われたんだろう?」ということだ。ある意味で、この奇妙さが、ヒッチコックっぽい、ということなのかもしれないけど。

しかし、この奇妙さを説明するには、映画で扱われている事件の説明をしないといけないので、まず内容紹介をしよう。

シングルマザーで一人息子を育てるノラは、息子の家庭教師に来てくれるクレマンスのことを案じていた。彼女は、父親ヴィギエの控訴審を控える身なのである。10年前の”事件”で、一審では無罪判決が出た。しかし、陪審員のいる裁判では異例なことに検察が控訴したため、再び裁判が行われることになっている。
それは、奇妙な事件だった。10年前、ヴィギエの妻スザンヌが突如行方不明になった。そして結局、控訴審の時点でも、彼女の生死は判明していない。スザンヌが死んでいるという証拠もなければ、殺人が行われたという形跡を警察が見つけているわけでもない。
では何故ヴィギエは逮捕、起訴されているのか。それは、スザンヌの愛人であるデュランデの証言にある。デュランデ自身や、デュランデの周辺人物(たとえば、ヴィギエ家のベビーシッターなど)から、「浴室で血を見た」などという、ヴィギエを疑わせるような証言が様々に出てきたのだ。物証も自白もまったくない中、唯一、スザンヌの愛人周辺から様々な証言が出てくる。そんな事件だ。
ノラは一審の内容をまとめたレポートを、敏腕弁護士であるデュポン=モレッティに読んでもらい、弁護を引き受けてもらおうと考えた。一度は断られるが、ある条件を引き換えにノラの依頼を受けることになる。
それは、10年越しにようやく表に出てきた、250時間にも及ぶ通話記録の文字起こしをしてくれ、というものだった…。
というような話です。

さっきも書いたように、正直最後の最後まで、どうして起訴されたのがというのが謎だった。そこがあまりにも謎すぎて、他の要素が頭に入ってこない。何故、これで裁判が成立しているんだろう?まだ、一審は理解できなくもない。見切り発車で起訴してしまったのかもしれない。でも、手元にある情報では、有罪に出来るはずがない、と気づかなかったのだろうか?

と僕は思うのだけど、物語は非常に不思議な展開を見せる。途中で弁護士は、「有罪を覚悟しろ」とまで言うのだ。ずっと見てたけど、どうしてあの裁判の流れで被告人が有罪になる確率が上がっているのかが、僕には全然理解できなかった。

自白があるなら、まだ分からないでもない。死体も物証もない、でも自白だけあるという場合に、検察が「でも自白したんだぞ」と言って追い詰めていくのはまだ分かる。しかしこの事件、自白もないはずなのだ(ただ冒頭で、「ヴィギエは事件から7年後に出頭した」という字幕が出た。その意味がよく分からない)。いずれにしても、裁判の中で、「ヴィギエが自白した」というような展開には一度もならなかったから、自白はなかったんだと思う。

その辺りのことがどうも見ていてしっくり来なくて、物語をうまく捉えきれなかったなぁ、と思う。

ノラは非常に良いキャラクターだった。無実だと信じる相手を助けたいという想いと、シングルマザーとして生活を成り立たせないといけないという現実の狭間でかなり苦労する人物で、法廷ドラマはちょっとしっくりこなかったけど、ノラの物語は良かったと思う。ただ、映画のラストで、「ノラの人物像はフィクションです」と字幕が表示された。これが、「ノラのような人物はいたけど、キャラクターが違う(例えば、シングルマザーではないとか)」という意味なのか、あるいは「ノラのような人物はそもそも存在しなかった」という意味なのかはちょっと分からない。

あと、公式HPを観て驚いたのは、弁護士役の俳優は、実際に弁護士なんだそうだ。役者もやっている弁護士らしいのだけど、本業の役者の方だと思ってたから驚いた。

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