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【本】ルトガー・ブレグマン「隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」感想・レビュー・解説

『初めに少しばかり歴史の授業を。
そう、昔は、すべてが今より悪かった。
ほんのつい最近まで、ほとんどの人は貧しくて飢えており、不潔で、不安で、愚かで、病を抱え、醜かった、というのが世界の歴史の真実である』

そんな一文から本書は始まっている。本書には、様々なデータが載っており、過去と現在との比較によって、現在がいかに豊かになったのか、ということが明らかにされる。
しかし、そんな豊かな時代に、足りないものがある。

『ここでは、足りないものはただ一つ、朝ベッドから起き出す理由だ』

『わたしたちは有り余るほど豊かな時代に生きているが、それは何とつまらないことだろう。フクヤマの言葉を借りれば、そこには「芸術も哲学もない」。残っているのは、「歴史の遺物をただ管理し続けること」なのだ』

あぁ、分かる、と感じる人は多いだろう。様々な指標から、現代人は豊かだと示されている。しかし、まさにその世界に生きる僕ら現代人には、その計り知れない豊かさに感動を覚えない。GDPが増えているので景気は上向いています、と言われても、大半の国民がそれを実感できない、というのと同じような話だろうか。違うだろうか。
ともかくも、僕たちは、豊かではあるのだけど、幸せだという実感が持てないでいる。
ユートピアを思い描くことが、出来ないのだ。

『ユートピアがなければ、わたしたちは進むべき道を見失う。今の時代が悪いと言っているのではない。むしろその逆だ。けれども、より良い暮らしへの希望が持てない世界は、あまりにも寂しい』

『この時代の、そしてわたしたち世代の真の危機は、現状があまり良くないとか、先々暮らしぶりが悪くなるといったことではない。
それは、より良い暮らしを思い描けなくなっていることなのだ』

そこで本書では、豊かになりすぎた現代人に、僕らの未来にあるはずのユートピアを描き出す。それが本書の最大の目的だ。

『そもそも、このアイデアを世間に真剣に受け止めてもらうことからして非常に難しいのだ。わたし自身、それを痛感した。この三年間、わたしはユニバーサル・ベーシックインカム、労働時間の短縮、貧困の撲滅について訴えてきたが、幾度となく、非現実的だ、負担が大きすぎると批判され、あるいは露骨に無視された』

著者が提唱することは、確かに無謀に思える。現代に生きる僕たちには、無理なんじゃないか?と思えてしまうようなものだ。しかし、巻末の解説の文章が僕らに、著者の提案が現実のものになる可能性を与えてくれるのではないかと思う。

『「週十五時間労働、ベーシックインカム、そして国境のない世界」。いずれも、夢物語としか聞こえないという批判と無視と沈黙の中で、ブレグマンは言う。
奴隷制度の廃止、女性参政権、同性婚…。いずれも、当時主張する人々は狂人と見られていた、と。何度も、何度も失敗しながらも、偉大なアイデアは必ず社会を変えるのだ、と』

確かに、本書は、その可能性を与えてくれる一冊だ。
アイデアは、アイデアだけでは現実に影響を与えることはないし、何も変えはしない。アイデアに賛同する者がどれだけいて、さらにそのアイデアに沿った行動をする者がどれだけいるかが重要になってくる。そういう意味で、本書で描かれていることを「ユートピア」だと感じられる人にとっては、本書を読むことはその実現を加速させる一助になる、と言えるだろう。読んでその実現を信じることが、新しい世界の扉を開く鍵となるだろう。何よりもまず、荒唐無稽だと思わずに著者の主張に耳を傾けるべきである。

著者が主張していることは、大きく分けて三つある。

◯ユニバーサル・ベーシックインカム
◯労働時間の削減
◯国境の解放

そしてこれらに絡めて、他の話題も登場する。例えば、労働時間の削減は、積極的な施策としても有効だが、今まさにAIによって人間の仕事が奪われているという状況があり、外的要因からそうならざるを得ない、という状況でもあるのだという話。また、上記3つは人間生活に豊かさをもたらすのだ、ということが様々な実験などで証明されているのだが、じゃあそもそもその「豊かさ」とはどう図られるのか、GDPの正体は一体何なのだ、という話。あるいは、ベーシックインカムや労働時間の削減によって、人類は過剰な余暇を手にすることになる。その余暇にどう向き合うのかというのが、今後人間が向き合うべき最大の危機なのだ、という話。そういう様々な方向に話が繋がっていく。しかしここでは、この3つをメインで取り上げていこうと思う。

ユニバーサル・ベーシックインカムというのは、簡潔に言えば、「すべての人に一定の金額を直接渡す」というものだ。全国民に、例えばひと月に10万円なりを無条件で支給する、という仕組みだ。使い道を限定しないフリーマネーを、アルコール中毒の人やニートにもあげる、というものだ。

ベーシックインカムの議論は前からあるが、僕はその細かな内容を知らなかった。ベーシックインカム、と聞く度に、そんな膨大なお金がどこから生まれるのだろう?という疑問が先に生まれ、それ以上思考してみることがなかった。

しかし様々な実験によって、フリーマネーを与えることが貧困の撲滅にとても有効な手段であることが明らかになっていった。

『すでに研究によって、フリーマネーの支給が犯罪、小児死亡率、栄養失調、十代の妊娠、無断欠席の減少につながり、学校の成績の向上、経済成長、男女平等の改善をもたらすことがわかっている』

これは僕たちの直感に反する結論に思える。
これまで様々な社会実験が行われてきた。その多くは、貧困層を対象としたものだ。貧困層に、なんの目的で使ってもいいお金を渡したら、酒やギャンブルなんかに使ってしまうのではないか…。

『貧しい人々がフリーマネーで買わなかった一群の商品がある。それは、アルコールとタバコだ。実のところ、世界銀行が行った大規模な研究によると、アフリカ、南アメリカ、アジアで調査された全事例の82%で、アルコールとタバコの消費量は減少した。

さらに驚くべき結果が出た。リベリアで、最下層の人々に200ドルを与える実験が行われた。アルコール中毒者、麻薬中毒者、軽犯罪者がスラムから集められた。三年後、彼らはそのお金を何に使っていただろう?食料、衣服、内服薬、小規模ビジネスだ。「この男たちがフリーマネーを無駄に使わないのだとしたら」、研究者の一人は首をかしげた。「いったいだれが無駄に使うだろう?」』

僕たちの直感には、「貧しい人々は怠惰だ」という思い込みが横たわっている。日本でもよく起こる議論だ。ホームレスや生活保護受給者は怠けている、というような。当然、そういう人間もいるだろう。しかし、少なくとも、これまでに行われてきた様々な実験は、「貧しい人々は怠惰だ」という思い込みを覆す結果を導きだしてきた。

『貧しい人々は、フリーマネーを受け取ると、総じて以前より仕事に精を出すようになる』

他にもこのベーシックインカムには、様々な懐疑の目が向けられるのだが、過去繰り返されてきた実験からは、概ね良い傾向しか見られないようだ。

貧しい人々に対してはこれまで、教育や現物支給などという形で、膨大なお金を費やした様々な支援が行われてきた。しかし、それらがうまく効果を生み出さないのは、大きく二つの理由がある。

一つは、貧しい人々は、貧しいという理由でまともではいられない、という理由だ。

『貧困とは、基本的には現金がないことだ。愚かだから貧困になったわけではない』

『(他の様々な教育や施策が効力を持つためには)まずは、彼らが貧困線を越えなければならないのだ』

『では、具体的に、貧困はどのくらい人を愚かにするのだろう。
「その影響は、IQが13から14ポイント下がるのに相当した」とシャファーは言う。「これは、一晩眠れないことやアルコール依存症の影響に匹敵する」』

貧困であるが故に尽きない悩みに思考が取られ、長期的な視野が持てなくなってしまうことを「精神的バンドウィズ」と呼ぶようだ。貧しい人々にどんな教育を与えようが、まずはこの「精神的バンドウィズ」を越えなければどんな支援も意味をなさないということなのだ。

そしてもう一つは、もっとシンプルだ。

『「それに、実を言えば、貧しい人々が何を必要としているかが、ぼくにはよくわからなかった」。フェイは人々に魚を与えたわけではなく、魚の獲り方を教えたわけでもない。彼は、貧しい人々が何を必要としているかを本当に理解しているのは、貧しい人々自身だという信念のもと、彼らに現金を与えたのだ』

これを読んで、祖父母からのプレゼントを連想した。僕自身は、祖父母からどんなものをもらったのかという記憶はあまりないのだが、祖父母が孫に何かプレゼントをするという時に、相手側の需要を理解しきれずに結果的に不要なものを与える、という状況はよく起こるだろう。それよりは、お金をもらって好きなものを買った方がいい。まあ、プレゼントの場合は気持ちが大事だから、お金で、というのは身も蓋もないわけだが、支援なら、より効果のある方法を選択すべきだろう。

さてここまででベーシックインカムについてあれこれ書いてきた。しかし、おや?と思った方もいるだろう。今僕が書いてきたことは、貧困をベーシックインカムによって改善出来る、という話ではないか、と。ユニバーサル(すべての人への)ベーシックインカム、と言っておきながら、すべての人にどんな恩恵がもたらされるのか分からないじゃないか、と。

まあそれはその通り。しかしそれはある意味で仕方ないことだ。なぜなら、無条件ですべての人にベーシックインカムを与える、などという実験は、人類史上行われていないのだから、それを実現した時に何が起こるのかという話は、予想の域を出ない。

しかし、だからと言ってここまでの話が無駄になるわけではない。何故なら、研究によってこういうことが証明されているからだ。

『しかし、おそらく最も興味をそそられる発見はs,不平等が大きくなり過ぎると、裕福な人々さえ苦しむことになることだ。彼らも気分が塞いだり、疑い深くなったり、その他の無数の社会的問題を背負いやすくなるのだ』

『(オランダが行った、すべてのホームレスに家を無償で提供するという実験について)これは大成功を収めた。ほんの数年で、大都市の路上生活者の問題は65%解消した。薬物使用は半減した。恩恵を受けた人々の精神面と身体面の健康は著しく改善し、公園のベンチはついに空っぽになった。2008年10月1日までに、約6500人のホームレスが路上からいなくなった。そして、なによりも、(無償で家を与える施策を行い、これまで行ってきた路上生活者に対する様々な対策を講じる必要がなくなったことによって)社会が得た経済的利益は、投入した金額の2倍にのぼった』

僕たちは、自分たちが「貧しい人々」でなかったとしても、社会の中に「貧しい人々」がいることによって、何らかの形でマイナスの影響を受けている。直接的な影響もあるだろうし、間接的には、「貧しい人々」に何らかの対策をするための費用が税金から賄われている、という部分もある。様々な実験によって、「貧しい人々」に何らかの対策を施す費用よりも、直接お金を渡す方が、遥かに安上がりだ、ということが分かってきている。貧困を解消することは、貧困層にいない人にも良い影響を与えるのだ。

しかし、

『スティーンズランドに言わせれば、今日、すべてのアメリカ人へのベーシックインカムという考えは、「過去において、女性の参政権や人種的マイノリティの平等を求めるのが非常識とされたように」、到底考えられないことと見なされている』

らしい。これには、ニクソン大統領の影響も大きく関わっている。ニクソン大統領は1969年に、すべての貧困家庭に無条件に収入を保障する法律を成立させようとしていた。しかしその過程で、様々な行き違いがあり、結果ニクソン大統領の言動が、ベーシックインカムへの嫌悪感を植え付けることになったのだ。

この本を読めば、ベーシックインカムへの考え方が大きく変わるのではないかと思う。

さて次は、「働く」ということについて著者が何を言っているのかを見ていこう。このテーマに関しては、いかに労働時間を減らすか、労働時間を減らすと生産性が上がる、労働時間の減少による余暇の増大への対処など、様々な切り口があるのだが、僕が面白いと思ったのは、価値を生み出さない職業についての話だ。

『奇妙なことに、最も高額の給料を得ているのは、富を移転するだけで、有形の価値をほとんど生み出さない職業の人々だ。実に不思議で、逆説的な状況である。社会の繁栄を支えている教師や警察官や看護師が安月給に耐えているのに、社会にとって重要でも必要でもなく、破壊的ですらある富の移転者が富み栄えるというようなことが、なぜ起こり得るのだろう?』


『富の移転者』として著者が挙げているのは、ロビイスト・ソーシャルメディアのコンサルタント・テレマーケター・高頻度トレーダーなどである。銀行業務の一部も、富の移転でしかない、と著者は言う。

この「価値の創造」と「富の移転」の対照的な話として、ニューヨークのゴミ収集作業員とアイルランドの銀行員の話が出てくる。

ニューヨークのゴミ収集作業員は1968年に一斉にストライキを行った。ニューヨークの全市で、ゴミの回収がストップしたのだ。二日後、街はすでに膝の高さまでゴミに埋もれていた。ストライキから9日目、ついに市長は折れた。積み上がったゴミは10万トンにも上った。このストライキのお陰なのかどうか、本書でははっきりとは書かれていないが、現在ではニューヨークのゴミ収集作業員は人もうらやむ報酬をもらう、誰もがなりたがる職業になっているという。

一方、アイルランドの銀行員は1970年にストライキを行った。一夜にして、国内の支払準備金の85%が動かせなくなった。学者たちは、『アイルランドでの生活は行き詰まると予測した。まず現金の供給が枯渇し、商業が停滞し、ついには失業が爆発的に増える』という風に見ていた。しかし、結果的には、何も起こらなかった。銀行は半年間ストライキを続けたが、日々の生活にほとんど悪い影響はなかった、というのだ。

実に印象的なエピソードだと思った。

そして、こういう仕事の違いを踏まえた上で、著者はこんな風に問いかける。

『(高給だが富を移転するだけの職に就く)これらすべての才能が、富の移動ではなく、富の創造に投資されていたらどうだろう。わたしたちはとうの昔に、ジェットバック(背負ったジェット噴射で飛ぶ器具)を作り、海底都市を築き、がんを治療できていたかもしれない』

なるほど!と感じる指摘だった。確かにその通りかもしれない。有能な人材が、価値を生み出すのではなく、富を移転させるだけの仕事しかしていないから、思ったほど世の中は変わっていないのかもしれない。


『銀行が1ドル儲けるごとに経済の連鎖のどこかで60セントが失われている計算になる。しかし、研究者が1ドル儲けると、5ドルから、往々にしてそれを遥かに上回る額が、経済に還元されるのだ。(中略)
簡単に言えば、税金を高くすれば、有益な仕事をする人が増えるのだ』

有能な人間は、有能であるが故にどんな仕事にでも高い適性を示すだろう。であれば、より給料の高い職業に就くのが当然と言えば当然だ。しかし今の世の中では、「価値の創造」をする者より、「富の移転」をする者の方が給料が高い。であれば、有能な人材が「富の移転」に流れていくのは当然だといえるだろう。著者の、『税金を高くすれば、有益な仕事をする人が増えるのだ』というのは要するに、給料が高くてもその分税金も多く持って行かれるのだとすれば、「価値の創造」に流れる人が増えると期待できる、という意味だ。

著者は、教育にも目を向ける。現在の教育現場を著者こう見ている。

『すべての中心にあるのは、以下の疑問だ。―明日の求人市場、つまり2030年の市場で雇用されるために、今日の学生はどのような知識とスキルを身につけるべきか?
だが、それは、まさしく誤った問いなのだ。』

日本でも、産業界の要請によって、大学が職業訓練校のような立ち位置に成り下がっている、というような指摘がなされることがある。社会に出て即戦力となるような教育を産業界は大学側に求めているのだ。そして大学側も、就職率を高めるために、産業界からのそういう要請に応えようとする。
しかし、それはまさしく誤った考え方だと言えるだろう。

『そうならないために、わたしたちはまったく異なる問いを提示しなければならない。それは、2030年に、自分の子どもに備えていてほしい知識とスキルとは何か、というものだ。(中略)あれやこれやのくだらない仕事で生計を立てるために何をなすべきかではなく、どうやって生計を立てたいかを考えるのだ』

そして、その問いに答えることは、結局、どう生きるかを考える、ということなのだ。

『今世紀のうちに全ての人がより豊かになることを望むなら、すべての仕事に意味があるという信条を捨てるべきだ。合わせて、給料が高ければその仕事の社会的価値も高いという誤った考えを捨てようではないか』

この指摘は、自分の働き方を考えるきっかけになるのではないかと思う。

最後に、移民の問題について触れて終わろう。

トランプが大統領になって以降、自国ファースト、移民排斥の流れがより強くなったと感じられるようになった。移民を受け入れることは、自国民の仕事を奪うことに他ならないし、テロなどの無用なリスクも抱え込むことになる、という考え方がどんどんと広まっている。しかしこれに関しても様々な実験や検証が行われており、移民に対する様々なマイナスイメージは杞憂であり、移民を受け入れることで結果的に自国が豊かになる、ということが分かってきているのだという。

例えば、移民は仕事を奪うと思われているが、実際には雇用は増えるのだという。移民が増えることで消費も需要も増え、結果的に仕事の数が増えるからだ、と言う。移民により国内労働者の収入は微増するし、国境を開くことで移民は逆に母国へ帰還するようになるという。国境警備に大金を費やすより、積極的に移民を受け入れるべきだ、と著者は主張する。

『先進国全てがほんの3%多く移民を受け入れれば、世界の貧者が使えるお金は3050億ドル多くなると、世界銀行の科学者は予測する。その数字は、開発支援総額の3倍だ』

もちろん、良い事づくしというわけには行かないだろうが、どんな選択にもメリットとデメリットがある。移民を受け入れないという選択にも当然デメリットはあり、その比較によって判断されるべきだ。少なくとも本書は、移民受け入れのメリットと多少のデメリットを提示している。移民受け入れを反対する側は、同じようにして反論しなければ説得力を持たないだろう。

『誤解しないでいただきたい。豊穣の地の門を開いたのが資本主義であるのは確かだ。だが、資本主義だけでは、豊穣の地を維持することはできないのだ。進歩は経済的繁栄と同義になったが、21世紀に生きるわたしたちは、生活の質を上げる別の道を見つけなければならない。』

お金、労働、貧困、国境など、様々な問題に対して世界中の人間が考えなければならない問いを著者は突きつけ、著者なりの考え方を示した。あなたは著者が提示する問いに、どんな答えを頭に浮かべるだろうか?


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