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【本】山本甲士「はじめまして、お父さん」感想・レビュー・解説

自分の人生において、何を大事にしていくか、ということは、ある程度は明確に持っておいた方がいい、と僕はずっと思ってきた。

僕にとっては、「自由」だ。

僕は、色んな意味で自分を縛ったり制約したりするものが嫌いだ。もちろん、社会の中で一人で生きているわけではないから、完全に制約を無視することは出来ない。日本に住んでいる以上、否応なしに日本の法律には縛られてしまうし、あるいは、僕が男であること、背が高いこと、頭の中に映像を浮かべることが出来ないことなどは、僕個人の変えがたい属性なので、こちらも僕を制約する要因ではある。

しかし、そういうどうにもしようがないものを除いて、後は可能な限り制約から自由でいたい、と僕は考えている。束縛や制約をもたらすものは、基本的に自分の人生から排除したい、と思う。

例えば、「お金」について考えてみる。もし僕が、欲しいものややりたいことに溢れている人間であれば、「お金」というのはそういうものを手に入れたり実行したりする「自由」を得る最良の手段の一つだ。しかし、残念ながら僕には、欲しいものもやりたいこともさほどない。そういう人間にとって「お金」というのが、逆に制約になり得る。

お金を持つことによる制約は、色々想像出来る。お金を持つことで、お金を奪われたり詐欺的な被害に遭ったりしないように、知識を得たり相応の努力をしなければならず、そのために時間やお金が取られる。お金を目当てに寄ってくる人間が増えるかもしれず、そうなれば無駄に自分の時間が奪われることもあるだろう。お金を持っている人間であれば当然そうすべきとされるような行動(欧米では、お金持ちは慈善事業や寄付をするのが当然、という文化がある)をしなければならなくなるかもしれない。あるいは、お金を持つことで、自分が実行できる行動の選択肢が増え、それ故に何をするかを「選ぶ」時間が余計に掛かる、ということもある。

細かく挙げていけばまだまだ色々あるだろうけど、とにかく僕にとっては、「お金」よりも「自由」の方が大事なので、「自由」を縛り得る「お金」は過剰には持ちたくないな、と思ってしまう。

他にも、「家族」「常識」「地位」など、「自由」を制約する可能性のあるものはなるべく欲しくない。

そういう自分の芯みたいなものさえきちんと持っておけば、そこまで大きく人生を見誤ることはないだろう。しかし、自分が人生で何を大事にすべきなのか、はっきりと捉えきれていない人間は、人生のどこかで立ち往生してしまうことになり得るだろう、と思っている。

僕は、金持ちを目指すなとも思わないし、結婚するなとも思わないけど、金持ちを目指したり結婚したいと思ったりする人の中には、自分が本当に求めているものが何なのかきちんと捉えきれず、お金があったり結婚してたりすれば幸せでしょう、という世間の当たり前に流されている“だけ”の人もいるんだろうなぁ、という風に見てはいる。

もちろん、金持ちになったり結婚したりすることが、自分が求めているものと重なる人もいるだろうし、そういう人は何の問題もないんだけど、そうじゃない人がたくさんいるから、離婚する人がたくさんいるんだろう、と僕は考えている。

もちろん、失敗することで見えてくるものもある。だから、失敗することを悪いことだと捉えているのではないのだけど、自分自身のことをある程度ちゃんと捉えておかないと、意味のある失敗が出来ない、ということもまた事実だと思う。失敗が意味のあるものになるように、自分がどうだったら幸せなのかについて、具体的に考える時間を取った方がいいだろうなぁ。

内容に入ろうと思います。
白銀力也は、福岡に住むフリーライターだ。妻・優奈と息子・世界の三人暮らしで、まだ赤ん坊の世界の子育てに追われながら、優奈の営業力と力也の文章力とで、なんとか生計を成り立たせている。
スポーツ雑誌で、九州方面の取材があれば担当しますと言って取材を引き受けたり、地元のミニコミ誌で連載をしたり、時々公募の懸賞に応募したりなんかしながら、なんとか食っている。子育てで妻が働きに出れない現状で、なんとか生活が出来ているのは、少し前に日光書店主催の雑誌企画の公募で金賞をもらい、結構多目の賞金を手に入れたからだ。
その日光書店別冊編集部から電話があり、金賞を取った企画を月刊ニッコウで連載を始めたい、ついてはライターの一人としてお願いできないか、と依頼があった。もちろん断るわけもなく即断したが、その最初の取材相手に驚いた。
合馬邦人。時代劇などによく出演していた割と人気のあった俳優で、芸能人時代から居酒屋の経営も始めていた。それまでも女性スキャンダルなどは度々あったものの、それらとは比べ物にならないちょっとどデカいスキャンダルがあって、それを機に引退、居酒屋の経営に専念することになった。
実はこの合馬邦人、力也の実の父親なのである。合馬は編集部に、遠い親戚だ、と説明しているようだったが。そう、今回は合馬からライターを指名されたのだ。
何を考えているのか分からないまま、翌日早速合馬と会うことにした力也は、恙無く取材を終え、初めて会う実の父親と酒を酌み交わした。本当ならそれで終わるはずだったが、その後合馬から、しばらく自分に付き合ってくれ、とお願いされた。かつて合馬が関わり、様々な事情で謝罪したい相手のところを訪問したい、というのだ…。
というような話です。

やっぱり山本甲士、うまい小説を書きますね。さすがだと思います。本書は、実にシンプルな構成と物語で、時系列があっちこっち行ったり、視点人物が切り替わることもなく、合馬と力也が二人でロードムービーのように色んな人に会いに行く、という実に分かりやすい小説です。しかし、そんな分かりやすい構成ながら、丁寧に人間を描き、細かな部分で感情を揺さぶり、それほど深い設定の物語ではないにも関わらず、「どう生きるべきか」についてふと考えさせられてしまうような、そんな小説でした。

冒頭でも書いたみたいに、本書のメインテーマは「人生で何を最も大事にすべきか」です。合馬邦人という、芸能界で成功し、実業界でも成功を収め、後は海外に隠遁して余生を過ごそう、という人間にとっての「大事にすべきもの」と、そうではないごく一般的な人生を歩んできた人間にとっての「大事にすべきもの」の差みたいなものが浮き彫りになってきます。

「差」と書きましたけど、それは経済格差というのとは違います。ここが面白いんですね。合馬邦人と、合馬邦人が訪ねる人間たちの間にどんな「差」があり、その「差」がどんな風に合馬邦人を打ちのめしていくのか―ここがやはり読みどころですね。

僕は、悪人が登場しない小説って、どことなく胡散臭さを感じてしまう部分があるんですけど、本書は悪人らしい悪人が登場しないのに、いつも感じるはずの胡散臭さを感じませんでした。悪人を登場させないまま、ある種の対立関係を描き出して、そして実はそれが対立関係ではなかった、ということを示す(何を言っているのか分からないでしょうけど、読めば分かります)、という構成は見事で、基本的に良い人しか出てこないのに、よくもこんな風に物語に起伏を生み出せるな、と感心しました。

合馬と力也のキャラクター、そして二人の関係性も良かったと思います。合馬は自信家、力也は小心者とまったくタイプの違う二人で、様々な部分で考え方が食い違うのだけど、それでも生物学的には親子である、という点が二人を結びつけます。とはいえ、親子的な時間を過ごしたことはなく、今回の取材がお互いに初対面なわけだから、そういう部分ももどかしさみたいなものを描かれます。どう接すべきなのか、という葛藤を、特に力也の方が抱えていて、色んな場面で戸惑いながらも、少しずつ打ちのめされていく合馬に寄り添っていく。合馬も、実の息子の前で恥ずかしい真似は出来ない、という意識もあるのだろう、全編で基本的にシャンとした姿を見せながら、ふとした瞬間に表に出てきてしまう弱さみたいなものもある。

彼らの人生はまったくかけ離れた場所で展開されていたのだけど、合馬が力也を連れて4人の人間に会うことで、合馬と力也の間で心理的な逆転現象みたいなものが起こる。生きている時、自分の人生は正しかった、などと確信することはなかなか出来ないものだけど、自分の人生は間違っていた、と感じてしまう瞬間については、色々と想像出来る。合馬にとっては、図らずもそういう現実を突きつけられる旅路だったわけで、しかしそれでも、最終的には合馬にとっても良かったはずだ、と感じさせてくれる辺りがまた良いと思う。

シンプルながら、良く出来た物語だと思います。

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