【映画】「83歳のやさしいスパイ」感想・レビュー・解説

この映画、当初は観るつもりはまったくなかった。

というのは、”当然”フィクションだと思っていたからだ。映画館で予告を観た際も、フィクションであることを疑わなかった。

しかし、何かのテレビ番組でこの映画のことが取り上げられていて、そこで「この映画は、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にノミネートされた作品だ」と紹介されたので驚いた。

嘘だろ、と。

映画の設定だけ聞いても、とてもドキュメンタリーだとは思わないはずだ。

A&A探偵事務所は、新聞に求人広告を出した。それは、「80歳~90歳の男性」を募集するものだった。長期出張が可能で、電子機器が扱える方、という条件付きだ。よく分からないまま面接にやってきた者たちの中から、セルヒオという83歳の男性が選ばれた。彼はスマートフォンの使い方を教わり、ペンやメガネに仕込まれたカメラで撮影するように言われる。

そう、仕事は潜入捜査だ。セルヒオは、老人ホームへの潜入を命じられるのだ。

エルモンテ市の聖フランシスコ特養ホームに母親を預けている依頼人(この依頼人は、映画には登場しない)が、「母親が施設のスタッフに虐待されているのではないか」と心配しているのだという。そこで中に入り込み、その状況を調査することとなった。

さて、この映画の本編や、あるいは予告を観た人なら分かるだろうが、この映画では、「老人ホーム内にカメラが入り込み、セルヒオを撮影している」のである。そのこともあって僕は、「これはフィクションだ」と判断した。ドキュメンタリーだとしたら、そんなことが可能だとは思えないからだ。

さて、実際の撮影はこのように行われたらしい。老人ホームには「映画の撮影をする」と言い、施設内にカメラが入れる状態を作った。そして、セルヒオが老人ホームに入所する2週間前から撮影を開始し、老人ホーム全体を撮影しているという風に見せつつ、実際にはセルヒオを撮影する、というやり方をしたのだそうだ。

潜入したセルヒオは、「似たようなお婆ちゃんが多くて、依頼人の母親であるソニアを判別できない」とか、「潜入捜査がバレてはいけないのに、軽はずみな行動を結構してしまう」など、探偵事務所の人間からすれば困った言動も多かったが、与えられた任務をきちんとこなそうとする。

しかし、セルヒオが目にしたのは、入所者たちの「孤独」だった…。

というような話だ。僕がフィクションと判断したのも理解してもらえるだろう。

あと、恐らくだが、配給側がこの作品を「ドキュメンタリー」として押し出していない、という側面もあると思う。公式HPにも、「ドキュメンタリー」という表記は一箇所、「アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞ノミネート」だけであり、その「ドキュメンタリー」という文字も非常に小さくなっている。サイト全体を見ても、「実話」とか「実際にあった話」という表記はない。

一般的に「ドキュメンタリー」と銘打ってしまうと観る人が減るからだろう(僕は、ドキュメンタリーと言われる方が観たいと感じるタイプなのでよく分からないが)。

映画としては、まずまず面白かった。とにかく、セルヒオのキャラクターがとてもいい。非常に紳士的でユーモアがあって、知性と人間性を兼ね備えた人物だということが伝わる。誰に対しても誠実に接し、言うべきことはきちんと言い、しかし時には「優しい嘘」で相手を落ち着かせる。目的の達成のために前のめりになってしまうところとか、一入所者としてパーティーなどを楽しむ姿とか、なかなか面白い。

また、老人ホームの面々も、「セルヒオに恋する女性」「母親が迎えに来ないと嘆く女性」「記憶の断絶があるらしい女性」など、老人ホームの日常みたいなものを時に楽しげに、時に淋しげに体現してくれる存在が登場して、これもまたフィクションに思えてしまうような場面もある。

そんなわけで面白く観れる映画ではあるのだけど、僕にはどうしても解せない点がある。それは、この映画を観る前から抱いていた疑問であり、映画を観終わった今も結局解消されていない。

その疑問を一言で表現すれば、「依頼人なんて本当に存在するのだろうか?」ということになる。

僕が、この探偵事務所に「母親が虐待されているか調べてほしい」と依頼した依頼人本人だとして考えてみる。その場合、「老人ホームにカメラを入れて映画の撮影をする」なんていう条件を呑むはずがないのだ。

この依頼人は、「施設で虐待が行われている」と信じていて、その証拠を得るために探偵事務所に依頼をしているわけだ。しかし、その調査と同時に、老人ホームにカメラが入って映画の撮影が行われたら、「普段虐待している職員も、カメラがある期間だけは虐待をしないでおこう」と考えるのではないか。僕がこの老人ホームで虐待をしている職員ならそう考えるし、「虐待している職員がいるならそう考えるだろう」と依頼人だって考えるはずだ。

だから、「高齢の男性を老人ホームに潜入させて様子を観る」という計画に賛同はしても、「同時期に映画の撮影のためにカメラを入れます」なんて計画には賛同するとは思えないのだ。

じゃあ仮にこの探偵事務所が、「セルヒオを潜入させる」という計画だけを依頼人に伝えて、「同時期に映画の撮影をする」という事実を伏せていたと考えるのはどうか。しかしそれも無理があるだろう。映画を撮影するということは、いずれ公開することを考えているわけで、つまり、依頼人には絶対にバレる。バレないはずがない。なにせ、依頼人の母親であるソニアは、映画にちゃんと登場するのだから。知り合いが映画を観れば依頼人に耳に入るだろうし、少なくとも制作側はそのリスクを考えないはずがない。

というわけで、「依頼人が存在する」と考えた場合、この映画はどうにも整合性が取れないように感じるのだ。

だから僕は、「依頼人なんて存在しないのではないか」と考えた。つまりこの映画は、「実際に80歳~90歳の求人をし、スパイを担ってもらう人物を決めて老人ホームに潜入させたが、『虐待を疑っている依頼人』など実は存在せず、『スパイと称して老人ホームに高齢男性を送り込んだらどうなるか』という状況を描くドキュメンタリー」なのだ、と。

この考えにも色々と難点はあるのだが、少なくとも僕にとっては、「依頼人が存在する」と考えるよりはまだ理解できる気がする。

みたいなことが僕はどうしても引っかかって、この作品をどうにも素直に受け取れない部分があった。僕のように感じる人間は少ないみたいなんで、僕のような例外に合わせてもらう必要はないと言えばないんだけど、僕的にはもう少し、「どうしてこんな映画が成立したのか」という部分の説明が、映画の中でじゃなくても(公式HPでも)いいので、あったら良かったと思う。

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