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【本】阿部裕志+信岡良亮(株式会社 巡の環)「僕たちは島で、未来を見ることにした」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、島根県の隠岐諸島の中の島の一つであり、町ぐるみでの取り組みが全国的に注目を集めている海士町に、「持続可能な社会」を作る一員となるために、そしてそんな社会で稼いで生活し続ける実践者となるために、都会での生活を捨て、海士町で起業した二人の若者たちの、起業から5年間の戦いを描いた作品です。


海士町についての基本情報をまず引用しておきます。

『島根県の北60キロ、日本海に浮かぶ隠岐諸島の中の一つの島であり町である。
現在人口は2331人(2012年8月末現在)。年間に生まれる子供の数約10人。人口の4割が65歳以上という超少子高齢化の過疎の町。
人口の流出と財政破綻の危機の中、独自の行財政改革と産業創出によって、今や日本でもっとも注目される島の一つとなる。
町長は給与50%カット、課長級は30%カット。公務員の給与水準としては全国最低となる(2005年度)。その資金を元でに最新の冷凍技CASを導入。海産物のブランド化により全国の食卓をはじめ、海外へも展開する。
産業振興による雇用拡大や島外との積極的な交流により、2004年から11年の8年間には310人のIターン(移住者)、173人のUターン(帰郷者)が生まれ、島の全人口の20%を占める。新しい挑戦をしたいと思う若者たちの集う島となっており、まちおこしのモデルとして全国の自治体や国、研究機関などからの注目を集めている』

さてそんな町にやってきた二人だが、特に「株式会社 巡の環」の代表取締役である阿部裕志の経歴は凄まじい。京大卒でトヨタに入社し、そのトヨタを辞めて海士町にやってきたのだ。


二人共、都会での生活に疑問や違和感を抱き、自分がどう生きて行きたいのかというのをきちんと考え、情報収集をした結果、二人は別々に海士町にやってきて、そして知り合った。会社を設立することになったが、設立当初は意見が合わず衝突ばかり。そういう時期をどうにか乗り越えて、今ではどうにか食っていけるだけの稼ぎは得られているという。

そういう、起業から現在までの二人の来歴みたいなものも面白いのだけど、この感想ではそういう部分にはあまり触れない。


巻末で信岡良亮は、『そして、この本にちりばめられているエピソードのほとんどは、巡の環という会社がどうやってこの島のことを好きになっていったのかの歴史なのだと僕は思っています』と書いている。僕はそういう部分に触れたい。海士町という、外に向けて開けている(町長の方針である)珍しい島の存在と、そんな島に「日本の未来」を見出した若者たちが融合し、どのようにして様々な取り組みが生まれていったのか。


冒頭に、こんな文章がある。適宜省略しながら引きます。

『社会の変化は、いつも小さなきっかけから始まる。

その変化自体はとても小さくて、起こっていても、誰も気づかないかもしれない。でも、その変化は少しずつ広がって、いずれ僕たちの社会を変える。そして人を動かし、未来をつくる。

都会生活に疲れてのんびり田舎暮らしに憧れるわけでもなく、僕たちは、未来に可能性を投げかけられる自分でいたいがために、島に移住したのです。
そこに何があるのか。島では「あるもの」よりも「ないもの」を数えたほうが早いほどです。

でも、この島には日本がこれから経験する、「未来の姿」がありました。
それは、人口減少、少子高齢化、財政難…どれもネガティブなものばかり。しかし、よくよく考えてみると、この島が今直面している課題は、未来の日本に到来すると言われ続けている課題と同じなのです。

もし、そうした未来のコンディションの中で、持続可能な社会モデルをつくることができたら、それは社会を変えるきっかけになる。社会の希望になれる。

「この島で起こった小さなことが、社会を変えるかもしれない」


僕たちはそう信じて、自分の未来をかけて、この島の未来をいっしょにつくる担い手になったのです。そして、僕たちの行きたい未来をそこに見ることにしました』

なるほどな、と感じました。過疎の島という厳しい条件を、「日本の未来の姿」と捉え、そこで通用するモデルを探りだすことが出来れば、未来の日本の社会にも通用する何かを見出すことが出来るのではないか、と発想して移住する。これを聞くだけで、攻めの姿勢で島に移住したのだということがハッキリ伝わってきます。


阿部裕志は、海士町に攻めの姿勢でやってくる人が多い理由を、こんな風に分析しています。

『僕は、ここまで海士が、”攻める”若者を引き込むのは、海士が大きな未来へのビジョンを持っていることと、関わることのできる”余白”が残されていることにあると思っています』

また、島という限られた人間関係の社会では、こういう側面もあると指摘します。

『そして、動きが手に取りやすい社会の利点は、何か一部で変化が起こったときに、それが社会全体にどんな影響を及ぼすか推測しやすいということです。それと同時に小さな社会では、どこかで起きた何かの社会変化の影響がすぐに自分にも降りかかってくるため、他人事でいられることが少なくなっていく。社会と自分の関係性が想像しやすく、自分の役割が明確になるのです。
他人事であることが何もない社会。
それはつまり、誰もが他人のことを自分のことのように感じられる社会でもあります。
もちろんそれは、煩わしいことと表裏一体です。
その一方で、問題を他人事にして放っておくということは、この島ではあり得ません。
もちろん、何もかもではありませんが、社会問題をみなが自分のことのように考えて解決まで持っていくことができる。
小さな社会である島は、みなが社会で生活する人であると同時に、社会をつくる人であるわけです。だから、変化に対して対策を講じるスピードも自律的で早くなっていく

大きな社会は大規模な流通ができたり、巨大な利益を出すことに優れている文、こうした変化に対する危機予測・対応が生活者レベルで素早く共有することが難しい』

確かに、それはやりがいがあるだろうなぁ、と思います。もちろん、大変なこともとても多い。でも、社会が小さいからこそ、そしてそれ故に皆が社会問題に取り組むからこそ、わずかなアクションが、わずかな発想が、問題解決に直結する可能性がある。それは、「やりがい」や「社会を変えたい」という気持ちを持っている人には、とても魅力的に映るはずだろうなと思います。


岩本悠もその一人。彼は、阿部裕志や信岡良亮たちよりも以前から海士町に移住していてまちおこしに関わっていた。彼は、学生時代の世界放浪の旅を綴った『留学日記―20の国を流れたハタチの学生(幻冬舎文庫)』を出し、またソニーに勤めながら世界で学びの場づくりを展開するというバイタリティを持つ男だ。

『なぜ海士町へ来ることを決めたかと聞かれれば、ひとつは「時の利」。海士町は、人口減少、超少子高齢化という、これから日本社会全体が直面していく重要課題の最先端にあった。今ここでの課題を解決していくことは日本の未来を切り拓くことに繋がっていくと思ったのと、ちょうど海士町自信が危機感の中で変わろうとい動き出すタイミングにあったからだった。
二つ目は「地の利」。島という、海によって外界と隔絶された”半クローズド”な空間性と、小さくてもその中に社会システムがまるごと入っているという間欠性により、海士町は社会の縮図に見えた。そのため、「ここでの地域づくりが持続可能な社会づくりのモデルになる」と思えた。

三つ目は、「人の利」だった。地域への想いや志を持ちながら、異質なモノを受け入れるキーマンが海士町にはたくさんいた。この人たちとだったら一緒にやれそうだと感じた』

また阿部裕志には、現在世界中を覆い尽くそうとしている「グローバル化」へのこんな危機感も露わにしている。

『狭義のグローバル化というのは、価格意外の情報に鈍感になっていくことを招きかねません。何かを選ぶということは、本来前提として自分が好きなもの、大切にしたいものは何かと知ることなしにはできないはずです。それが価格情報だけでアッサリ選べてしまう。これは均質化のもたらす危険だと僕は思います』

そういう中で自分たちに一体何が出来るのか。「株式会社 巡の環」が事業のメインとして捉えているのが、「島の学校」という発想です。これは元々、海士町に旅に出かけた信岡良亮が、その際に持っていった企画書が原型となっています。頼まれてもいないのに、外から来た若者がやりたいことを書いた企画書を持っていく。そして島の人も、「やりゃあいいだわい」と言ってくれる。『島に来てもらって、島まるごとを使っていろんなことを体験し考えて、そして自分にとって人生の次の一歩を見つけて島を卒業していける』という構想を、彼らは着実に実現していくわけです。


「株式会社 巡の環」のスタイルは、「島のことを学びながら稼ぎ、稼ぎながら学ぶ」というスタイル。「島の学校」において、二人は先生ではなく、先達の実践者、つまり先輩という立ち位置。彼らも共に学びながら、島全部を好きになって、そうやって人を繋いでいき、お金を稼いでいく。

『僕は田舎のような地域社会では、雇用がないことこそが解決すべき問題だと確信したのでした。
都会にはエコロジーや持続可能社会について学ぶ機会は豊富にあるけれど、それが実践されるための雇用が田舎には不足している。田舎の雇用不足が、田舎と都市の良好な関係を阻害するボトルネックだと分かったのです』

だからこそ彼らは、『自分で稼いで雇用を作る』ということを目標に、その実践者たろうと日々努力をしているわけです。海士町の町長も、『巡の環は、海士に仕事をしにきたのではなく、仕事をつくりに来たというのが大きな特徴だね』と彼らを評価する。

この町長がなかなか凄い人なのだ。本書には、島民やIターン者など多くの人へのインタビューも載っているのだけど、町長のインタビューも載っている。

『プロジェクトなりイベントなり、何かやりたいと本気で考えている人というのは、最終的には熱意だけで成功に導いていく。金ではない。そう信じているからこそ、何かやりたいという人には、情報提供だけは惜しまず、本気の気持ちで応えようと思っている。』

『今は外から来た人の活躍が目立つけれど、将来は島前高校の生徒たちが先輩を見て、活躍していくことを夢見ている。
とはいっても、こっちで育てはしない。あくまえも強い戦力として、戦線に加わってほしいと思っている。この前も地元出身の大学生が「役場に入りたい」と言ってきたけれど、それはだめだとつっぱねた。ただ帰ってきて役場に入りたい、ではなく、海士で何かをやりたいという強い気持ちを持って帰ってきてほしい。戦力にならない状態で役場に入ったとしても、職員には育てる時間がない。みんなそれだけ一生懸命に戦っているのだ』

こういうリーダーがいるからこそ、革新的なことができるし、批判もないわけではないようだけど、外からの来る人に魅力的に見える「何か」を与え続けられるのだろうな、と思う。


島での生活のエピソードも色々載っていて、なんだかとても楽しい。「野菜はもらうものだ」というような、物々交換が未だに基本ベースだったり、「おすそ分け」という文化によって気持ちまで与えるような想いやりが残っていたり、「毎日楽しいけど、不安なのは老後だ」と言ってしまうような76歳のおじいちゃんがいたりと、僕らが生活している日常とはまったく違う時間・風景があるのだなぁ、と想像させてくれる。


最後にもう一つ、これは素敵だなと思ったエピソードを。


阿部裕志は、会社を支えるこんな発想があるのだ、と書く。

『数値化不可能な”想い”を交換して、ビジネスになる。』

そして、これを丸ごと象徴するようなエピソードが書かれている。


阿部裕志は大学時代、ひょんなことからある人物と出会う。出会った時はその人物のことを知らなかったが、後で知って驚愕することになる。今、京都で最も予約が取りにくい店として知られる「草喰なかひがし」の店主である中東久雄だったのです。


その中東さんに、海士の牡蠣を使ってもらえないかと話を持って行き、仕入れてもらえることに。巡の環は、お金の流れを一切ごまかすことなく説明し、ある金額を提示しました。すると、

『中東さんはふんふんと頷いて、一言、「それじゃあ、阿部さんの利益にならんでしょう。私はこの額で買わしてもらう」と言いだしたのです。その額は、僕たちの利益相場の3倍以上でした。』

その後、別の料亭にも仕入れてもらえることになり、そのタイミングで値下げの交渉(値下げの交渉、って凄いですけど)をし、値段を下げてもらったらしいのだけど、凄い話だなと思いました。これは特殊な商売の一例だと思うのだけど、こういう関わりあいは、なんだかとてもいいなぁという気がします。

僕の最近の興味の関心がこういう方向に向かっているので、僕自身はとても興味深く読みました。恐らく、こういうことに関心を持つ人は、結構いるのではないかと思います。何かやりたいけど、何が出来るのかわからない。そういう人は、とりあえず本書を読んでみてはいかがでしょうか?


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