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【本】中村計「勝ちすぎた監督 駒大苫小牧幻の三連覇」感想・レビュー・解説

高校野球には、特に興味はない。

今年は、秋田の金足農が甲子園を大いに沸かせた。夜のニュース番組を適当に見流していただけだからちゃんとは分からないけど、公立高校で下馬評が高いわけでもない高校が、何度も奇跡の逆転劇を演じ、決勝戦では、「最強世代」と呼ばれる大阪桐蔭と対戦し、敗れはしたが、秋田を中心に甲子園は大いに盛り上がった。大阪桐蔭が優勝の報告を朝日新聞本社で行った様子をテレビで見たが、大阪桐蔭の監督(だと思う)が、金足農のお陰で盛り上がってくれた、という発言をしていた。勝者の余裕とも受け取れるが、しかしある種の本音でもあるだろうと思った。

本書は、そんな高校野球にまるで興味のない僕でさえ知っている、実に37年ぶりという決勝戦再試合という伝説的な物語を戦いきった両校の内、駒大苫小牧を描くノンフィクションだ。ハンカチ王子こと斎藤佑樹率いる早実と、マー君(と当時呼ばれていたかは知らないが)こと田中将大率いる駒大苫小牧が演じた死闘は、激闘の末、早実が勝利をもぎ取った。これにより、駒大苫小牧は3連覇の偉業を逃したが、これを「2.9連覇」と称賛する声の方が多いようだ。

なにせ、夏の甲子園の2連覇でさえ、(当時)57年ぶりの快挙だったのだ。

『香田(※当時の駒大苫小牧の監督)の恩師で、元駒澤大学の監督である太田誠に、「日本球界の偉業といったら何だと思う?」と聞かれたことがある。そのとき太田は、私が答えるよりも先に「俺は川上・巨人の九連覇と、駒大苫小牧だと思う。それぐらいすごいことだぞ」と語ったが、私もまったく同感だった』

何故そこまで称賛されるのか。もちろんそこには様々な背景があるが、最も大きな理由は、「雪国のジンクスを吹き飛ばした」という点にあるのだろうと思う。

『2004年時点で春夏通じ一度も全国制覇を達成したことのない都道府県は全部で17地域あったが、うち14地域は日本海側、およびいわゆる雪国と呼ばれる地域だった』

そして甲子園においては、『悲願の(優勝旗の)白河越え』という表現がなされる。東北・北海道地域に優勝旗が渡ったことがない、ということで、どこがその「白河越え」を成し遂げるのかは、毎年注目されていたのだ。

それをやってのけたのが、香田誉士史だ。本書は、高校野球の本ではあるが、内容はどちらかといえば、香田誉士史の一代記、というようなものになっている。ともかく、色んな意味で破天荒で規格外の人物なのだ。


と、香田の話に移る前に、もう少し駒大苫小牧の優勝がどれほど凄かったのか、今度は一般大衆の反応から感じ取ろう。

『MHKテレビで放送された決勝戦の札幌地区における瞬間最高視聴率は46.2%を記録し』

『「日刊スポーツ」は昼過ぎから再び輪転機を回し、翌日も、コンビニや駅売店で<昨日のスポーツ紙あります>という張り紙を出し、一日遅れの「新聞」を売った。新聞の増刷など聞いたことがない』

『私の知り合いでたまたま帰省した日に新千歳空港のテレビで駒大苫小牧の優勝の瞬間を目撃し、勢い東京の会社を辞め、郷土の会社に再就職したという人もいた』

甲子園なんかどうでもいい、と思っている僕にはうまく理解できない反応だが、しかしやはり、一般的には甲子園というのはお祭りであるようだ。話は変わるが、今日人から聞いて驚いた話がある。僕は今東北地方に住んでいるが、秋田県ではない。しかし、市内の飲み屋で、「金足農が勝利したので、今日は全品タダ」という飲み屋があった、と聞いた。なんだそりゃ?と僕は思うが、東北という括りで、やはりテンションが上がってしまったのだろう。秋田県ではない地域でもこうなのだから、秋田県はどれだけ盛り上がったことか。そして恐らくだが、そんな今の金足農フィーバーを遥かに凌ぐ盛り上がりを、駒大苫小牧は生み出したのだと思う。

本書が面白いのは、香田という男の毀誉褒貶が余すところなく描かれている、という点だ。たとえば本書のあとがきに、こんな記述がある。

『話はやや逸れるが、香田に事前にこの原稿を読んでもらおうと思った。人格者然と振る舞ったり、ことさら自分を着飾ったりすることのない香田のことだから、少々の不名誉は気にしないだろうと思った。ただ一点、確認したいくだりがあった。体罰を加えていたことを、はっきりと書いた部分だ。私は香田の本質を語る上で欠かせない要素だと思ったからこそ書いたのだが、香田の今後の指導者人生に影響しかねないエピソードでもある。だから、香田がどうジャッジするかを聞いておきたかった』

これに対して香田は、『問題ない。事実だから』とあっさりOKした。そんな感じで、本書には香田のマイナス面も多々描かれるが、しかしそこも含めて人間として魅力的ではある。

選手の一人は、こんな発言をしている。

『原田に香田の体罰に対して憎しみを覚えたことがないのかと問うと、こう答えた。
「感じますよ。だって、理不尽じゃないですか。でも好きか嫌いかって聞かれたら、やっぱ、好きっすね。ぜんぜん、大好きですね。なんでなんですかね」』

もちろん、様々なことがあった。暴力や飲酒などが問題視され、マスコミで大きく報じられることもあった。また、選手らとの決定的な別離とでも呼ぶべき事件もあった。全員が全員、香田のことが好きだったわけではないだろう。その背景には、香田の横暴さや体罰などももちろんあっただろうし、それらは許されてはいけないと僕も思う。

とはいえ、著者は、こんなエピソードを本書に載せている。

『香田は毎年年末になると店を借り切りOB会を開いた。そして、勢いにまかせてしこたま酒を飲み、酔いが回っていい頃になると、香田がパンツ一丁になり言う。
「殴りたいヤツ、出てこい。今まで殴ったぶん、俺を殴れ!」
OB会のクライマックスである。「◯◯のときは納得いきませんでした!」などと叫びながら、ある者は背中を思い切り叩き、ある者は思い切りビンタをし、ある者は思い切りローキックを見舞う。香田は「まだまだ!」「もう一丁!」「そんなもんか」とOBたちをあおる。そして何度もダウンする』

殴った分殴らせればいい、という理屈が通用しないのは分かっているが、このエピソードと、もう一つ、甲子園での香田の振る舞いとを合わせると、彼が「怒ること」を戦略的に駆使していたのだと理解できて、行為そのものではなく、戦略という側面からの合理性みたいなものには感心させられた。


『駒大苫小牧は伸び伸びやってるってよく言われますけど、それは公式戦だけ。練習は本当に厳しい。ボール回しとかでも、一個のミスも許されない。信じられないかもしれませんけど、ノックのとき、足が震えるんです。キャッチボールだけでも怖かった。監督は、間違いなく人生の中でいちばん怖い人。でも甲子園に来ると何も言わなくなる。常に笑ってる。目がつり上がらない。だから一気に雰囲気が変わって、どんなに追い込まれた場面でもワクワクしていられるんです』

そう回想した選手がいる。他の選手も、「監督が怒らないから」という返答をよく返したという。しかし、それでも著者はうまく理解しきれないでいたが、また別の選手のこんな言葉で納得できたという。

『監督、演技してるわけじゃないと思うんです。たぶん、怒ってるときの方が演技なんですよ』

ある種の言説として、信頼関係さえあれば体罰は体罰ではない、というようなものがある。僕は、「信頼関係」というものが客観的な指標として測れない以上、「信頼関係がある」という状態を確定させられない、という意味で、上記の言説に賛成しきれないが、何らかの方法で「信頼関係がある」と確定させられる状況があるなら、確かに成り立つ言説だろう、と感じてもいる。

そして、香田と選手らの関係は、まさにそういうものであったのではないか、とも感じるのだ。だからと言って体罰を良しとするわけではないが、しかし、完全に否定してしまっては寧ろ、選手たちの方が可哀想なのではないか、という気もしてくる。

それは、田中将大が駒大苫小牧を選んだエピソードとも関係してくるだろう。

田中がエースとして投げた年は、「田中がいたから」という言い方をよくされたという。確かに駒大苫小牧も、あちこちから良い選手をスカウトしていたが、田中に関して言えば向こうから来たのだ、と書かれている。

兵庫県の野球チームにいた田中は、監督から駒大苫小牧の練習を観に行ってみないかと誘われた。その時の話である。

『その年の夏、奥村(※監督)と田中ともう一人、山口就継という内野手をともない、駒大苫小牧の練習を見学に行った。そこで練習に参加した田中は入学を即決した。
「駒大苫小牧を見に行って、やりたい野球が見つかったなと思った。雰囲気もそうですけど、練習の内容、細かさも、中学でやってるときと同じだった。取り組む姿勢とかも、いいなと」
一回見ただけでわかるものなのかと問うと、「わかります」と言った。』

そして、この田中を獲ったエピソードをひっくるめて、著者はこうまとめる。

『田中のような選手に恵まれたのは、香田のスカウト力ではない。魅力あるチームづくりをしていたからだ』

香田がもし、ただ横暴なだけの体罰教師であれば、こうはならなかっただろう。そういう意味でも、香田のやり方を一方の側面からだけ見て非難する気に、僕はなれない。

本書では、香田の弱気な部分も多々描かれる。印象的なのは、初めて甲子園で優勝した直後の感覚だ。

『優勝した瞬間に、負けが忍び込んでくる』

勝てば勝つほど、恐ろしい重圧がのしかかってくる。マスコミの取材に苛つくこともあれば、学校の対応に怒りを覚えることもある。そういう中で香田は、心身ともに疲弊し、やがて飛行機に乗れなくなるほど重篤な状態に陥ることになるのだ。

『勝って、さらに臆病になった。自惚れた人間が、あれだけ勝ち続けられるわけがない。得意になれるぐらいだったら、身体を壊すこともなかっただろう。勝負ごとは、油断をすれば、どんな小さな隙間からだって勝ちがこぼれ出す。もし尊大になったと見えたのなら、それは臆病さの裏返しである。
しかし、周りも、香田の子どものように震えていた心にまで、気づくことはできなかった』

香田がどんな練習をさせていたのか、どんな風に選手たちの心身を引き締めていたのかは、是非本書を読んでほしいが、印象的だった二つの話を書こう。

一つは、「想定練習」だ。これは、バットもボールも使わない異様な練習である。たとえば、1アウト1、3塁の場面で、打者役の選手が「レフトへの大きな当たり」と言って走り出したりする。選手は、ボールがあるように振る舞いながら、自分がどう動くべきか考えて行動するのだ。

『このとき、まだ一年生だった白石は入学当時、想定練習がもっとも憂鬱な練習だったと話す。
「頭を使うんで、すごく疲れるんですよ。入ったばかりのときは、何やっていいかわからなくて、常にテンパってました。でも、あそこから野球を考えてやるようになりましたね」』

もう一つは、徹底的な「万が一への備え」だ。例えば、送球ミスをカバーするためのカバーリングの練習は執拗にやった。カバーリングが勝敗を分けるケースなど、年に1回あるかないかだが、しかし駒大苫小牧はそこを突き詰める。

『新琴似シニアの生島が、まさに同じ話をしていた。
「彼は百回に一回あるかないかのプレーまで突き詰める。なぜかって言ったら、その一回が起きたときに負けちゃうから」
駒大苫小牧は06年の決勝で早実に負けるまで、夏の甲子園でじつに14連勝している。偶然性が大きく影響するトーナメント方式で、しかも毎年選手が入れ替わる高校野球において、この連勝記録は尋常ではない。しかし、「百分の一のプレー」さえ疎かにしなかったということが、14連勝できた一つの答えになっているように思える』

香田は、甲子園での「2.9連勝」により、ありきたりの表現だが天国と地獄を見た。外から見れば順風満帆にしか思えないような物事の背景に何があるのかを知るというのは非常に興味深いし、本書で明け透けに描かれている香田の姿は、純粋さを突き詰めたような感じがあって凄く興味深い。本書に、こんな表現がある。

『香田は間違ったことを言っていたわけではない。しかし、間違っていなかったからこそ、相手をより深く傷つけ、恨みを買った。
香田は「大人の言葉」を使わなかったし、もっと言えば、持ってさえいなかった』

高校野球や甲子園に興味のない人間でも十分に楽しめる、波乱万丈の人生を歩んだ男の一代記です。


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