【映画】「キューブリックに愛された男」感想・レビュー・解説

これは面白い映画だったなぁ。
やはり、「事実」っていうのは面白い。
僕は、スタンリー・キューブリック作品は、たぶん一作も観たことがないと思うんだけど(観たかどうか覚えていない程度に、関心がない)、それでも面白かった。

この映画のきっかけは、本作の監督がキューブリック邸の近くに住むようになったことだ。そこで、「キューブリックに仕えていたイタリア人がいる」という話を耳にする。ならばその男を探し出そうじゃないかと手を尽くして見つけたのが、エミリオ・ダレッサンドロという男だ。
映画の冒頭は、彼がどうしてキューブリックと共に働くことになったのか、というエピソードが語られる。まずこの話からして面白い。
エミリオは、自分の運を試すために、1966年、イタリアからロンドンにやってきた。ジャネットという女性と出会い、結婚。様々な職を渡り歩いた後、カーショップで働くことになった。F1レースの車に乗っている(もちろん整備のためだ)エミリオを見て、「あいつは誰だ?」と噂が広がり、あるチームがエミリオをドライバーとして採用した。すると初レースで3位に食い込むという大健闘だった。
しかし、レーサーでは家族は養えない。だからエミリオは、運転する仕事としてタクシー運転手を選んだ。
ある大雪の日のことだ。雇い主から、奇妙な仕事の依頼があった。あるオブジェを、ロンドンの反対側まで運んでほしい、というのだ。車体からはみ出るように入れるしかなかったそのオブジェを無事届けたエミリオ。誰が何のために使うのか分からなかったが、依頼主の情報が一つだけあった。「ホーク・フィルム」という会社名だ。実はこれ、キューブリックの映画会社だったのだ。
そんな縁でキューブリックの元で働き始めたエミリオは、次第にキューブリックから絶大なる信頼を得ることになる。家族と過ごす時間が無くなるくらいに。しかしエミリオは、キューブリックから雑用や無理難題をパーフェクトにこなし続け、キューブリックからの信頼は日増しに強くなっていく。
そんな、キューブリックとの関わりについて、主にエミリオ自身が過去を回想する形で語る、という映画です。

キューブリックからの信頼を象徴するこんな言葉がある。具体的に、どんな状況で発せられた言葉なのかは書かないが、なんとなく伝わるものがあるはずだと思う。

【新作?何もしてないよ。君が戻ってきたら、始めるつもりだ】

エミリオはキューブリックと一緒に働いている間、ほぼ彼の映画を観たことがなかったという。まあ、観る暇もなかった、というのが正解だろうが。大分後になって彼の映画を観て、彼が天才だということを知ったという。そんな天才から、「君が戻ってきたら、始めるつもりだ」なんて言われたら、そりゃあ痺れるだろう。しかもエミリオは、「映画監督・キューブリック」と知った上で一緒に仕事をする関係になったわけではない。そんなところも、キューブリックにとっては安心出来る要素だったんじゃないかと思う。

キューブリックは基本的に、エミリオへの仕事の指示を手紙でした。常にだったかは作中で触れられていなかったが、とにかく映画の中で、キューブリックの直筆の手紙が大量に紹介されている。もちろん、どんな仕事を依頼しているのかも。


これがまあ、毎日これか、と思ったらうんざりするようなものだ。猫の餌やりの方法から、向こう3年間安定的にロウソクを供給してくれる会社を探し出すことまで、とにかくありとあらゆる仕事がエミリオの元へとやってきた。エミリオは非常に優秀で(と彼自身がそう言っているわけではないが)、キューブリックが、こんな仕事までエミリオに頼むのか、と手紙を残していることからそれがわかる。ちゃんとした英語は覚えてないが、なにかの仕事の指示をする手紙の中で、「No one could do like you(誰もお前のようには出来ない)」みたいなことが書かれていて、エミリオの仕事に全幅の信頼を寄せていたことが分かる。

映画を観ながら、笑い声が上がる場面がいくつかあった。僕も、実際に笑った。それぐらい、キューブリックの生活、仕事の指示、映画撮影への情熱が常軌を逸していて、さらに、そんなぶっ飛んだ人間と関わることになった、実直で真面目なエミリオの対比が面白いからだ。


中でも、エミリオとキューブリックの別れのシーンは、何度か笑いが起きていた。なぜなら、キューブリックがあの手この手を使って、エミリオを引き留めようとするからだ。エミリオは、「家族が高齢だから、イタリアに帰って一緒に過ごしたい」と言ってるのに、それでも引き留めようとする根性というか、キューブリックにとっての重要さみたいなものが、ある種の滑稽さを伴って描かれる。とはいえ、それを語っているエミリオの目は潤んでいるので、滑稽さと共に哀切も響く。エミリオの語りと、当時の情景を写した写真でほぼ構成されている映画なのに、これほど面白く、これほど感動的な雰囲気をまとうのは、エミリオの語りから、エミリオとキューブリックの、言葉では表現できないほどの深い繋がりみたいなものを、誰しもが感じてしまうからだろう。

僕は今でも、「天才になりたい」と思うことはある。しかし一方で、もうそれは不可能だ、ということも、分かってはいる。そして、こういう映画を観ることで改めて感じることは、「天才にはサポートが不可欠だ」ということだ。世の中に「天才」と呼ばれる人は、歴史上の人物まで含めれば多々いるが、たった一人で偉業を成し遂げた人物など数えるほどしかいないだろう。であれば、天才のサポートをするプロフェッショナル、という方向性もあるな、と考えられるようになった。そういう意味で、この映画を観ながら、大変そうだけど、エミリオみたいな人生もアリだよなぁ、と思った。大変そうだけど(笑)

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