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【本】張江泰之「人殺しの息子と呼ばれて」感想・レビュー・解説

【―これだけは言いたいことなど、何かありますか?
「恵まれない環境でも、両親が犯罪者でも、自分が犯罪者だったとしても…、俺は犯罪してないですけど、生きてます、生きていけます」】

凄い言葉だな、と思う。彼にしか言えない、とまでは言わないが、しかし、この言葉を説得力を持って口に出来る人間は、そうそういないだろう。

彼は、殺人者の息子だ。しかも、裁判で検察が「鬼畜の所業」と評し、マスコミさえも報道規制するほど、あまりにも凄惨で残虐で例を見ないほどの殺人事件だった。

「北九州 連続監禁殺人事件」

どんな事件なのか、ここでは触れない。僕は、この事件を扱った「消された一家」という本を読んだことがある。とんでもない事件だ。とても、人間の仕業とは思えない。親族同士を殺し合わせるという、常軌を逸した事件だ。

その息子のインタビューを、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」という番組で流した。

【常に俺の中にあるのは、申し訳ないな、ということです。理由はなんであれ。だからといって、どうすることもできんわけやし。それをこの十五年間、ずっと逃げて隠してごまかして、生きてきたんです。やりよることは両親と変わらんなって思って。
でも、逃げ続けてばかりいるのではなく、出ていくことで、俺はいまこうしているんですよっていうのを少しでも多くの人に知ってもらえると思うんですね。
ものすごくキツイ意見もあると思うんですよ。なんで生きているんだとか、人殺しの息子が! とか。なんと言われても、生きて誰かのために何かをするって。それを周りの人は偽善やって言うかもしれんけど、他の人にはできん経験をして、人の痛みが人よりわかる。
自分みたいな奴がこれからどうしていくんかってなったときに、もう生きて生きて、生き続けて、自分しかできんことを多くの人にしてあげる。そんな自分になっていくっていうのが、大げさですけど、生まれてきた意味じゃないんかなあって。
当たり前に仕事して、当たり前に生活して、ハイ終わりじゃない。たぶん俺にしかできないことがあると思うんです。いまでも答えは見つかってないんですけどね】

カメラの前で(さすがに顔は映していないが)声を変えずに、こういうことを誠実に答えていく。インタビューのみで構成された、「ザ・ノンフィクション」史上においても異例の番組だった。

反響は、もの凄かった。どういう反響があったのかは、なんとなくここでは伏せておこう。しかし、昼14時から放送される関東ローカルの番組とは思えない、とんでもない反響だった。

何故そんなインタビューを行うことが出来たのか。

きっかけは、クレームだった。

【彼との始まり…。
それは一本の電話であり、私がつくった番組に対する苦情だった。
「あなたはあの番組の責任者の方ですか?俺は松永太と緒方純子の長男です」】

本書の著者は、自身が企画した「追跡!平成オンナの大事件」という番組の中で、彼の両親の事件も取り上げた。そのことへのクレームだった。しかし、ただ闇雲に怒りをぶつけるようなクレームではなかった。彼は確かに、「フジテレビではもう両親の事件を取り上げないでほしい」ということも言っている。しかし、こうも言っているのだ。

【なぜ、あなたは、番組であの事件を取り上げると決めたとき、息子である俺に取材しようと考えなかったのですか?それは、取材者の怠慢じゃないですか】

なかなか変わったクレーム電話だと言えるだろう。一方では、放っておいてほしいという気持ちから、二度と取り上げるな、という。しかしもう一方では、取り上げるならちゃんと取材をすべきではないかと言う。実は著者は、彼の両親の事件を取り上げる際、最後の最後まで子どもたちへの取材をするかどうか悩んだ末、信頼するディレクターに、子どもたちへの取材はしないように頼んだのだ。しかし実際は、その息子本人から連絡が来ることとなった。

顔は出さないが、著者が言い出す前から「声は変えなくていい」と自ら申し出た彼は、「逃げない」という覚悟を持ってこのインタビューに臨んだ。

【今回の件(※「ザ・ノンフィクション」で取り上げられること)に関して、ネットに何か書かれたり、世間の人からなんて言われても、なんとも思わないです。これまでは俺の知らないところで勝手にそういうことをされていて、それに付随して野次が飛んでくるような感じだったので、耐えられなかったんです。今回は自分から発言をしているんで。中途半端な気持ちでこういう風に話もしてないですから】

【たとえばこういうふうに俺が発言してるのをテレビで観たりして、何を偉そうに、何をいまさら、なんでお前が…っていう人たちもいると思うんですけど。そうではなく純粋に興味をもってくれる人、考え方が変わってくれる人、何かのきっかけになる人っていうのもいる気がするんですね。
それって他の人にはできないと思うんです。こういう経験をして、こういう生き方をしてきた俺にしかできんことだと思うんですよ。(こういう取材に答えるようなこともなく)このまんま当たり前にどこかで仕事をして、定年迎えて、年金もらって、死んでいくというのは、なんかちょっと違うなって思ったんです。
何かをやるためにたぶん生まれてきてると思うんで、俺にしか伝えられないことを俺なりのやり方で知ってもらおうかなあと】

【嫌な意見のなかにも、ためになる意見ってたぶんあると思うんです。このヒオはなんでこういうふうに書いたんかなあとか、確かにそれは合ってるなとか。そういう大事な意見はしっかり読み取って吸い上げて、自分のものにして。それ以外の落ち込んだりっていう感情はスルーしようかなって。そういう心構えでインタビューに応じさせてもらいました】

【―ネットを覗かないっていう選択肢もあったと思うんですけど、やはり見てしまったのはどうしてなんですか?
「これは俺の個人的な考えなんですけど、いい意見を伝えてくれる人も、悪い意見を言ってくる人も、理由はなんであれ俺のために時間を使ってくれているという。いちばんはそこですよね。本当に俺に興味がなかったり、イライラしてしょうがないって人たちだったら、書き込みすらしないと思うんです。で、その悪いコメントのなかにも、やっぱり俺のためになるような意見があったり。あらためて考えさせられるようなきっかけになる内容も多かったんで…。見ないという選択肢を俺が選んだときには、いままでの自分と変わらないなってまた逃げるのかって。なので、あえて見ましたね」】

凄いもんだ。なかなかこんな風にはいられないだろう。僕自身は、親が殺人鬼だろうが、子どもは関係ない、と考えている。確率の話でいえば、殺人犯の子どもが殺人犯である可能性はかなり低いだろう。大体、殺人犯ではない親から、殺人犯が生まれる。もちろん、殺人犯の親を持つ場合、境遇の苦しさなどから、犯罪行為に走らざるを得ないことはあるかもしれない。しかしそれは、本人の性質というよりは、環境による部分が大きいだろう。だから、殺人鬼の子どもだろうが、別に関係ないと思える。しかし、世間はそうではないだろう。殺人鬼の子どもだから、という偏見で見たがるだろう。そういう世の中であることを理解した上で、声を変えずにカメラの前で喋り、すべての批判も受け止める覚悟でいる、というのは、並大抵の決意ではない。

今でも彼は、家では夜明かりをつけないそうだし、ドアを開けるとドアの裏側に人がいないか確認してしまうという。そういう癖が、おかしなものだと分かっているが、分かっていても止められないという。職場では人に恵まれているし、色々あって結婚もしているが、しかし子どもを作るつもりは今のところないという。与えてもらった経験がないから、子育てが出来る自信がないからだという。彼の両親は、幼い彼に死体の処理を手伝わせもした。その当時は、その行為にどんな意味があるのか分からなかった(詳細は書かないが、彼は死体を見たわけではないのだ)。しかし、両親の事件について自分で調べ始めると、あの時のあれが実は死体遺棄だったのだ、と気付かされることになる。その記憶は、生々しい異臭の感覚と共に、今も彼を苦しめている。

そんな風に、決して余裕のある状態ではない。しかし彼は闘うことに決めた。彼がこれまで、散々考え、悩み、打ちひしがれてきたことは、彼の発言から伝わってくる。両親が逮捕された時10歳くらいで、小学校に通っていなかった彼は、いきなり小学3年生のクラスに入れられたという。しかし、ひらがなとカタカナしか知らなかった彼は、「漢字」というものの存在が理解できなかったし、「書き言葉」と「話し言葉」が同じものであるという感覚もなかった。異国の言語を口では発音できても意味が分からない、というように、日本語を口から発していてもその意味が分からない、という状態だったという。そんなところから、よくもまあこれほど、自分の頭で考え、自分の言葉で話せる青年になったものだと思う。凄い。

事件当時について語る彼の話は、やはり普通の人生を歩んできた僕らには異次元の世界のものだが、一番印象的だったのは、「おかしいと思っていなかった」という感覚だ。

【いくら子供であっても、それでお腹がふくれるはずはない。それでも彼は「ご飯を与えてもらっている」「食べさせてもらっている」「こんなに出来の悪い自分なのに」という感覚になっていたのだという。理不尽きわまりないことだ。
だが、その当時の彼は、「親父の言うこと、やることに間違いはなく、正解なんだ」と考えていた。それが“彼にとっての常識”になっていたからだ】

【「なんでそれがダメなのかという、ちゃんとした理由や説明はなかった。とりあえず親父がしてほしくない、親父がされたらバツが悪いことをした場合はものすごく痛くて苦しい思いをするぞっていう、しつけのされ方をずっとされてきたんで」
―当時、それがおかしいことだとは?
「まった。まったくなんとも思ってなかったですね」】

先程紹介した、この事件を扱ったノンフィクションである「消された一家」を読んで、感覚的にどうしても捉えきれなかったのが、「何故その状態をおかしいと思えないのか」ということだった。主犯である松永太に服従させられていた被害者たちが殺し合いをさせられていたわけだが、ごく一般的な感覚でいえば、「おかしい」と思ってしまうし、「おかしいと思いながらも従うしかない」という諦念なんだろう、と受け入れるしかない。しかし、彼が幼い子供だったということも関係しているだろうが、そもそもその状況を「おかしい」と判断できなくなっている、という話は、誰もが被害者になり得るという現実を描き出しているなと思う。

保護され、児童相談所で生活するようになった彼の日常は、彼のこんな言葉に集約できるだろう。

【結局、何をやっても、そういう壁に当たるんですよね。親がいないから、身寄りがないからって。どんだけ頑張っても、結局、またこれかと思って。先のことになるけど、携帯を持つのも、免許を取るのも、働くのも、家を借りるのも、何するにしてもこれだけ不便なんやって。そういうことにぶち当たるたびに自信をなくすんです。これって俺がどうこうって問題じゃなよね、と】

彼には、未成年後見人になってくれる大人(仮名だが田中氏)が現れ、それまで両親のことを聞かれると事件の話を避けるわけにはいかなかったが、田中氏のお陰でその状況が変わった。その田中氏はこんな風に言っている。

【ある意味、彼らは、犯罪者よりも冷遇されますから】

犯罪を犯したものが辛い人生を歩まざるを得ないのはある程度仕方ない(とはいえ、刑務所から出た人間を冷遇することで、犯罪者が社会にいられず、刑務所へと逆戻りしてしまいがちな世の中はどうかと思うけど)。しかし、犯罪者の家族は関係ないだろ、と思う。特に今回の場合は、両親だ。子供が、両親の犯罪に対して責任を負わなければならない理屈は、僕にはよく分からない。しかし日本では、異なる人間を排除したがる風潮が強すぎるために、犯罪者の子供というだけで冷遇されてしまう。僕は正直、犯罪を犯し罪を償った者ときちんと関係性を築けるかと聞かれると、たぶん大丈夫だと思うが自信を持ってYESとは言えない。しかし、犯罪者の家族だったら、まず大丈夫だろうと思う。著者は、自分が表に出ることで、様々にしんどさを抱えている人のためになればと思っている。僕自身も、彼と比べればまったく何も起こっていないに等しいけど、僕なりに人生でしんどさを感じてきたし、そういう自分だからこそ出来ることがあるんじゃないかと思っている。僕は、世間が拒絶するような人でも受け入れたいなぁといつも思っている。

【小学生の頃、獣医師になりたい気持ちがあったのにしても、動物は素直で「言葉の裏を読んだりする必要がない」というのが理由のひとつになっていた。(中略)

「で、人間と関わると、また失望するんです。嘘ついて、ごまかして、こんなに醜い生き物がおるんかな。人間って嫌やなって。でも、自分もその人間なんですよね」】


彼の言葉はどれも真摯だし、彼の辿ってきた軌跡については触れたいことが様々にあるが、最後に、「環境」に関する彼の価値観を紹介して終わろうと思う。

【グレたり荒れたりするのにしても、どういう家族環境で育ったかっていうのはたいした理由じゃないと思うんですよ。
だからもし、そういう人たちがいるんだったら、俺から言いたいのは…。偉そうに言うことでもないですけど、いつまでそうやってごまかして逃げていけるんかなっていうこと。どこかで気がつくんですよ。
そのタイミングって、早ければ早いほどいいと思うんですよね。自分の家族環境が複雑やから、恵まれてないから、周りの環境が悪いからっていっても、そこから先、自分で頑張って生きていく時間のほうが長いわけでしょ。たった…。たったって言い方は悪いですけど、人生を四分割で見たときに、四分の一程度の出来事で、残りの四分の三を損するようなことにしてほしくないなっていう。
そういう人たちともっと関わって、話もしてみたいですし。俺のことにしても、あ、こんな奴もいるんだなって思ってもらえるんやったらって。何かのきっかけにして、いままでとは違う生き方、学び方をしていってほしいなって思うんですよね。全然、上から目線とかじゃないんですけど】

まったく。凄い男だよ。


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