【映画】「この世の果て、数多の終焉」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。
舞台は、1945年のインドシナ。第二次世界大戦末期のこの時期、フランスの占領下に置かれており、その占領に反対する旗手として、ヴォー・ビン・イエンがいた。一方、北部は、中国と戦争中の日本軍の支配下にあった。
3月9日。日本軍の兵士がショータン駐屯地のフランス兵を皆殺しにする虐殺が発生。しかし、死んだと見せかけてその地獄から脱したのが、フランス兵のロベール・タッセンだった。彼は、地元原住民の手によって救われ回復、やがて町まで降りていけるように。そこでフランス兵と接触、軍に復帰したいと申し出た。
当然、本国フランスに帰国する提案も受けた。しかし彼は、この地に残って戦うことに決めた。理由は、同じくショータン駐屯地に所属していた兄夫婦の復讐だった。義姉は腹を割かれ、引きずり出された胎児を胸に縫い付けられた。そしてそれを見させられた兄は、斬首された。手を下したのは日本兵だが、タッセンは、ヴォー・ビンが日本兵の行動を笑って黙認したとして彼を激しく憎悪。個人的な怒りを募らせて軍に留まることにしたのだ。
新たに配属された部隊では”新入り”にも関わらず、新入りらしからぬ態度を取り続けるタッセンは、毀誉褒貶様々な反応を受けることになるが、彼はヴォー・ビンへの復讐に燃えている。一方、売春街で知り合ったマイという女性とお金を介した逢瀬を繰り返すが、彼女との関係性に次第に悩まされることになり…。
というような話です。

ちょっと僕にはよく分からない映画だったなぁ。「よく分からない」というのは、どこに焦点が当たっているのか、どこが中核として捉えられるべきなのかということが、なんとも掴みにくかった、という意味です。戦争を扱った映画だから当然、「戦争の悲惨さ・無意味さ・残虐さ」みたいなものは組み込まれているし、それらが理解できないという意味ではない。そうではなくて、そういう戦争映画に通底する土台の上に、どんな建造物を建てたかったのか、僕にはよく分からなかったということだ。

タッセンという青年の苦悩は描かれるが、彼の思考はまとまりがない。いや、もちろんそれは当然だ。戦争中なのだから、基本的に人間の思考は混乱しているだろう。ただ、それを「リアル」と呼んでいいのか。物語として描くのであれば、もう少し「捉えやすさ」みたいなのもあっていいのかなぁ、という気がする。

なんとなく理解できることは、「何と戦っているのか分からない虚しさ」と「戦うべき相手が見えているのにどう戦うべきか分からない虚しさ」の対比だ。前者がヴォー・ビン・イエンであり、後者がマイだ。

ヴォー・ビン・イエンは、結局映画の中で登場しない。彼はタッセンにとっての敵であるが、観客からすれば最後の最後まで存在しないし、タッセンにしても、ヴォー・ビン・イエンの存在を明確に捉えられていない。歩くのもやっとという密林に覆われたインドシナでは、隠れるところは山程あり、戦闘を仕掛けようにもままならない。タッセンはチャンスを伺ってはヴォー・ビン・イエンを打ち倒すために行動をするが、彼が手応えを感じたことは一度もないだろう。結局彼は、戦っている実感を得られないままだ。

一方、マイとの関係については、常に目の前にマイの存在がある。マイを探して見つからなかったことは基本的にない。いつでも手の届く範囲にマイはいるが、しかしどう対峙すべきか分からない。このマイとの関係性の葛藤は、正直僕にはよく理解できなかったが(映画のラストも、あれは一体なんだったんだろう?あの人とあの人に関係があって、しかもなんかよろしくない状態になってるのは何故?)、とにかくタッセンがマイとの関係で困惑してどうしていいか分からないでいる、ということは分かった。

とにかく最後まで、どんな軸をメインに観ていくのが正解なのかうまく掴めず、僕自身の満足度は低かったけど、映像はキレイだったし、それでいて、戦争のむごたらしさみたいなのもきちんとインパクトと共に届けていて、その辺りの映像の部分は良いんじゃないかなと思う。

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