【映画】「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」感想・レビュー・解説

Qを最初に観た時は、驚いたなぁ。「もう、全然違う話になってない?」って。

アニメ版を全部ちゃんと見てるわけじゃないとは言え、元々の物語をここまで解体して全然違う話に作り変えることが出来ちゃうんだなぁと、改めて驚かされた。

なにせ、「WILLE」なんていう新しい組織が出てきて、NERVと対立してるし、碇シンジは囚われて、首には自爆装置みたいなチョーカーが付けられてるし。エヴァを見ると大体、「え?どゆこと?」ってなるけど、Qはさらにその疑問符が大量に浮かぶような感じだったなぁ。

もちろん、観てて「面白いなぁ」って思うんだけど、相変わらず何が面白いのかはよく分かんない。ただ、「序」と「破」では、理解不能な大きな物語の設定の中に、エヴァのパイロット個々の個人の物語がかなり挿入されることで、「分からなさ」のバランスが取れていた感じがするし、個人の物語が世界全体の設定に接続されていくという、シリーズ全体の構成がよく表現されているように思った。

でもQはもはや、個人の物語が存在しない。と書くと、ちょっと不正確なのかもしれない。個人の物語が存在しないのではなくて、個人の物語もすべて大きな設定の中に置換されてしまっている、という感じだろうか。

Qでも、個人の物語はある。主に碇シンジを中心として、葛城ミサトとの関係、式波・アスカ・ラングレーとの関係、渚カヲルとの関係、綾波レイ(だと碇シンジが思っている存在)との関係、などなど。しかしそれらの関係は、物理的には「個人間」の物語なのだけど、彼らがいる世界ではもはや、個人の事情が個人の事情として成立しない。まさにそのことをアスカは冒頭で、【もうそんなことに反応してるヒマなんてないのよ、この世界は】と表現している。

僕にはよく分からないが、エヴァンゲリオンのパイロットは、(全員ではないかもしれないけど)「運命を仕組まれた子供」らしい。なんのこっちゃ分からんけど、とりあえず、世界全体の設定の中で、何らかの役割を担わされているのだ、ということは分かる。Q以前は、その役割から「逃避」する自由や隙間みたいなものがあった。まだ、彼らパイロットの存在が、「個人」という領域を侵食されずにいたからだ。しかし世界が大きく変わっている中では、彼らパイロットはもはや「個人」という属性を剥ぎ取られ、「運命を仕組まれた子供」という役割を担わなければならない。そういう意味でQには「個人の物語」は存在しない。

「個人の物語」が存在しないことによって、「分からなさ」は急激に増した。さらに観客は、大体いつも「碇シンジ」視点で物語を体験することになるのだけど、その碇シンジが14年間も目を覚まさないままだったという事実が、より「分からなさ」に拍車を掛ける。碇シンジも、そして観客も、14年間分の「欠落」をずっと持ったまま、さらにわけのわからなくなった世界と対峙する必要があるのだ。

14年分の欠落があるから、碇シンジ(観客)に分からないことがあって当然なのはそうなんだけど、それにしたって渚カヲルの言ってることは意味不明だよなぁ。まあそれは、碇ゲンドウとか冬月コウゾウとかも同じだけど。

その「分からなさ」の中でも、僕がちょっと疑問なのは、「どうして碇シンジは『リリンって何?』っていう質問をしないんだろうなぁ」ということ。

「リリン」っていう言葉はそれまでも、あくまでも僕の記憶だけど、渚カヲルしか使ってなかったような気がする(碇ゲンドウとか冬月コウゾウも使ってたかもだけど、まあそれは問題なし)。で、その「リリン」って言葉を、渚カヲルは碇シンジに説明なしで使ってると思うんだよなぁ。どっかで「リリン」について碇シンジが説明受けてるような場面ってあったっけ?(まあなくても、エヴァンゲリオンのパイロット養成の講義なんかで伝えてるって設定かもだけど)。

でもまあこれは、「碇シンジは、世界の激変と、自分自身のことで精一杯で、外界のことにうまく反応できないでいた」ってことでまあいい。

でも、「リリン」に関して僕が気になったのは、最後アスカが碇シンジを助ける場面。「ここはなんちゃらかんたらの値が高いから、リリンも近づけない。リリンが近づける場所まで移動しよう」みたいなことを言ってると思う。「リリン」ってのが「人類」を指すってのはなんとなく知ってるんだけど、だったらアスカが「リリン」って言うのはおかしくないか?渚カヲルは、よく分かんないけど「使徒」らしいから、自分は「リリン」ではないし、人類のことを「リリン」って呼ぶのは不自然じゃないけど、アスカは人類じゃないのか?でも、これも冒頭の方で、14年経ってるのに見た目が変わらないことを碇シンジに指摘されて、「エヴァの呪縛」って言ってて、エヴァのパイロットであること、つまり「運命を仕組まれた子供」であることが何か関係してるのかなぁ、と思ったり。

まあ、仮にアスカが人類ではない存在になってしまっているとして、それは碇シンジがサードインパクトを起こす前なのか、後なのか。というのも、もう一個気になる場面が、渚カヲルと共に階段を降りて世界の真実を見る場面。あそこで、渚カヲルは防護服的なのを着てないんだけど、碇シンジは着てる。渚カヲルは使徒だからまあいいとして(しかしここでも、「なんで渚くんは着なくていいの?」みたいなことは聞いてもいいと思うけど、そういう描写はない)、碇シンジが防護服的なのを着てるのは、まだ人類だからなのか。その場合、アスカが人類でなくなったのはサードインパクト後、碇シンジが眠りについている間のことだったかもしれない。だとしたら、その14年間に何があったんだ?

あと、やっぱり、碇シンジが交流を持っていた綾波レイは本当にいなくなっちゃったのか、というのも気になる。Qでようやく碇シンジは、綾波レイの正体を知る。「もしも」の話をすれば、もしサードインパクトを碇シンジが起こしてしまう前に、綾波レイが綾波ユイのクローンだということを知っていたら、回避出来ていたんじゃないか、とか(サードインパクトは碇シンジが綾波レイを助けようとして起こったはずなので)。とはいえ、それを伝えるためには、お母さんが事故で亡くなったこととか、初号機のシステムの中にいることとか、綾波レイを生み出したのは父親であるとか、そういう結構衝撃的な話をしないといけないから、それはそれで碇シンジのメンタルをヤバい方向に持っていって、危険な事態になっていたかもしれませんけどね。

さて、これで「序」「破」「Q」の復習が終わったんで、後は来年公開の新作を心置きなく見るだけです。まあ、見ても、よく分かんないだろうけど(笑)。そういえば、最新作の表記は「シン・エヴァンゲリオン」。「ヱ」でも「ヲ」でもない理由は、何かあるんかしら?

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