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【本】サイモン・シン「宇宙創世」感想・レビュー・解説

科学というのは最大のミステリーだと思うし、
科学者というのは最高の探偵だと思う。
だから僕は、科学者というのが羨ましいのだと思う。
科学者という存在はこれまで、自然界のありとあらゆることを解き明かしてきた。


火は何故燃えるのか?
空気は何で出来ているのか?
そういったごく当たり前のことでさえ、大昔には的外れな推測がなされていたわけだ。それらについて、合理的に推論を重ね、現実に合う理論を科学者というのは作り出してきた。


お陰で僕らは、自然界のありとあらゆることについて、どんな原理で成り立っているのか、どんな法則が働いているのか、大まかに、大体知ることができるようになってきた。


しかし、科学では到達できないこともまたあるだろう。僕はそう思っていたし、恐らく科学者自身もそう思っていただろう。


例えば、
『宇宙はいかにして始まったのか?』
この問いには、いかに科学者と言えども答えられないだろう、と思われていた。それは哲学の問題であり、科学の問題ではない、と。
しかし、かつてある科学者がこんなことを言っていたことがある。
『人間は、星の成分やその性質を知ることはできない』
これはつまり、星まで行ってその物質を採取してこなくては観察できないことであり、即ちこれらに関する研究は不可能だ、と言った科学者がかつていた。


しかし、それは覆された。光というものをとことん研究することによって、人間は、どれだけ遠くにある、光でさえも何十年も掛かるほど遠くの星の成分でさえ、知ることが出来るようになった。
常に科学は、常識を超えたところに存在する。
まさにその通りである。


例えば、かつての人々は、地球の周りを他の星が回っている、と考えていた。いわゆる地動説である。


この事実をして、昔の人はバカだったんだな、と思うことは、明らかに軽率である。例えば最近の小学生を対象にしたアンケートで、地動説と天動説どちらが正しいか、という質問に対して、4割の子供が地動説が正しいと答えた、という話があった。これはもちろん知識がないだけの話だ、ということなのだが、そうでなくても古代の人をバカにすることは決して出来ない。


例えば少し前に、遺跡の発掘の際に不正を働いて、秩父原人とかいう原人がいたというような主張をしていた大学教授がいたことを覚えているだろうか?あの時、周囲の誰もが、秩父原人は存在するのだ、と思ったはずだ。それは、その大学教授が権威ある人だったからというものもあるだろうが、人々の、『秩父原人がいてくれたらいいな』という曖昧とした願望が、そうした幻想に繋がったのだと僕は思う。


とにかく、常識というものはかなり手強い。昔の人は、『地球が宇宙の中心である』という考えにしがみついた。神が創った宇宙なのだから、人間のいるこの地球こそが中心であるべきだ、と。今ではこういう思考はありえないだろうが、当時としては寧ろ常識だったし、地球が太陽の周りを回っていると主張したガリレオが処刑されてしまうほどである。大げさに言えば、先ほどの秩父原人の例で、秩父原人など嘘っぱちだ、と主張した人間を処刑するようなものである。宗教というのは怖いものである。


とにかく、そうした誤った常識を打ち砕いてきた歴史が、科学の歴史なのである。


『宇宙がいかにして始まったのか?』
これにも人々は、ある一つの願いを持っていた。それは広く常識として広まっていくのだが、それは、『宇宙は太古の昔から今と同じ状態で存在し、これからも変わりなく存在し続ける』というものだ。


相対性理論で、科学者としてはトップクラスに有名になったかのアインシュタインですら、この『変化のない宇宙』を望んだ一人である。自身の作った相対性理論の式からは、『変化する宇宙』という解が出てきてしまうのに対して、アインシュタインは対抗策として、相対性理論の中に宇宙定数という項を付け加えることまでしたほどだ。これをアインシュタインは、生涯最大の失敗だ、と語ることになるのだが、それほどまでに宇宙は定常であることを望んだのである。


こうして見ると、科学の歴史というものは、科学的ではない面によって支配されているのだな、と感じるのである。昔の人は、ガリレオがどれだけ説得力のある論証をしようと、『地球が太陽の周りを回っているはずがない』という、科学的ではない常識によってその説を粉砕した。どの時代でも同じようなことは起こり、その度に天才とその天才が生み出した理論によってそれを打ち砕くということを繰り返してきた。今でも、宇宙の始まりはあったかなかったかで、論争が続いている。多くの科学者がビッグバン論を支持しているとは言え、ビッグバン論を非難する勢力がいなくなったわけではない。


今ではビッグバン論に有利な証拠がかなり集まってきていて、ビッグバン論優性という状況である。しかし、ビッグバン論が出てきた頃は、ビッグバン論の方が不安定で論拠の少ない案だった。その後長い間、決定的な証拠が見つかることのないまま、長い年月が過ぎた。その期間科学者は何をしてたかと言えば、観測や実験や論理的な論証ではなく、感情で双方の陣営と議論をしているのである。まさに仮説というのは、証拠が出てくるまではひたすら仮説であり、決定的な証拠が見つかるまではいかなる議論も不毛なのだな、と感じさせます。


宇宙がいかに始まったのか。今やその話は、量子物理学という、ものすごく小さな物質(原子や電子など)を扱う学問に託されました。宇宙という、僕らを取り巻くものすごく大きな存在の始まりを語るのに、ものすごく小さな物質を扱う分野が駆り出される。宇宙というものは、本当に奥が深いな、と思います。


宇宙がいかに始まったのか。それが解き明かされる時がくるかどうかわかりませんが、できればその結論を知りたいものだな、という風に思います。
というわけでそろそろ内容に入ろうと思います。


本作は、タイトルこそ「ビッグバン宇宙論」となっていますが、ビッグバン論についてのみの話ではありません。人間がいかに宇宙と接し、宇宙を知り、宇宙を調べてきたのか。その歴史をあますところなく盛り込んだ、豪華な内容になっています。


例えば、相対性理論だけの本とか、ビッグバン論だけの本とか、あるいは天文学の歴史の本、量子物理学の最新の話だけの本など、宇宙に関するそれぞれの話が書かれた本、というものは、これまでにも数多く存在したことでしょう。しかし、宇宙というものを一つの大枠に据えて、それを、数十世紀というスパンの時間の流れの中で、どのように進化していったのか、ということを描いた本は、これまでなかったのではないか、という風に思います。


というのは、やはり一人の人間がそこまで知識を持つことは難しい、と思うからです。相対性理論もビッグバンも天文学も他の物理上のあらゆる発見も理解して、それを物理を知らない人にも分かりやすく書く、というのは、並大抵の努力では不可能です。知識だけなら科学者は持っているでしょうが、それを分かりやすく書くことは難しいでしょう。ノンフィクションライターなら分かりやすく書くことはできるかもしれないけど、知識を理解することが難しいでしょう。そう考えると、サイモン・シンという存在は、本当に稀有だなと思えてきます。


本作はまず、古代ギリシャ人がいかに宇宙を捉えていたか、というところから始まります。地球の大きさを測り、太陽までの距離を測り、という風にして、天体に関する知識を増やしていきました。


そこから、天体の運行というものに興味を持った人々が、地球や他の惑星がどのような動きをしているのか、ということを考えるようになります。実は古代ギリシャ時代既に、『地球が太陽の周りを回っている』と考えていた哲学者がいたにも関わらず、その後、地動説として知られる、太陽が地球が回っているという説に大きく傾いていきます。そこから、天文学の観測技術というものが大きく進化していき、ようやく太陽中心のモデルが受け入れられていくようになります。


さて、宇宙論にとっての次の事件は、アインシュタインの登場です。アインシュタインの作り上げた相対性理論というものは、名前だけは有名でしょうが、中身は非常に難しく、感覚的にも理解しがたいことが多い理論です。しかしこの相対性理論のお陰で、宇宙論は一変しました。


当時科学の世界では、光というものに対する問題が立ちはだかっていました。光は秒速30万キロメートルで進むことが知られていましたが、それが『何に対して』なのか、ということが問題でした。


これは、音のことを考えてみればわかるでしょう。音は空気中を伝わります。つまり音というのは、空気に対して音速なわけです。なので、真空のガラスケースの中に鈴を入れても、媒質となる空気がないため、音は聞こえません。


しかし、真空のガラスケースの中の鈴が見えなくなるわけではありません。これはつまり、真空中も光は伝わっている、ということです。真空というのはつまり何もない空間であるはずなのに、光が伝わるのは何故だろうか?それが当時の科学の最大の疑問でした。科学者はその回答として、空気中にはエーテルという物質が存在していて、それが光を伝えるのだ、と考えるようになりました。


その考えを打ち砕いたのがアインシュタインです。アインシュタインは、有名なある思考実験によって、光についての難問を解き明かしました。


その思考実験とは、『目の前に鏡を置いたまま自分自身が高速で移動している時、鏡に自分の顔は映るだろうか?』というものでした。アインシュタインの直感は、鏡に自分の顔は映る、というものでした。そこから彼は慎重に考え、ついに、光は『観測者に対して』秒速30万キロメートルで進む、という考えを導き出しました。この考えから生まれたのが、相対性理論です。


さて、アインシュタインの相対性理論の式を解くと、宇宙は膨張している、という答えが導き出されました。これは即ち、時間を逆に巻き戻せば、宇宙がある一点に収束していた時期があるのではないか、宇宙の始まりというものがあったのではないか、という考えに行き着きます。この考えは、一部では出ていたのですが、アインシュタイン自身がまずそれを否定したがために、主流の考えにはなりませんでした。


しかし、ハッブル望遠鏡で有名な、天文学の観測の巨人ハッブルが、宇宙が膨張しているという証拠を見つけ出しました。宇宙が実際に膨張しているのならば、始まりはあったに違いない。宇宙はビッグバンから始まったに違いない、という考えが、にわかに力を持ち始めました。


しかし、安定した宇宙を望む勢力の方が多く、その勢力は、「定常宇宙論」というモデルを考え出しました。これは、膨張はするけど変化はしないという宇宙モデルで、それまでのどの観測結果とも矛盾しない、ビッグバンモデルと対抗しうるアイデアでした。それからは、ビッグバンと定常宇宙論のどちらが正しいのか、という論争になっていきます。


なかなか決定的な証拠が見つからない中、観測の精度を上げ、あらたな観測技術を生み出し、そうやって観測データを積み上げていくことで、また、問題となっていたいくつかの理論に肉付けをしていくことによって、ビッグバンモデルは徐々に正しいのではないか、と認められるようになりました。


そして、ビッグバンモデルには決定的とも言える証拠が近年ようやく見つかり、大枠で、ビッグバンモデルは正しいだろう、という見方になりました。理論はまだ完璧ではなく、補強しなくてはならない部分も数多くあるとは言え、宇宙はビッグバンから始まったという理論はとりあえずしばらくは揺らぐことはないだろう。


というような現在までの流れを、細かく懇切丁寧に紡ぎ出した。非常に質のいいノンフィクションです。


とにかくサイモン・シンのノンフィクションの特徴は、そのわかりやすさにあって、例えばそれは次のような説明からもわかります。

『たとえ特異点を物理学的に扱えたとしても、「ビッグバン以前はどうなっていたのか?」という問題は、論理的に矛盾しているがゆえに答えることは不可能だと考える宇宙論研究者は多い。なにしろビッグバン・モデルによれば、ビッグバンのときには物質と放射が生じただけでなく、空間と時間も生じたはずだからだ。もしも時間がビッグバンで創造されたのなら、ビッグバン以前には時間は存在しなかったことになり、「ビッグバン以前」という言葉は意味を失う。これを理解するために、「北」という言葉を考えてみよう。北という言葉は、「ロンドンの北はどうなっているか?」とか、「エディンバラの北はどうなっているか?」という問いには使えるが、「北極の北はどうなっているか?」という文脈では意味を失うのである。』

このようにしてサイモン・シンは、常に分かりやすい文章と比喩で話を展開していく。前に読んだ「フェルマーの最終定理」でもそうだったが、物理や数学についてまるで知識のない人間にも恐らく普通に読むことができるだろう。それぐらい、分かりやすい文章なのである。


また僕としては、アインシュタインや相対性理論が好きなので(理解できるという意味ではないけど)、本作中それに触れる部分があってよかったと思う。アインシュタインは、間違いなく今世紀最大の天才の一人だが、彼はこう言う。


『私には特別な才能はありません。激しいほどの好奇心があるだけです。』


またこうも言う。


『大切なのは、問いを発するのを止めないことです。』


アインシュタインという一人の天才が成した仕事はあまりにも高度で複雑なので理解することは難しいけど、彼は間違いなく、最も神に近かった男である。


『もしも神の宇宙が一般性相対性理論の予想と異なる振る舞いをしたらどうしますか?』と一人の学生に聞かれたアインシュタインはこう答えている。
『そのときは神を気の毒に思ったろうね。とにかくこの理論は正しいのだから』


さて長くなったのでこれくらいにしておこう。最後に、巻末に載っている、あらゆる人間が『科学とは何か?』を答えにした言葉があるのだが、その中から面白いものを。

『新しい理論が受け入れられるまでには次の四つの段階を経る。
第一段階―こんな理論はくだらないたわごとだ。
第二段階―興味深くはあるが、ひねくれた意見だ。
第三段階―正しくはあるが、さほど重要ではない。
第四段階―私はずっとこの理論を唱えていたのだ。
   J・B・S・ホールデン イギリスの遺伝学者』

なるほど、という感じである。


とにかく、宇宙論という観点から見て、これほどまでに見事なノンフィクションはないでしょう。分かりやすさと構成の妙、そして歴史の陰に埋もれた人間ドラマを引っ張り出してくる手法には、圧倒的なものを感じます。是非とも、科学が苦手だという文系の人に読んで欲しいと思います。宇宙についての理解と興味が深まることでしょう。


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