【映画】「100,000年後の安全」感想・レビュー・解説

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何で知ったんだか覚えていないけど、放射性廃棄物の問題を、未来の人にどう伝えるのか、という問いを知って、「なるほどなぁ」と思った記憶がある。そんなこと、考えたこともなかった。

どういうことか。

放射性廃棄物は、完全に無害な存在になるまで10万年掛かる。もの凄い年月だ。10万年前と言うと、アフリカに現生人類が誕生した頃、ヨーロッパにネアンデルタール人がいた頃だという。

さて、我々が何らかの方法で、放射性廃棄物をどこかに隠したとしよう(存在を消すわけにはいかないし、無害にすることも不可能だから、有害なまま隠す以外に方法はない)。しかし、隠したものを、未来の誰かが見つけてしまうかもしれない。その場合、それが「危険なものだ」と伝える方法はあるだろうか?

「危険だ」とか「掘るな」とか書けばいいだろうか?何語で?英語やフランス語など、世界中にあるあらゆる言語で書いておけばいいだろうか。しかし、10万年間のすべての人類に伝わる必要がある。それはつまり、ネアンデルタール人のメッセージを我々が受け取るようなものだ。読める可能性はゼロではないが、読めないかもしれない。

じゃあ、絵や記号はどうか?ドクロマークや「×(バツ)」などの記号や、不穏さを醸し出すような絵ではどうか?しかし、時代や社会によって感覚は変わる。例えば、僕らは首を縦に振れば「YES」の意味になるが、国によっては「NO」の意味になるところもある。また、日本では昔「お歯黒」が美人の象徴だったはずだが、今そんなことをしている人はいない。今の基準で「危険」を伝える絵や記号を描いておいても、それが正しく受け取られるかは分からない。

というようなことを何かで知って、なるほど確かにその通りだ、と思った。考えたことなかった。

この映画でも、その点について触れられる。映画では、フィンランドの「オンカロ」という施設が扱われるが(これについては後で触れる)、そのオンカロの管理会社の人の意見も割れているらしい。何らかの標識(文字でも絵でも)をつけておくべきだ、というグループと、標識は一切無くして忘れ去られるようにしよう、というグループとに。

忘れ去られた方がいい、というグループの主張も理解できる。それは、

【完全に理解できないものを未来の人に渡せば、それを理解しようとして必ず掘るだろう】

という発言に集約される。確かにそうだろう。それが文字でも絵でも記号でも、「なんだこれ、分からん」となれば、掘るだろう。ピラミッドの文字だって、解読してから内部に入ったわけじゃないはずだ。むしろ、解読できないから中に入ったんじゃないか?

そう、映画の中でも、ピラミッドに関する言及があった。未来人がこの処分場(オンカロのこと)を理解できる程度は、我々がピラミッドについて理解できている程度と変わらないだろう、と。また、仰々しく埋められているものを、未来の人間が発見したら、それを「埋葬」や「財宝」と考えて掘るのではないか、という危惧を示す者もいた。

どれも、なるほどである。っていうか、ホントに、「10万年後の人類にメッセージを託す」なんていうミッションが、SF小説ではなく現実の課題として突き付けられるとは、誰も思わなかっただろう。まさに、10万年続く伝言ゲームをやれといわれているのだ。

オンカロの説明をしよう。これは、フィンランドに建設中の放射性廃棄物の最終処分場だ。

放射性廃棄物の最終処分は、どの国でも未だに行われていない。どの国も中間処理として、水槽内で管理している。水槽内でも、10年は保管出来るだろうし、20年、100年、1000年も大丈夫、かもしれない。

しかし、地上は安定していない。災害が起こる。戦争が起こる。経済危機が起こる。飢饉が起こる。どうなっているか分からない。地上にある、というだけでリスクがあるのだ。

じゃあ、宇宙に飛ばしてしまうというのは?確かに、宇宙に飛ばしてしまうのは安全だ。しかし、発射に失敗するリスクは常にある。放射性廃棄物を搭載したロケットが発射に失敗した時点で、地球は終了だ。

じゃあ海底は?海も安全とは言えない。変化は大きいし、万が一放射能が漏れた場合、母なる海に多大なる悪影響を及ぼす。

というわけで、やはり、地層に埋めるしかない、ということになる。この地層処分というのが、放射性廃棄物の基本的な解決法だと考えられている(はずだ)。

フィンランドは、最終処分地の決まらない各国に先駆けて、最終処分場の建設地を決め、絶賛建設中だ。それが、ある島のオンカロという地名の場所であり、その地名がそのまま施設名となった。放射性廃棄物を埋める地層は、18億年間変化がない。少なくとも、10万年後までは大丈夫だろう、と想定されている。地下500メートルまでの間に、もの凄く長いトンネルを掘り、そこに何重もの安全策を講じた形で放射性廃棄物を埋める。そして、2100年代に、オンカロ全体に放射性廃棄物を埋めたら、入り口からコンクリートを流し込んで完全に封じてしまう。そして、二度と開けない。

オンカロの管理会社は、人間の手を完全に離れた形でオンカロが機能することが望ましい、と考えている。人間の管理や監視を前提にすると、どういう形でかで10万年後までメッセージを届ける必要がある。それがうまく行けばいいが、うまく行かなければ致命的なので、人間の手を介さずとも機能することを目指している。

1万年以上もった建造物さえ存在しない中で、オンカロは耐用年数10万年という途方もない施設を作り上げようとしている。

映画を見た上で、僕の個人的な感触は、やはり未来の人間が一番の不確定要因だろうな、ということだ。もちろん、地殻変動などによって甚大な問題が引き起こされるかもしれないが、18億年そのままだった地層なら、今から10万年後もそのままであると想定してもバチは当たらない気はする。しかし人間は、何をするか分からない。それこそ、それが危険な放射性廃棄物だとしって掘り起こす人間も出てくるだろう。戦争が始まればなおさら、その危険な物質は「お宝」として注目を集めるだろう。テロリストが掘り返してもいい。「忘れ去られる」というのは、楽観的な見方であるように感じる。

とはいえこれは、決してオンカロを非難しているわけではない。というか、オンカロは凄いと思う。放射性廃棄物の処分問題は、原子力発電を使っているすべての国の問題だ。どの国も未だに解決策を実現に移せていない中で、フィンランドは行動に移している。処分場は、着々と建設が進んでいる。そもそも、処分地が決定しているだけでも凄い。日本なら、どの土地を候補地に選んだところで「自分のふるさとに核のゴミを棄てるな」と反対運動が起こるだろう。まあそれは当然だと思うのだ。しかしフィンランドは、その決定のプロセスは知らないけど、処分地が決定し、建設が進んでいる。それだけでも相当凄い。

映画に出てくる人物がこんなことを言っていた。

【現存する放射性廃棄物の処分問題については、原子力の問題とは切り離して考えるべきだ。原子力に賛成だろうと反対だろうと。】

確かにその通りだ。

日本にも当然、放射性廃棄物の処分問題はある。東日本大震災で瞬間的に顕在化したようにも思うが、また忘れられてしまっているようにも思う。何にせよ、膨大な議論を重ねなければ一歩も前に進めないだろう。日本は、そういう議論の下地が弱い印象がある。10万年後は、あまりにも遠い。イメージしろと言われても困るだろう。しかし、本当に困るのは、自分たちが使ったわけじゃない電気によって生み出されたゴミを押しつけられる未来の人たちだ。放射性廃棄物という負債を、未来に渡さなければならないことは確定している。であれば、出来るだけ安全に渡す方法を考えるしかない。僕らの問題だと考えなければいけない

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