【映画】「プラスチックの海」感想・レビュー・解説

この映画の中で最も衝撃だった場面は、海鳥の胃だ。マジでビビった。

死んだ海鳥の胃を開いてみると、そこにぎっしりとプラスチックの欠片が詰まっている。見た感じ、胃全体を覆ってるんじゃないかっていう量だ。映画で登場した海鳥からは、234個のプラスチックの破片が見つかった。過去最高は、276個だったという。重さは実に、体重の15%にも達する。これは人間の体重で換算すると、体内に6~9キロのプラスチック片が存在することと同じだ。この映像は、ホントに凄かった。

クジラは一度に、何万トンもの水を飲み込み、プランクトンなどを摂取する。プランクトンとプラスチックの区別はなかなかつかない。大量のプラスチックを飲み込んだことで死亡するクジラもいる。

カメは、ポリ袋をクラゲと間違えて食べてしまう。体内にプラスチックが入ったカメは、泳ぎ方がおかしくなる。体内でガスが発生し、身体が浮いてしまうからだ。そういうカメを見つけ出しては、治療して海に返している団体もいる。

もちろん、このような海洋生物への影響も甚大だ。しかし、残念ながら人間は、それだけではなかなか問題意識を持ちにくいだろう。しかしこれは、人間の問題でもある。

当然のことだが、海で育った生き物を僕たちは食べる。その身体の中に、マイクロプラスチックと呼ばれる、小さな破片状になったプラスチックが入り込んでいる。我々が好んで食べる部分に多く蓄積されるという。当然僕らは、マイクロプラスチック入りの魚を食べている、というわけだ。

インドネシアとカリフォルニアで、食卓に並ぶ魚(つまり、スーパーなどで売っている魚)を調査したところ、全体のおよそ25%から、プラスチックや紡績繊維などが発見されたという。間違いなく僕たちは、プラスチックを摂取している。

マイクロプラスチックの問題は、ただ「プラスチックを摂取してしまう」ということに留まらない。マイクロプラスチックは、大きなプラスチックが分割される過程で表面に凹凸が出来、その凹凸に海中の化学物質が付着することで、「海を漂う毒物」のような存在になってしまうのだという。マイクロプラスチックを摂取するということは同時に、毒物を摂取していることと同じなのだ。

この映画の監督であるクレイブ・リーソンは、元々プラスチックに問題意識を持っていたわけではない。彼の関心は、クジラにあった。8歳の時、図鑑でクジラの存在を知って以降、クジラを撮りたいという熱意を持ち続け、40年後それが実現した。しかし、クジラを追いかける撮影であるはずが、彼の目には、プラスチックに汚染された海が映った。プラスチックは自然分解しない。プラスチックのリサイクル率は約7%だという。そのほとんどが、埋め立てられている。つまり、人間が作り出したプラスチックのほとんどは、そのままの形で残っており、それが毎年信じられない量で増えていくのだ。アメリカだけで、毎年8000万トンのプラスチックゴミが出される。北米の海には、推定で3440万トンものマイクロプラスチックが漂っているという。海にたどり着くプラスチックの8割は、陸からのものだ。

近年、環境に対する意識は高まっていると思う。SDGsという言葉は、当たり前のように耳にするようになったし、身近なところで言えば、スーパーなどでのレジ袋が有料になった。「環境に良い」ということが、企業にとってのアピールポイントとして認識される時代になってきている。とはいえ、正しい知見に基づいて行動しなければ意味がない。

この映画を見ながら僕は、割り箸のことを思い出した。一時期、「森林を守るために、割り箸を使うのを止めよう」という動きがあったように思う。しかしその動きの最中に僕は、こんな記事を見かけた記憶がある。割り箸というのは、間伐材で作っているから、実は消費した方が森林のためになるのだ、と。間伐材というのは、木の生育を良くするために切り落とす要らない枝のことだ。つまり、そもそも要らないもので割り箸は作られている。さらに、間伐材を使用した商品が売れないと、間伐する作業を行うための資金がなくなることになり、却って森林の生育に悪影響をもたらす、というような内容の記事だったと思う。

正直僕は、その後、これらの話について調べたことがないので、何が正解か分からない。しかしもしも、「割り箸は間伐材で作られているから、むしろ使うべき」という主張が正しいとしたら、「森林を守るために割り箸の使用を制限しよう」という動きは、むしろ逆効果だといえる。

レジ袋の有料化に関しても似たような議論を見かけた記憶がある。具体的な内容は思い出せないが、「レジ袋の有料化はむしろ逆効果だ」という主張だったと思う。それも、どちらが正しいのか分からない。

分からないが、いずれにせよ、思い込みだけで対策を行ってはいけないということだ。聞こえの良い意見が、正しいとは限らないということを、常に意識する必要があると思う。

この映画では、プラスチックから環境を守るためのいくつかの動きが描かれていた。

ドイツは世界で初めて「容器包装廃棄物法」を成立させた。具体的にはよく分からないが、とにかく「リサイクルしないと罰金が発生する。しかもその罰金は企業が支払う」というものだそうだ。ドイツには、プラスチックの回収のための機械がスーパーなどに設置されており、消費者はそこに持ち込むことで1個◯円のような値段で引き取ってもらえる。

またルワンダは、世界でも数少ない、ポリ袋の使用を禁止した国だという。元々工業が盛んではない国だからこそ出来たことでもあるけど、とはいえ、重要な決断をしたものだと思う。

また、ある環境団体は「ソーシャルプラスチック」という仕組みを広めようとしている。これは、プラスチックのリサイクルによって生まれるミクロな経済圏を発展途上国に浸透させようというものだ。発展途上国の人たちは、プラスチックを回収することで、普通の人よりも多く所得を得られる。集められたプラスチックから、「ソーシャルプラスチック」と呼ばれるリサイクルプラスチックを作る。そして、彼らの理念に賛同した企業がその「ソーシャルプラスチック」を利用し、自社の製品を作って流通させる、というものだ。この仕組みはまだ、一部の地域でしか行われていないそうだが、「プラスチックを回収すること」が経済的な動機に裏付けられていれば、一定以上の成果を上げそうだな、と感じた。

根本的に、このプラスチックの問題を解決するためには、僕らがある程度の不自由を受け入れるしかないだろう。プラスチックをまったく使わない世界というものはもう実現不可能だろうが、出来るだけ減らしていくことを考えると、同時にそれは、安さや何らかの便利さを失うことと同じだろう。その事実を受け入れることはなかなか難しいかもしれないけど、とはいえ、見方を変えればチャンスとも言える。何らかのアイデアや技術開発によって、プラスチックを使わずに同等の機能を実現できるものを生み出せれば、大きなアドバンテージになるだろう。

僕らは今、ウイルスによって強制的に生活スタイルを変化させなければならない時代を生きている。しかし同時に、僕らが便利さのために行ってきた行為の蓄積も、僕らに生活の見直しを迫っているということを改めて意識させられる映画だった。

サポートいただけると励みになります!