【本】高橋昌一郎「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」感想・レビュー・解説
本書は、『理性』というキーワードで、政治・経済・数学・物理・哲学・宗教などありとあらゆる分野について書かれた作品です。メインで描かれるのが、「アロウの不可能性定理」「ハイゼンベルグの不確定性定理」「ゲーデルの不完全性定理」の三つで、それが副題の三つの言葉にそれぞれ対応しています。
本書は、『論理学者』『科学主義者』『数理経済学者』『会社員』『学生A』と言ったような様々な人々が集う『理性』をテーマにした架空のシンポジウムで、いろんな人が議論のやりとりをしている、という形式で描かれる作品です。専門的な話が会話調で書かれていて読みやすいし、『会社員』や『学生A』と言った素人が素朴な疑問を出してくれるし、しかも『司会者』の議論の采配が見事なので、難しい話を読んでいるはずなのに、すいすい読めてしまう作品でした。
本書は本当にありとあらゆる分野にまたがって議論が展開されるので(ゲーム理論・量子論・科学史・民主主義などとにかく本当に話題が多岐に渡る)、内容を紹介し尽くすというのはちょっと難しいので、先に挙げた本書のメインとなる三つの話についてざっと書いてみようと思います。
「アロウの不可能性定理」というのは、『完全に民主的な社会的決定方式は存在しない』ということを証明した理論なんだそうです。二人以上の故人が三つ以上の有限個の選択肢に選好順序をもつ場合のすべての社会的決定方式について当てはまるようです。
要するにこれは、どんな投票のやり方をしたとしてもおかしな点が出てくるよ、ということなんです。それぞれ一票ずつ投票するとか、過半数に達しなかったら上位二名で決選投票とか、1位には5点、2位には4点という感じで重みをつけて投票するとか、まあいろんな投票のやり方がありますけど、そのどれを取っても不完全であって、投票した人間の思惑とは違う結果が出てきてしまう可能性がある、ということがすでに証明されているようなんです。この「アロウの不可能性定理」の話は初めて知りましたけど、びっくりしました。この「アロウの不可能性定理」は非常に難解だそうで、自力で証明できる経済学者もほとんどいないそうなんですけど、それを本書は、なんとなく分かったような気分にさせてくれます。
二つ目の「ハイゼンベルグの不確定性定理」は、僕は物理の本を結構読んだことがあるんで割と知っている話です。これは、『位置と速度を両方共正確に測定することは出来ない』というような感じです。まあ位置と速度に限らず、対応する関係にある物理的な情報についてはこれが当てはまるようなんですけど、説明しやすいのは位置と速度についてですね。
ちょっと不正確な部分のある説明をすると、例えば電子の位置を測定したいとしましょう。測定には光を当ててその反射光を観測するしかないんだけど、光というのは波であると同時に光子と呼ばれる粒でもあるんですね。だから、電子に光を当てるというのは、二つのビリヤードのボールが衝突するようなものです。すると、光を当てることによって、電子の位置に影響を与えてしまいますよね?だからこそ、位置を正確に測定できない、ということなんです(まあホントは光の波長がどうとか、みたいなことを言わないといけないんだけど省略)。これも、現代物理学で最も成功したと言っていい量子論から得られた知見であって、僕の拙い知識ではその驚きを表現出来ないんだけど、物理学にとんでもない衝撃を与えたものでした。
さて最後は、「ゲーデルの不完全性定理」です。これもいろんな本を読んで元々知っていた話ではありますが、ナイトとネイブのいる島、という喩えがもの凄く分かりやすくて、ゲーデルの不完全性定理を厳密に理解したいということであれば他の本の方がいいのかもしれませんが、大体のイメージを知りたいということであれば本書に優る本はないのではないかな、と思いました。ゲーデルの不完全性定理も基本的にものすごく難しいですけど、本書はなんとなく分かったような気分にさせてくれるんですね。
ゲーデルの不完全性定理は、『あるシステムの中に、真であるのにそのシステム内では証明出来ない命題が存在する』というような感じですね。本書ではそれを司法システムと犯罪者で形容しているんですけど、ゲーデルが成し遂げたことは、『真犯人だと分かっていながら、いかなる司法システムSでも立証出来ない犯罪Gを生み出したようなイメージ』だそうです。司法システムは当然その犯罪Gに対処する新たな法を組み込んで新しい司法システムにバージョンアップするでしょうが、それでもその新システムの内部に、その新システムでは立証出来ない新たな犯罪を構成出来る、ということを示したわけなんですね。
これは、数学の世界には、真であるのに証明不可能な命題が存在する、ということです。実際、本書には書かれていませんが、ヒルベルトの23の問題の中の一つが、確か証明不可能だということが証明されたような気がします。これも、僕の拙い知識ではその驚きを伝えるのは難しいですけど、数学や哲学の世界に大きな波紋を投げかけた理論でした。
この三つの話を主軸として、さらにあらゆる方面に話が進んでいきます。凄いなと思うのは、この三つの話はそれぞれ一つずつでも1冊の本が書けるほどの内容なのに、その難しい三つの話をなんとなく分かったような気にさせつつ、さらに非常な広範囲に渡ったあらゆる話題が展開されているという点です。著者の博識っぷりにも驚きますけど、何よりも分かりやすく人に伝えるという技術が抜きん出て素晴らしいなと思います。
さて時間の許す限り、気になった話をいろいろと書いていこうと思います。
詳しくは書きませんが、第一章の「アロウの不可能性定理」に関わる部分で実際にあった選挙の話がたくさん出てきます。ブッシュとゴアが争った時は、結果的にはブッシュが勝ったけど、得票数で言えばゴアの法が33万票も上回ってたとか、フランスの選挙(上位二名による決選投票あり)で、最有力と言われた候補の内一人が決選投票に進めなかったりと、実際の選挙制度で起きたいろんな問題が面白いと思いました。
また投票のやり方には、どの投票のやり方を選ぶかによって当選者のタイプが決まってしまうんだそうです。「単記投票方式」や「上位二者決選投票形式」は強いリーダーシップを持つ者が当選し、「順位評点方式」は様々な分野の専門家集団で代表者を選出するような場合に、「勝ち抜き決選投票方式」は企業の商品開発などで使われるなど、どの投票方式を採用するかによって様々な違いが出てくるんだそうです。知りませんでした。
囚人のジレンマをゲーム化したものをコンピュータプログラムに戦わせた際、結局勝つのは「TFT」あるいは「しっぺ返し戦略」と呼ばれる、相手のやり方をそのまま返すような戦略だというのは面白いなと思いました。
ハイゼンベルグの不確定性定理のアナロジーとして面白い表現があったので書いてみます。不確定性定理というのは、位置と速度を同時に正確には測れない、というやつです。
『いつか友人と一緒にバードウォッチングに行った時に、似たような経験をしました。バードウォッチングの醍醐味は、まったく自然のままの鳥の姿を見て、その鳴き声を楽しむことにあります。遠くから双眼鏡を使えば、いきいきとした鳥の姿を観察することはできますが、あまり鳴き声が聞こえません。ところが、鳴き声が聞こえるまで鳥に近づこうとすると、今度は鳥が人の気配を察して逃げてしまうのです。つまり、自然なままの「鳥の姿」と「鳴き声」を同時に味わうのは非常に難しいわけでして…』
電子を一つずつ発射する二重スリット実験については知っていましたけど、本書にはもっと驚くべき二重スリット実験について書かれています。それは、世界各地で同じ時刻に同じ実験を行い、それぞれのフィルムに電子を一個だけ発射するというものです。その後このフィルムを集めて重ね合わせると干渉パターンが現れたんだそうです!
本書では、科学とはなんなのか?という議論が出てくるんだけど、議論の帰結の一つとして、「科学は物語なんだ」という話が出てくるのが面白いと思いました。なるほど、確かに本書の議論を読んでいると、科学にも合理的な根拠があるわけでもないのだな、と思えてきます。まあ僕はそれでも、科学を『信じて』いますけどね。
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