【映画】「GODZILLA 決戦機動増殖都市」感想・レビュー・解説

いやー、これは面白い!
この映画はシリーズの二作目で、一作目を見ていないとおそらくさっぱり理解できないだろうから、是非見てみてください。一作目の感想はこちら→「GODZILLA 怪獣惑星」

一作目では、ゴジラに侵略された地球を手放し、宇宙の放浪者となった者たちが、再度地球へと戻ってきて、ゴジラと戦うか否かという決断を迫られる物語でした。一作目の基本的なテーマは、「定住の場を失ったものたちの悲哀」と「ゴジラ討伐を決断して立ち向かう意志」と言ったところでしょうか。正直僕は、この映画がシリーズとして続くとは思っていなかったのですが、二作目である本作を見た今、一作目はプロローグとしても非常に秀逸だったと思います(もちろん、単体の作品としても素晴らしい)

本作でテーマとなるのは、「人として生きるとはどういうことか?」だ。まさかゴジラの物語でそんな深淵なテーマが用意されているとは思わなかったので、驚いた。

こんなテーマが成立するのは、本シリーズが三つの種族の混合によって展開されていくからだ。

具体的なことは一作目のネタバレに繋がってしまうと思うので詳しくは書かないが、このシリーズでは、元から地球に住んでいた「人類」以外にも、「ビルサルド」と「エクシフ」という、「人類」から見れば地球外生命体の三種族が一体となって物語が進んでいく。この三種族が共に同じ宇宙船で長きに渡り宇宙を放浪することになったのには色々理由があるのだけど、そういった背景そのもの以上に、種族としての考え方に差がある。

「人類」は、基本的に僕らと同じ感覚の存在として描かれている。「ビルサルド」は、非常に合理的で論理的な存在として描かれていく。そして「エクシフ」は宗教的な存在として描かれるのだ。全体を率いているのは「人類」であるサカキ大尉だが、それぞれの種族にリーダー的な存在がおり、サカキ大尉は彼らと様々に調整をしながら全体を動かしていく。

しかしやはり、ベースとなる種族における価値観の溝みたいなものは完全には払拭できない。そして本作では、その価値観の相違が如実に全面に押し出される展開になるのだ。

そしてその価値観の相違が、最終的に「人として生きるとはどういうことか?」という壮大なテーマに繋がっていくのだ。究極の決断を迫られることになったサカキ大尉の苦悩は、非常に深淵で難しく、スパッと答えを出せるものではない。

このシリーズは、どこからどう見ても僕らが生きている現実からかけ離れたSF作品ではあるが、ゴジラという圧倒的な悪の存在感や、圧倒的な敵を前にしながら共闘できない種族たちという構図は、受け取る側の見方によって、現実の様々な事柄と対応をイメージ出来るのではないかと思う。例えば、僕がこの文章を書いているまさに今は、北朝鮮とアメリカの首脳会談が延期されるかどうか、みたいな状態にある。僕らが現在直面している「核の脅威」をゴジラに置き換え、アメリカ・韓国・中国・日本など、北朝鮮の周辺でなかなか共闘できないでいる各国を三種族に置き換えてみると、このSF作品が現実にグッと近づくことになる。

いやしかしまあ、そんなことを考えずとも、とにかくエンタメ作品としてべらぼうに面白い作品なのだ。

内容に入ろうと思います。
見慣れぬ場所で目を覚ましたサカキは、自分が普通に呼吸できていることに気付いて驚く。2万年経過した地球の大気は、我々には適合しないはずなのに。外に出ようとしたところで、食事らしきものを持ってきた少女に出くわす。少女?まさか、ゴジラに侵食されたこの地に、人類の子孫が残っているというのか?
後を追うサカキだったが、その過程ではぐれた仲間たちと合流、フツワと名乗るこの地で生き延びているらしい種族(人類の子孫?)に連れられ、地底国へと行き着いた。そこでさらにはぐれていた仲間と合流し、彼らはフツワの助けを借りながら、母線と連絡を取る手段を模索することになる。
フツワとは直接の会話は成立しなかったが、双子らしき二人の少女が触媒となりテレパシーのような形で会話ができた。また双子の少女は驚異的な言語力を持っているようで、サカキたちの言葉を少しずつ覚えているようだった。
やがて母線と連絡を取ることに成功したサカキたちだったが、ビルサルドの面々がフツワの武器を見て何かに気づく。その発見が、ゴジラ討伐への新たな道を開くのだが…。
というような話です。

メチャクチャ面白かった!一作目も凄かったけど、本作も凄かった。だって、一作目のラストとか、いやいや、もうこれ続かせるの無理でしょ、って思うくらい、絶望的なところで終わってたわけです。どうすんの、こんなん?だって、やりようなくない?って誰もが思うようなところから、また凄い展開を考えたものです。人員も物資も圧倒的に不足しているという状態から、なるほどそんな風になりますか!っていう怒涛の展開を見せて、再度ゴジラと戦うという流れになっていくわけです。

しかし、冒頭でも書いたように、本作の場合は、ゴジラと戦うか否か、戦うならどう戦うのか、という部分は、正直なところ物語の本筋ではありません。ゴジラと戦うことに関しては、サカキ自身はずっと思い悩むが、隊全体としての結論は早い段階で下されるし、いかに戦うかという部分も、一作目と戦術としては同じだからです。

しかし、ゴジラとの戦い方の過程で、彼らは究極の選択を迫られることになるわけです。ここが凄い。まさかゴジラの物語で、こんな展開になるとは思ってもいませんでした。

僕はゴジラシリーズはまともに見ていなくて、ちゃんと見たのは「シン・ゴジラ」ぐらいです。なので全然詳しくはないんだけど、それでも、ゴジラが登場するシリーズは基本的に「ゴジラにいかに対処するか」という部分に焦点があるはずです。初期のゴジラシリーズなんかでは確かなんか強いやつが出てきたような気がするし、「シン・ゴジラ」では官僚たちが立ち向かうわけですが、やはり描かれるのは対処の過程です。


しかし本作は、もはやそんな次元の物語ではありません。もちろん、ゴジラをどう対処するかという部分は必須の要素ではあるのだけど、それは物語の核ではない。ゴジラというものを登場させることで、「生きるとはどういうことか?」を問いかける、そんな物語になっているわけです。

結局それは、進化や退化の話に繋がっていきます。2万年の時が経過した地球は、ゴジラを頂点とし、あらゆる生物がゴジラに奉仕するように進化しました。また、どうやら昆虫の遺伝子も取り込んでいるらしいフツワという謎の種族も登場します。さらに、ゴジラと対する者たちも、三つの種族の混合であり、それぞれ「生きる」ということに対する違った見解を持っています。そういう中で、何を「進化」と捉え、何を「退化」と捉えるのか―。そういう、僕らが生きているこの現実ではなかなか真剣には突きつけられない、しかし環境や生態系を破壊し尽くし、現在地球における6度目の絶滅期に差し掛かっていると言われている現状を考える上では、無視できないテーマだと感じました。

非常に面白い映画でした。まだ続くみたいなので、次も見ようと思います。

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