【本】「隷属なき道」「SFを実現する」「理系の子」

ルトガー・ブレグマン「隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働」

歴史を振り返ってみれば、ありとあらゆる事柄が現在よりも圧倒的に悪かったことが分かる。ほんのつい最近まで、ほとんどの人は貧しくて飢えており、不潔で、不安で、愚かで、病を抱え、醜かった、というのが世界の歴史の真実だと著者は書く。それと比べれば、現在はあまりにも豊かであり、満たされているのだ。
しかし、著者はこんな風に指摘する。

『ここでは、足りないものはただ一つ、朝ベッドから起き出す理由だ』

『わたしたちは有り余るほど豊かな時代に生きているが、それは何とつまらないことだろう。フクヤマの言葉を借りれば、そこには「芸術も哲学もない」。残っているのは、「歴史の遺物をただ管理し続けること」なのだ』

分かる、と感じる人も多いのではないだろうか。
データを見れば豊かになっている、というような言説は良く耳にする。とはいえ、それが実感と直結するかというとまた別の話だ。例えば今僕たちは、57ヶ月続いたという「いざなぎ景気」を超える好景気の中にいるのだ、というニュースを耳にしたことがある。「いざなぎ景気」がどんな時代だったのか、僕には分からないが、国民が景気の良さを実感できるようなものだったらしい。しかし僕らは、そんな「いざなぎ景気」を超える景気の中にいながら、景気の良さを実感することはない。いくらデータ上豊かになろうが、豊かであるという実感が伴わなければ何の意味もない。

僕たちは、確かに豊かなのだろう。しかし、幸せだという実感を得ることが出来ない。ユートピアを思い描くことが出来ないのだ。

『ユートピアがなければ、わたしたちは進むべき道を見失う。今の時代が悪いと言っているのではない。むしろその逆だ。けれども、より良い暮らしへの希望が持てない世界は、あまりにも寂しい』

そんな問題意識を持つオランダの若き論客が、これからの未来を生きる僕たちに向けて指針を提示するのが本書だ。

本書には様々な提言が出て来る。様々なデータを活用し、過去の様々な事例を引き合いに出し、またAIとの共存が避けられない未来を予見しつつ、あり得る未来について考えを巡らす。その著者の提言の中で、最も重要で、恐らく最も人々の拒絶反応が大きいだろう意見が「ユニバーサル・ベーシックインカム」だろう。これは、すべての人に一定の金額を直接渡す、というものだ。ベーシックインカムは以前から議論されているが、著者は様々なデータを取り上げながら、福祉や生活保護としてお金を渡すのではなく、誰にでも直接フリーマネーを渡すべきだと主張し、そうすれば社会がどうなっていくのかを細かく追求していく。

フリーマネーに関しては、これまでに様々な社会実験が行われてきた。そしてそれらから、フリーマネーに対する僕らの嫌悪感は見当違いであるということが分かってきている。

『貧しい人々は、フリーマネーを受け取ると、総じて以前より仕事に精を出すようになる』

『貧しい人々がフリーマネーで買わなかった一群の商品がある。それは、アルコールとタバコだ。』

『すでに研究によって、フリーマネーの支給が犯罪、小児死亡率、栄養失調、十代の妊娠、無断欠席の減少につながり、学校の成績の向上、経済成長、男女平等の改善をもたらすことがわかっている』

あらゆるデータが、フリーマネーのプラスの威力を示している。実行に移されないのは、僕らの思い込みが足かせになっているからだ、と言っても言い過ぎではない状況なのである。

一つ疑問に感じた人もいるかもしれない。今挙げたデータは、貧しい人に対するものではないか、と。そうではない人はフリーマネーによって恩恵を受けることはないのか、と。ちゃんとあるのだ。

『しかし、おそらく最も興味をそそられる発見は,不平等が大きくなり過ぎると、裕福な人々さえ苦しむことになることだ。彼らも気分が塞いだり、疑い深くなったり、その他の無数の社会的問題を背負いやすくなるのだ』

『そして、なによりも、(無償で家を与える施策を行い、これまで行ってきた路上生活者に対する様々な対策を講じる必要がなくなったことによって)社会が得た経済的利益は、投入した金額の2倍にのぼった』

フリーマネーがきちんと機能することで、社会全体の利益が底上げされるということが分かってきている。フリーマネーは、税金を最も有効に使える方法と言えるのかもしれないのだ。

本書では他にも、働き方をどう変えるべきかや、国境を開放して移民を受け入れるべきというような様々な提言などが取り上げられている。未来は、信じた者による行動によってしか変わらない。本書で描かれている未来をユートピアだと感じられたとしたら、僕たちがまずそこに向かって行動し始めなくてはいけないのだろうと思う。

田中浩也「SFを実現する 3Dプリンタの想像力」

僕にとってパソコンのキーボードは、「文字を入力するための装置」だけではなく、「思考の補助としての装置」でもある。

僕は文章を書く時、文章全体の構成を考えることはほとんどない。全体のテーマを決め、どんな要素を入れようかということぐらいは頭に入れるが、後は細かなことを考えずにとりあえずキーボードを打ち始める。書きながら、この展開ならこういう方向に話を持っていけそうだな、などと考えて文章を書いている。

その際大事なのが、文字入力のスピードだ。僕は、考えながら書く、書きながら考えるということを続けた結果、思考するスピードと文字を入力するスピードをかなり近づけることが出来るようになった。そしてこれは、手書きでは絶対に不可能だ。手書きのスピードでは、今の僕の思考のスピードには追いつけない。手書きでは、文字を書くスピードが遅れ、思考が先に進めない。書きながら考える、というやり方が実現できないだろう。僕はそういう風にとらえているので、パソコンのキーボードを「思考の補助としての装置」としても捉えているのだ。

この話は、機器には本来決められている役割以上の機能を持たせることが出来る、という風にまとめることが出来るだろうか。

今回紹介する3Dプリンタも同じだろう。

『私は、「3Dプリンタで何がつくれるのですか」という質問をよく受けるのですが、そのたびに「ワープロで何が書けるのですか」や「ピアノで何が弾けるのですか」という質問と同じような奇妙さを感じてしまいます』

3Dプリンタがマスコミなどで大きく取り上げられた際、確かに「何がつくれるのですか」という関心からのみ特集されていたように感じられる。しかし、「何がつくれるか」というのはその機器が持つ基本的な機能であって、そこにどんな可能性を見出していくのかが本来の関心のあり方なのだろうと思う。

『ここで正直に告白すれば、私が本書を執筆しようと思った動機は、3Dプリンタやデジタル工作機械の、日本での受け止められ方に関する違和感でした。現在、日本でのこの分野は、一方は実態のない、風評ベースの過剰な期待、もう一方は現状の3Dプリンタの実力に対する冷静な失望、という二極に大きく引き裂かれてしまっています』

本書は、3Dプリンタはこんな機能があり、こんなものが作れる、ということを提示するだけの作品ではない。本書は、3Dプリンタが、人間の思考・創作・感覚をどう変えうる可能性があるのか、その未来を提示する作品なのだ。

3Dプリンタは、まだまだ発展途上の技術だ。僕たちの生活に身近な存在となるには時間が掛かるだろう。そういう未成熟な技術状態にある3Dプリンタについて、可能な限り想像を巡らせ、あり得る未来を提示していく。どんな未来が提示されているのかは是非本書を読んで欲しいが、「ただモノを生み出す装置」としてではない、発展途上国の問題解決やあらたなコミュニケーションの創出などを含めた可能性を感じることが出来るだろう。

肩に掛ける「携帯電話」が登場した時、当時の人はやがてそれが「スマートフォン」という形に変わり、人間にとってなくてはならない存在になるなどとは誰も想像しなかっただろう。現在の3Dプリンタは、そういう肩掛けの携帯電話だと思えばいいのだと思う。3Dプリンタがどんな未来を生み出し得るのか、是非読んでみて欲しい。


ジュディ・ダットン「理系の子 高校生科学オリンピックの青春」

アメリカには、「サイエンス・フェア」という、州ごとや、もっと小さな単位でも開かれている、主に高校生を対象とした「科学の研究成果の発表の場」が数多く存在する。そして、その頂点に位置するのが、「サイエンス・フェアのスーパーボール」と呼ばれる「インテル国際学生科学フェア(通称インテルISEF)」だ。賞金額はなんと日本円で3億円以上。高校生を対象にしているとは思えないほど、賞金額も、そして研究レベルも高いのだ。

『何年ものあいだ、科学者の頭をなやませていた問題を高校生が解決しているのです』

『サイエンス・フェアで発表される研究は、大学院や博士課程の水準を上まわるものが多いのです』

本書では主に、2009年のインテルISEFについて描かれていく。そこに参加した、様々な経歴を持つ高校生たちのドラマを描き出していくのだ。科学的な難しい話はほとんど出てこない。科学の本だと思い込まずに臆せず読んでみて欲しい。

本書で登場する高校生は、規格外と言っていい者たちばかりだ。凄い素材を開発し特許を五つ取得、年間で1200万ドルの売上を見込める会社を設立した高校生。14歳にして核融合炉を作ってしまった少年。巨大企業デュポン社に挑戦しFBIから監視されるようになった少女。きちんと教育を受けたわけではない少数民族出身の若者も出場するし、少年矯正施設からインテルISEFの切符を掴み取った者も登場する。彼らがどんな研究成果を持ってインテルISEFにやってきたのか、その個別の話は実に面白いのだが、それらは是非本書を読んで欲しい。彼らのような若者が未来を作っていくのだろうと強く実感できるのだ。

本書を読んで、「環境がすべてなのではない」と感じることが出来るだろう。本書では特に、少数民族出身の若者と、少年矯正施設の若者が特にその印象を強めている。誰もが理想的な環境で生まれ育つことが出来るわけではない。苦しい環境の中でどうにか生きていかなければならない者も大勢いる。しかしそういう環境であっても、ちょっとした出会いや、身近な問題を解決したいという欲求などを起点として、研究を続けていくことが出来る。また、子どもだからと言って出来ないなどということもない。どんな場所にも、どんな可能性でも転がっている。そんな風に実感させてくれる作品だ。

しかし、そう実感するためには日本には足りないものがある。それが、本書で描かれている「サイエンス・フェア」のような場だ。どんな環境で生まれ育っても、そこには可能性はある。しかし、目指すべき場所がはっきりしない場合、その可能性が表に出てきにくくなるだろう。アメリカでは、若者であっても才能や努力を積み重ねれば大人と同じように評価してもらえる場がきちんと存在する。日本はどうだろうか?若者を評価し、その才能を伸ばしていくのに必要な場が限られているのではないだろうか?

僕たち大人が、そういう場をきちんと作って継続させていく。そういう意識を持たなければならないのだ、という考えを抱かせてくれる作品でもあるのだ。そうしなければ、未来は拓けていかないだろう。

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