【映画】「砕け散るところを見せてあげる」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。
高校三年生の濱田清澄は、遅刻した日に行われていた集会で一年生の後ろにつき、そこで、いじめられている少女を見つけた。紙やバドミントンのシャトルや上履きを投げつけられているのを目撃した彼は、その少女に介入することに決める。しかし、体育館で彼女に話しかけた時、奇声を上げる彼女におののいた。しかし、「ヒーローになる」と子どもの頃から決めていた清澄は、1年のクラスにも踏み込み、彼女に関わり続ける。
少女の名前は蔵本玻璃。彼女はある冬の寒い日に、トイレの用具室に閉じ込められ、バケツの水を掛けられ震えていた。それに気付いた清澄は彼女を救い出す。
「変なヤツでいてほしかった。言葉なんか通じないヤバいヤツである方が気が楽だった。でも彼女は、涙も出る、普通の子だった」と、彼女の本来の姿を知った清澄は、「闘いたい」と語る彼女に、ヒーローである極意を教える。
「私は、UFOを撃ち落としたい」
というような話です。

なかなかおもしろい映画でした。正直なところ、観る予定ではなかった映画だったんですけど、観て良かったなぁ。個人的には、ラストに向かって良くなっていくというよりは、中盤ぐらいが一番好きだった。ちょっと、畳み方の難しい作品かなという気もするんで、ラストがダメだったというわけでは全然ないんだけど。

原作は、読んでいる。でも、全然覚えてなかった。原作の玻璃がどんなキャラだったか覚えていないが、少なくとも玻璃に関しては、映像の造形が良いと思う。あの玻璃の感じを、なかなか小説でイメージさせるのは難しい気がする(いや、原作でもちゃんとやれてたかもだけど)。なかなか、リアルに存在するとはイメージしにくいキャラクターだけど、石山杏奈はなかなか上手く演じている感じがしました。なかなか難しかったんじゃないかと思う。

僕も、気分としてはいつも、ヒーローでありたいなぁ、と思ってる。思ってるだけだけど。実際にヒーローでいることは、凄く難しい。清澄は、「ヒーローでありたい」と強く思う理由があった。だから、ヒーローを求める人が目の前に現れた時にすぐ、自分はヒーローとして振る舞うと決めることができたのだろう。

自分が清澄の立場だったら、どこまでやれるだろう。高校生が背負うには、なかなか重い現実だ。玻璃のような境遇に置かれている人を目の前にした時、覚悟が問われる。中途半端に関わるくらいなら、関わらない方がマシだろう。関わるのであれば、全力で関わらなければならない。

【ここに線を引いた。線の向こうには蔵本しかいないぞ。俺がいる方を選べよ】

清澄は、高校1年生の初めは孤独だったが、そんな彼とナチュラルに友人になってくれた友人からこんな風に言われる。そうだろう。現実的に、客観的に見れば、玻璃と関わるのは危険に思える。清澄の周囲は、玻璃を救う彼の行動を評価するが、しかしそうだとしても、清澄が個人でどうにか出来る相手ではない、と考えられる。

【ヒーローは、自分のためには闘わない】

「自分のために闘わない」と決意した玻璃が立ち上がった瞬間とか、傷だらけになりながら清澄を救おうとする姿には、グッと来るものがある。

物語そのものは、全体的にはハードは雰囲気なのだけど、玻璃と清澄の周囲を取り巻く人々が凄く人間的に好きになれるので、暖かい感じがある。特に好きなのは、「尾崎の妹」として出てくる女性。映画観た後でHP見て、彼女が清原果耶だと知って驚いた。全然分からなかった。尾崎の妹の雰囲気は、好きだったなぁ。

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