【映画】「ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇」

予告でこの映画の存在を知って、「絶対に観る」と決めていた。予告で流れる情報でも既に、そのあまりの衝撃的な事実に驚愕させられるほどの内容だ。

決して他人事じゃない。何故なら、映画のラストに、こんな表記が出るからだ。

【今も、世界中の大手食品会社やスーパーマーケットで、奴隷労働によって漁獲された魚が流通している。】

そう、私たちが当たり前のように食べている「海産物」は、「タイで拉致され、数年から十数年単位で遠洋船に隔離され続けた『奴隷』が獲ったもの」かもしれないのだ。公式HPに書かれていたが、日本で流通するキャットフードの約半分はタイ産だという。猫を飼っている人にも無関係ではないということになる。

まず、そのような異常な状況に陥ったタイのシーフード産業の背景に触れておこう。

タイのシーフード産業は年間およそ90億ドル規模で、世界最大級と言われているそうだ。しかしその内実は、違法操業や無規律乱獲が頻発する世界だった。そしてそれは、彼ら自身の首を締めることになった。タイ近海では、魚が撮れなくなってしまったのだ。

そこで漁業会社は、遠洋への進出を余儀なくされた。しかし当然だが、地元の漁師は長期間遠洋に出て漁をすることを嫌がった。人手がなければ魚は獲れない。そこで、違法なやり方で船員を確保し、無理やり働かせているのだ。

そして、そんな「奴隷」を故郷に連れて変える活動をしているのが、この映画の主人公であり、「労働権利推進ネットワーク(LPN)」を夫と共に立ち上げたパティマ・タンプチャヤクルだ。彼女は、2017年のノーベル平和賞にノミネートされたこともあるという。

彼女の活動によって救出された「奴隷」が語る経験は、聞くに耐えないものだ。運良く数年で救出される者もいるが、映画で紹介された中では最長20年も船上での労働を強いられたという人もいた。その間、一切賃金が支払われないそうだ。朝から晩まで、陸が見えない遠洋で働かされる。3ヶ月に1度母船がやってきて、獲った魚と食料を積み替える。母船に魚を積み替えるのは、船員を逃さないためだ。エイの尾や鉄の棒で殴られ、熱湯を掛けられることもあるという。

しかしそれでも、「生きて帰れた」だけでもまだマシと言わざるを得ないかもしれない。船上で命を落とす者も多いからだ。ある人物は、友人から聞いた話だとした上で、「まだ息がある船員を箱に入れて海に捨てた」と証言していた。

映画の中で語られる世界がちょっと信じがたいものばかりで驚愕させられる。

凄いなと感じたのは、船長の感覚だ。この映画には、違法漁船の船長や漁業会社の人間は登場しないので、あくまでパティマたちの推測に過ぎないが、違法漁船の船長は、「自分たちこそが被害者だ」と感じているのだろうと話していた。要するに、「人手不足だから仕方ない」という理屈のようだ。しかし、人手不足だろうがなんだろうが、鉄の棒で叩いたり熱湯を浴びせていいはずがなく、というか無賃で働かせてもいけないし、そもそも遠洋上の漁船に閉じ込めるような扱いをしてはならない。

映画を観ながらずっと、「どうしてこんなイカれた状況がまかり通っているのだろうか」という疑問がつきまとっていた。「奴隷」歴20年の者がいるということは、少なくとも20年以上もこの状況が続いているということだ。その間、警察や国は一体何をしていたのだろうか?

その背景は、映画の途中で少し明かされる。発展途上国ではよくあることと言えばそうなのかもしれないが、違法漁業会社はなんと「警察やマフィアを雇っている」という。マフィアはともかく、「警察を雇う」のはダメだろうと思うが、警察組織が腐敗しているのだろう。警察もこの現状に噛んでいるとすれば、事態の改善はなかなか容易ではない。

映画のラストで、「タイ政府は規制を強化した」と表記されたが、しかしその一方で、「そうなってからも、起訴される漁業会社はほとんどない」という状況でもあるそうだ。賃金が支払われず、指を無くすほどの怪我をしても補償しない、そんな会社が流通させている海産物だから「安い」のかもしれない。しかし、そんな理由で「安い」海産物を食べて、美味しいと思えるだろうか?

LPNでは元々、児童の労働にコミットしていたそうだが、ある時「奴隷」だった船員が助けを求めてきたことから、「海の奴隷」の解放に人生のすべてをつぎ込むことに決めたそうだ。彼女は、息子と長い期間離れ離れになってしまっても、バンコクから6400km離れたインドネシアまで飛び、そこで「奴隷」の救出に奮闘する。素晴らしいと思ったのが、パティマが息子に、きちんと自分の仕事を伝えているという点だ。「ママがインドネシアに行くにはどうして?」と聞くと、息子は「人を助けるため」と答えていた。敢えてそういう場面を映画に組み込まなかっただけかもしれないが、息子が寂しさで泣いているような場面もなかった。傍目にはとても良い関係に見えた。

これまで救助してきた「奴隷」たちの証言から、彼らがいるかもしれない場所を探索するのだが、これが簡単な話ではない。そもそもパティマたちは、「遠洋船に直接乗り込んで『奴隷』を救助する」わけではない。さすがにそれはリスクが大きすぎるだろう。映画の中で映し出されていたのは、「遠洋船から海に飛び込み、どうにか離島へとたどり着いた『元奴隷』を探す」という場面だ。

しかし、「『奴隷』だった人はいますか」と聞いて廻るわけにはいかない。インドネシアでも警察と漁業会社が癒着しているらしく、そんな探索をすれば彼女たちにも危険が及ぶからだ。だから、「この辺りにタイ人やミャンマー人はいますか」と遠回りな聞き方をしながら、「元奴隷」に行き当たるのを根気強く待つしかないということになる。

しかも難しいのはそれだけではない。ようやく「元奴隷」に辿り着いても、そこでさらに厳しい現実に直面することになるからだ。

「故郷に帰りたい?」と聞くパティマに対して、多くの者が「帰りたいけど帰れない」と口にする。この地に、妻も子どももいるからだ。ある人物は、「奴隷」として連れて来られた時が21歳、今はもう45歳になってしまったと語っていた。あまりにも、時間が経ちすぎているのだ。

客観的に観ていると、なかなか徒労に終わってしまうことが多い活動だ。しかしパティマは、歩みを止めるつもりはないようだ。既に5000人以上の「奴隷」を救出しているが、数万人単位で「奴隷」がいると考えられているし、またこの「海の奴隷」の問題は決してタイだけの問題でもないらしい。映画のラストで、アメリカやイギリスにも同様の問題があると表記された。また当然、タイの水産物輸入で世界第2位の日本も無関係ではない。公式HPによると、日本が世界中から輸入した天然水産物の24~36%(1800~2700億円)は、「違法または無報告漁業」によるものと推定されているという。

様々なモノの値段が上がり、家計は苦しくなる一方だが、だからと言って「『奴隷』が獲ったものでも、安ければいい」という判断には抵抗があるだろう。あってほしい。そしてそんな現実を理解するために、この映画を観てほしいと思う。

パティマは、救出した「奴隷」に対してこんな風に言うことにしているという。

【あなたが味わった苦痛は、誰にも分からない。
だから共に伝えていこう。】

人間として、メチャクチャかっこいいなと感じた。

最後に。意外という言い方はおかしいかもしれないが、ドキュメンタリー映画にしては「映像がキレイ」だと思う。僕自身は、映像の良し悪しにはさほど興味がないのだが、ドキュメンタリー映画を観る際によく、「せめてもう少しちゃんとしたカメラで撮れば、もう少し裾野が広がるかもしれないのに」と感じることがある。そういう意味でこの映画は、少なくとも「映像の綺麗さ」という点でも高いレベルで作られていると感じた。

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