【映画】「マネーショート 華麗なる大逆転」感想・レビュー・解説

この映画は、サブプライム危機によって世界経済を破綻させたアメリカ市場を描くノンフィクションのような映画だ。しかし、だからと言って、経済に関心のある者だけが見ればいい映画というわけではない。

この映画が描き出す教訓は多い。それらは様々に表現できるだろうが、僕はこう書く。

「信じるな」
そして
「考えろ」

僕たちは普段から、様々な選択や判断をして生きている。何を食べようか、どんな服を着ようか。どんな職に就こうか、家を買おうか。などなど。大小様々な判断の上に僕らの人生は成り立っている。

それらを、僕らはどんな風に決断しているだろうか?

食べたいものや着たい服なんてのは、まあどう決断したっていい。公衆の面前でもの凄く臭いものを食べるとか、ほとんど裸みたいな服で街を歩くなど、他人に迷惑が掛かるような決断じゃなければ、別に判断の基準なんてあってないようなものだ。好きにすればいい。

仕事を選ぶ、家を買う、結婚する、こういったことはなかなか決断が難しい。何故なら、概ね人生の中で一回、あるいは数回しか決断をしないものであるし、選択を間違えた時のリスクが大きいように思えるからだ。

じゃあどうするか?

信頼の出来る専門家に話を聞く、過去の事例を調べる、ちょっと試してみてから決断する…。様々なやり方があるだろうけど、しかし人々は最終的には、愚かなやり方を選択する傾向が高いと僕は感じている。

それは、「他者を信じる」あるいは「自分で考えない」というやり方だ。

ランキングで人気上位の会社の面接を受ける、売り手側の言いなりになって家を買う、親が薦めてきた相手と結婚する。最終的には、自分で決断をしない。他者にその決断を委ねてしまう。あまりにも大きな決断の場合、自分で判断することが出来なくなってしまう。

僕も、感覚としてはその気持ちは分かる。僕も、なるべくなら自分で決断したくない人間だ。決断しないで済むならそれに越したことはない。

けど僕は、他人に決断を委ねるのは怖い、と感じる人間でもある。

僕は、就活はしないとい決断をして大学を辞め、家は絶対に買うまいと決めていて(そもそも買えないけど、変える立場でも買わないという意味)、結婚もまあしないだろうと思っている(こちらは、出来るかもしれないがしないと決めている)。これらはすべて、自分の決断だ。就活で良い会社に入り、家を買い、結婚して家族を持つことが幸せだと考えられている(一応まだそう考えられているだろう)時代に逆行するかのような決断をしている。

僕の決断が正しいかどうか。まあそれは死ぬまで結論は出ないだろう。それでも、僕は自分のこの決断を、今のところ後悔はしていない。今後どうなるか分からないが、後悔することはないのではないかという気がしている。


大多数の人間が信じていることを信じることは、楽だ。自分で考えずに、流されるようにして生きていける。大多数がそうであれば、社会が多数派に合わせて組み上げられる。多数派に従っておけば、社会的な恩恵を受けられる可能性も増すだろう。

しかし、わからないもの、捉えきれないものを信じることのリスクが常に付きまとう。

この映画で指摘しているのは、まさにそういうことだ。この映画では、経済や資本主義という、世の中のほとんどの人が信じていたシステムの崩壊が描かれる。有史以来、人類を発展させ続けてきた資本主義という仕組みが敗北する瞬間を、僕らは経験したのだ。

そしてそれは、決して経済だけに留まらないだろう。世の中のあらゆるシステムが、もしかしたら幻想によって支えられているかもしれない。システムを根本から理解することが出来ない場合、その可能性は常に付きまとう。僕達は、そのことをもっと意識して生きていくべきなのではないか、と思う。

アメリカは、サブプライム危機を経験した。日本人もかつて、バブル崩壊を経験している。また、九州ではしばらく起こらないと思われていた地震がつい先ごろ起きた。ギリシャという一つの国が破綻するかもしれない、という話題も記憶に新しい。

僕らは既に、様々なシステムに依存して生きている。それは空気のように、普段から意識することもなく存在し、寄りかかっているつもりもなく依存している。インターネット、通貨、政治システム、学校教育、結婚制度、ローン、言語…。これらは、当然に存在するものではない。人類が生活のために組み上げ、大勢の共同幻想によって存在が許容されているシステムでしかない。それらは、いつでも崩壊しうる。多くの人がその存在を信じなくなったら、許容しなくなったら、瞬時に消えてなくなってしまうものでしかない。

この映画を見て、僕は、僕らがどれだけ脆弱なシステムの上に乗っかって生活をしているのか、そのことを痛感させられた。

この映画で扱われるのは、MBS(モーゲージ債)と呼ばれる金融商品だ。MBSがなんなのか、僕には詳しく説明できないが、住宅市場と連動している債権、というぐらいの理解でとりあえずいい。

以下、僕なりの理解で金融的な部分の説明を書くけど、恐らく間違いだらけだと思うので雰囲気だけ受け取って欲しい。

MBSは30年前、L・ラニエーリという男が生み出した。70年代、銀行というのは退屈な場所で、大金とは無縁の仕事だった。安全を売って僅かな手数料を得ていたのだ。しかしラニエーリがその状況を一変させる。住宅市場と連動するMBSとを売りまくることで銀行は莫大な利益を得ることが出来た。

MBSは、格付け機関によって格付けされた、AAAランクからBB、Bランクぐらいまで、様々な債権によって成り立っている。表向きにはMBSは、65%以上がランクAAAの債権で成り立っているとされた。しかし現実には、95%以上が低所得者向けのサブプライムローン(ランクBやBB)で占められていた。これはつまり、低所得者がローンの返済に行き詰まれば、住宅市場と連動しているMBSも無傷では済まないということだ。

さらにウォール街は、CDO(債務担保証券)と呼ばれるものを売りだした。

『CDOこそが住宅市場を混乱に陥れた張本人だ』

映画の中でそう評されるほど最悪な金融商品だったCDO。これは、MBSでBやBBとランク付けされた債権を寄せ集め、格付け機関にランクAAAを付けさせた詐欺的な商品だった。古くなった魚は、刺し身では出せないが、スープに入れてしまえば美味しい料理に変わる。まさにそういう風にしてクズみたいな債権がCDOという名前を付けられて最高ランクの格付けと共に売りだされていたのだ。

低所得者がローンの返済に行き詰まり、住宅市場に影響が出れば、CDOやMBSは確実に破綻する。CDOの2006年頃の販売額は年間で5000億ドル。とんでもない額だ。住宅市場の動向次第で、これがすべて紙くずになる。

そのことに気付いたクレイジーな連中が、何人かいた。この映画は、彼らを描く物語だ。

『不動産市場の活況は一生続くと思われていた』

金融機関にいるほぼすべての人間がそう考えていた。住宅市場は安定だ、下落するなんてことはありえない。誰もがそう信じていた。

マイケル・バーリは、医師から投資会社を設立するに至った変わり種だ。常に爆音で音楽を聞きながらパソコンに向かうバーリ。彼は、様々な指標から、MBSが確実に破綻することに気がついた。彼は、あらゆる大銀行を回り、MBSのCDS(債権の保険契約)を買いまくった。CDSは、対象となる金融商品が下落した場合にリターンがある。しかし、下落しなかったり上昇すれば、相応の保険料を支払わなくてはならない。バーリは、合計で13億ドルものCDSを買い漁る。保険料だけで年間8000万~9000万ドル掛かる。バーリは、顧客から罵詈雑言を浴びせられながらも、自分の信じた投資を続ける。

ドイツ銀行のシャレド・ベネットは、同僚から、MBSのCDSを買いまくってる狂った男がいる、という話を聞かされる。ベネットはその話に関心を持ち調べ始め、やがて世界経済の破綻に賭けたCDSの販売を始めることになる。

ベネットが間違えて電話を掛けた先にいたのが、マーク・バウムがいる投資会社だ。金儲けが下手なせいでモルガン・スタンレーの傘下に収まることになったバウム率いる投資チームは、ベネットの話を聞き、住宅市場について調べ始める。不正や詐欺を一切許さない高潔な男であるバウムは、住宅市場を中心にして行われている様々な金融取引が、まさに詐欺であることを確信し、CDSの空売りに踏み切る。

チャーリー・ゲラーとジェイミー・シプリーの二人は、JPモルガンに出向いていた。ISDAの同意書を手に入れるためだ。この同意書がなければ、大きな取引が出来ないことになっている。11万ドルの資金を数年で3000万ドルまで引き上げた彼らは、しかしまだその同意書を手にすることは出来なかった。
しかし彼らはJPモルガンのロビーで偶然、MBSの破綻を予測する資料を発見する(しかしこの、資料を発見したという件は虚構だ。実話ではない)。彼らは独自に調査を初め、世界経済の破綻に賭けることに決める。ISDAの同意書を得られないでいた彼らは、元JPモルガンのデイトレーダーであるベン・リカートに協力を仰ぐことにする。

もし彼らの読み通り世界経済が破綻すれば、信じられない額の金が手に入る。しかし、読みを外せば破産だ。賭けに乗った面々は、その日が来るのを信じて待つ…。

というような話です。

僕は以前、この映画の原作である「世紀の空売り」という作品を読んだことがある。しかし、本で読んでも結局、MBSなどの仕組みについてはイマイチ理解できなかった。映画では、原作よりも遥かに経済的な部分は抑え目に作られているが、それでもやはり難しい。

だから映画ではその説明をかなり工夫している。作中で三度、“観客”に向けて経済的な部分に説明が挿入される。最初はバスタブに入った裸の女性、次は一流レストランのシェフ、そして最後にカジノの客二人。彼らが、“観客”に向けて、理解し難いがストーリー上知っておいた方がいい知識について説明してくれる。

それらは、映画の流れを確かにぶった切る形で挿入されるのだけど、しかし映画の雰囲気を壊すようなものではない。映画の中から“観客”に向けた説明が挿入される映画なんて、僕はたぶん見たことがないから非常に面白いと思った。全編、ある種の狂乱に包まれながら展開していく映画にあって、唐突に挿入されるその三つの“観客”への説明がうまく馴染んでいる。最初のバスタブの女性の登場はちょっと唐突だったと思うけど、シェフがCDOという詐欺のような金融商品について説明するくだり、そしてカジノの客が合成CDOという狂った仕組みの金融商品を説明するくだりは、非常に分かりやすかった。正確さを無視して、しかも映画全体の流れを切ることなく、難しい知識を“観客”に説明した、という点で非常によく出来た部分だったと思う。


また、“観客”への説明は、経済的な部分の説明に留まらない。時々、先に名前を挙げた主人公級の人物たちが“観客”に向けて話し始めるのだ。例えば先に書いた、JPモルガンのロビーで資料を拾った話。これは、ゲラーとシプリー、どっちだったか忘れたけど、唐突に“観客”に向けて、「これは虚構だ。実際は、シプリーが友人から話を聞いて調べ始めた」みたいなことを言い出す。こういう場面が作中にいくつかある。

また、映像がドキュメンタリー風に撮られているようにも感じられた。固定のカメラできっちり撮るのではなく、手持ち風のちょっとぶれたような感じで、しかもピント合わせもちょっと戸惑うみたいな、ドキュメンタリー映画でよく見るような感じの映像が結構出てきた。

“観客”に向けて話すのも、映像をドキュメンタリー風にするのも、共に、この映画はフィクションだが、実際に起こったことをベースにしているのだ、ということを演出しているのかな、と受け取った。実際に、すべてのシーンではもちろんないが、ドキュメンタリーを見ているような錯覚に陥ることは度々あった。フィクションらしい、わざとらしい展開がなかったこともあって、リアルな出来事として映画を受け取ることが出来たように思う。

作中では、先に名を挙げた人たちが、MBSやCDOがいかに酷い商品であるかを、そしてウォール街がやっている経済行為がいかに詐欺的であるのかを言い募った様々な表現が登場する。

『市場を下支えしているのはサブプライムローンだ。時限爆弾だ』

『燃え盛る家の前で、火災保険を勧めている』

『CDOは国債並の評価だが、いずれゴミになる』

『ウォール街がどでかいミスをした』

『合成CDOは、爆発寸前の原子爆弾だ』

『資本主義の終焉だ』

『ウォール街の前例のない犯罪行為だ』

彼らは、事実を知れば知るほど、いかに馬鹿げたシステムにこの国の経済が乗っかっているのかに気づく。そして、誰もその事実に気づいていないことに唖然とする。

人々は、前提とする様々な考え方を“信じて”自らの決断をする。前提となる考え方を疑うことはほとんどない。しかし、まさにサブプライム危機は、世の中のほとんどの人がその前提を疑わなかったが故に起こった。

東日本大震災の際、「想定外」という言葉を頻繁に耳にした。確かに、想定できない出来事は起こりうる。しかしそれは、自らが前提とする考え方を精査してから言うべき言葉だ。前提を無条件に信じた上での「想定外」など、存在し得ない。

サブプライム危機が一段落した時、5兆ドルの年金が失われ、800万人が職を失い、600万人が家を失ったという。失ったものはあまりにも大きい。しかし銀行は、名前を変えただけでCDOとまったく同じ金融商品をまた売り始めているとのこと。人間が愚かである以上、そして有史以来人間は愚かであり続けたはずだが、人間はまた同じことを繰り返すのだろう。

映画を見ながら、もし自分が彼らとまったく同じ情報を手にできたとして、彼らと同じように世界経済の破綻に賭けた空売りが出来たか、と自身に問うていた。何度問うても、無理だな、という結論に達する。どれだけそれが確実な未来であると確信出来ても、大金をそこにつぎ込む事はできないだろう。だから、基本的に部屋から出ず、ネット上で手に入る情報だけから判断し、13億ドルものCDSを空売りしたバーリには驚愕する。バーリ以外は、様々な人に会ったり調査をしたりして、住宅市場がバブルであること、そして世界経済が破綻するしかないことを確信する証拠を少しずつ積み上げていくのに、バーリだけはそれをしない。恐らく世界で初めて世界経済の破綻を予測し、大金を投じた。そのクソ度胸は、どうやっても僕の内側からは探し出せないものだ。

最終的にバーリは、489%という驚異的なリターンを得て、ファンドを閉じることに決める。「この2年間は、内蔵が蝕まれるような思いだった」と語ったバーリ。表にはそんな素振りは見せないが、確信があったとしても不安はあっただろう。それでもバーリは、一度たりとも弱気を見せることなく、自分の考えを貫く。作中で最もクレイジーだったのは、間違いなくバーリだろう。

そんなクレイジーな生き方を、僕もしてみたいものである。

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