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小説 『桜』 『カーテン』 4/24新歓文章会より


今回は4月24日に行われた新歓文章会で提出された、新入生の小説を二つ、紹介いたします。
参加者の講評も掲載するので、文章会への参加を検討されている方は雰囲気を知る一助になれば幸いです。

『桜』

東京大学の一年生、瀬戸ミチルさんの作品(未完)です。
高校三年生に特有の、自己とすべきことが乖離した浮遊感と、薄膜がかかったような焦燥感を見事に表現しています。心理表現に優れ、桜というモチーフの存在感のバランスも取れています。後書きが、一種の枠構造に取れるところも面白いです。
文章表現に確かな力があり、詩文を紡ごうという意図も成功していて、非常に将来性を感じる作品でした。一方、書き出しの文章表現の重厚さと、その後の非連続性や小説としての「フック」(設定や表現にあえて残された突っかかる部分。読者を小説そのものに対して意識的に作用し、また小説の魅力になりうる)の欠如といった課題も残る作品となりました。しかし、その課題はむしろ更なる魅力の裏返しのようなものなので、今後の作品を大変楽しみにしています。
以下、当日の議事録です。

M 段落間のテイストが違う。クエスチョンメーク、漢字が多い。

N 「饗宴」という単語の是非。疑問停止する主人公の転換にもっとカタルシスを。地方から東京へ、ではなく、東京から地方へ。面白い。地方に行く漠然とした恐怖感が足りない。

Hr 疎外感。高三特有のふわふわした感じ。進路の具体性のなさが作用している。

Hs 新しい彼氏ができる、という転換を淡々と描くことで、じわじわとした孤独感。桜の色の描写以降、色覚の描写がない点。

F 回想の挿入。過去に囚われて未来に踏み出せない。おもしろい。前半と後半の乖離。

K 「池に手を伸ばす桜」好きな表現。主人公の心情が読み取りやすく、面白い。時系列がバラバラ、掴みどころがない感じ。

Hm 丁寧。心の機微を説明する丁寧さ。ぼんやりとした〜の表現。綺麗。

T 表現・文章的に優れている。うますぎるがあまりに、ひっかかるものがない。(フックのなさ)。海生哺乳類がフックになる。小説の枠。語り手の問題。舞姫論争に通じる。

作者L Tの質問に対して書いててしっくりきたから、語り手と作者が一致。私小説。相対化できなかった。最初の段落が浮いているかは、最終的に判断してほしい、モチーフをリマインドさせる工夫が必要か。海生哺乳類は作為的でない。東京から地方へ。後半の受験シーンで回収したい。

N 文章表現よりも設定で凝った方がいい。「冬眠する少女」のような。


『カーテン』

東京大学の一年生、慈幸(シゲユキ)さんの作品です。
どこか翻訳っぽい、初期の村上春樹のような格好良い文体が魅力的です。
この作品は、『何を書くべきか』という作家をするうえで直面する命題を克服してるように思えます。文章表現、作品の小説たる自意識、おしゃれな枠構造、どれをとっても、意図と意思を感じますし、それらが成功し、きちんと機能しています。
一方で、完成度が高すぎるあまり、もっと(あるいは何か物足りないという)可能性を見たいという勝手な欲のようなものも感じてしまいまうのは、活字の好きな人間の悪い癖なのでしょうか……
しかし、作家性というものは書いているうちに直ぐに変わってしまうものです。彼は5月にも文章会に参加してくれましたが、その作品はまた違う、豊富な可能性を感じるものでした。
以下、当日の議事録です。

作者コメント ものについて書きたい。そこからの小説。カーテン。

C 物語に対して丁寧に描写する方式でなく、(一瞬の)情緒を散りばめる。ちゃんとおしゃれに、外さないかっこよさ。セイは闇、ランは光。僕は物書きになっていく。セイの言っていることをもっと明かしてもいい。ランと何があったのか気になる。しかし細部のうつくしさとの両立は難しい。

O 全体として、おしゃれさに注力している。夢の箇条書きなど。村上春樹っぽさ。セイに喋らせた方がよかった。

Hr 読み応えがある。雰囲気だけになっていない。坂口安吾の精神。視点が分かりづらい。不快=快=不快の流れが文章だけでは読み取りづらい。

L 初期の村上春樹っぽさ。一昨書き切る力。文体で読ませるな。もう少し読み手のいる文章になってもいい。中黒と空白の接続。具体性の不足。

Hs かっこいい文体。どこか英語っぽい。カーテンは何かを隠すもの。セイとランに対するカーテンのモチーフのあり方。

F 文体がすごい美しい。主人公のカーテンに対する思いの変遷。閉鎖的なモチーフ。風船は開放的。

作者 カーテン周辺の記述の少なさが気になっている。独りよがりな部分もある。カーテンには、動きがあると音が出る。それが選定理由。内面の多さの記述につながる。


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