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その、背中


 その瞬間まで私は、恐怖の只中にいた。

 繰り返し。

 小型の犬の様なヒュージが私の足を食い千切ろうとし。
 空から飛ぶ卵の様なヒュージが私に体当たりを迫り。
 羽虫のようなヒュージが視界をうるさく飛び回り。

 繰り返し繰り返し。

 もちろん私はリリィなのだし、手には慣れた手触りのCHARMがあり。
 振り回すけど。撃つけど。振り回すけど。
 当たるけど。当たるけど。当たるけど。

 繰り返し繰り返し繰り返し。

 雲霞のごとく押し寄せるヒュージの波、波、波。
 なのに私は一人。独り。ひとり。

 助けて。
 助けて。
 助けて。

 声が出ない。

 そのうち、私のマギが尽きる。

 手は重く。足は重く。

 足が、齧られる。

 腕が、千切られる。

 首が。胸が。腹が。

 助けて。助けて。助けて。助けー

 

 意識が真っ白になると、再び私は、五体無事な姿で再びヒュージの只中にあって。
 でも一人で。
 でも独りで。
 でも、ひとりで。

 繰り返し繰り返し繰り返し。繰り返し繰り返し繰り返し。繰り返し繰り返し繰り返しーーー

 声にならない叫びが私の喉を焼き尽くした、その時。


「おい。目ぇ覚ましな」
 目を開く。
 今度は本当の目を開く。
 本当の視界の中に入ってきたのは、黒髪の、ざんばら前髪の向こうにシルバーフレーム。奥に覗くキツイ瞳、目のチカラ。
「桐加賀…せんぱい…」
「おう、桐加賀琉子だ。知ってるか?」
「もちろん、です…!」

 後で忍さんから説明されたところには。
 忍さんが放棄した研究を勝手に盗み、半端な形で完成させようとしたヤツラは、そのために私をさらい。
 私のレアスキル、短時間ながら無限大に近いマギを引き出すこのチカラを使って、ひたすらマギを吸い上げるため。
 私を特別なポッドに押し込め、ひたすらヒュージに襲われた過去の記憶を繰り返し見せていた、らしい。

 私を実験動物にしたヤツラ。そいつらにはキッチリ仕返しをしてやりたいけど… そのアジトだった研究所は、見る影もなく半壊。あちこちから黒い煙を吐き、今も時々、ドカンドカンと爆発する音がする。
 …え? これ、琉子さまがひとりでやったの? 

「さーて、逃げ出すとするかぁ!」
 長い刀型のCHARMを担ぎながら、琉子さまは私に、私のCHARMを投げて寄こす。
「使えるんだろ、それ」
「は、はい」
「じゃあ、早速」
 そういって肩越しに指を指す。そこには。
「ヒュージ!!!」

 今度は本物だ。本物のヒュージだった。
 訓練で叩き込まれた動作を体がなぞる。
 CHARMを振り上げると同時にガンモードへ。
 コアクリスタルの輝きを目の端であらためながら、銃口を、向ける。
 体内のマギをまとめ、吸い上げ、コアクリスタルへ。
 低い唸りと共に機関部が駆動。
 マギを圧縮、加速ー
 銃口を”そっち”に向け、撃つ。
 放たれた光弾はあやまたず、敵を貫いた、と感じる。

 …見てないけど。

 ひとつ倒してもふたつ、みつ。
 後から後から、ヒュージがやって来る。
 怖い怖い怖い。とても、怖い。

 撃つ。撃つ、撃つ、撃って撃って、また撃つ。

 でも飛んでくるやつらの数は多くてー
 まっすぐ私達に向かって飛んでくるやつが
「ああああああああ!!!!」
 目の前に、ヒュージが大写しに。
 無機質な目が。
 牙が。
 爪が。
 私の手が止まる。指が止まる。
 固まって。動かなくなって。
 CHARMを向けることすら、

「ハ、」

 真っ二つになった。

「アハハハハハハ!!!」

 笑っていた。

「アハハハハァハハハハハァハハハハッハァアアアアア!!!!」

 笑っていた。
 斬っていた。
 振るっていた。
 長い長いその刀が、その軌跡が見えなくなるぐらい、速く。
 ひとすじ、ふたすじ、みすじ。
 いつつ、むっつ、ななつ、
 いや、それ以上に。
 無数に。

 琉子さまが振るう銀の軌跡が描く結界。
 一歩でも踏み込んだヒュージたちは、次の瞬間には真っ二つになって弾け飛ぶ。

「おい、休むなよ」
 首を半分、少しだけこちらを向いて。
「は、はい!」
 近寄るヒュージがいなくなり、再び私の体は言うことを聞くようになった。それでも、あの目、あの牙を見ると身がすくむ。
 だから”そちら”をー
 やつらの気配のする方に向け、引き金を、引く。

 ひとつの群れを倒し尽くすのに、それほど時間はかからなかった。でも。
「突破するぞ」
 次の群れが来る前に。
 密度の薄いところを貫いて、ガーデンの防衛網がある市街まで走る。そう言われた。
 でも。でも。 
「怖いんです」
「はぁ?」
 メガネのフレームを直しながら、琉子さまが聞く。
「お前、けっこうヤるじゃないか。いい腕してる」
「あ、射撃ですか?
 はい、射撃は、得意です。当たります。
 でも、だめです。
 だめなんです」
「何が」
「私、怖い。
 怖いんです。
 怖くて怖くて。
 もう手も、足も、うごかないんです。
 あいつらの… あいつらの姿が目に入ると、体が、固まって…!」

 琉子さまの顔は見れなかった。
 呆れられていると思って。
 恐怖に体が縛られるなんて、リリィ失格だと思って。
 そう、言葉にはしなくても、視線で、表情で、そう言われるのが嫌で。
 でも。

 背けた顔を、ぐいと覗きこむシルバーフレーム。
「でもお前、当ててるじゃねぇか。見てないのか」
「なんとなく向ければ、当たる、から…
 良く見えないうちに、撃てば、いい、から…」
「なんだそれ。凄ぇな。
 アタシとは大違いだ。
 ハハッ」

 琉子さまは再び前を向き、刀を担ぎ直す。
 いよいよ私に呆れたのか。見捨てられるのか。
 ーでも彼女は、空いた手で自分の背を指差した。

「…じゃ、お前はアタシの、背中だけ見てればいいサ」
「え?」
「アタシは撃つの苦手なんでナ。びゅんびゅん飛んでるうるせぇの、任せっっからさ」
「ええ?」
「アタシの背中だけ見て、まっすぐついてくりゃいいさ。てきとーに撃ちながらさ。それでいい」
「……」
「それでいいから。
 ーついてこい」
「……はい!!」


 あれからもう何ヶ月も経った。
 そして私は、今も。
 今もその背中を、その背中だけを、見てる。

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