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薄っぺらな「いのちの大切さ」を説くよりも

※文化時報2021年10月11日号の社説「宗教界も備えよ」の全文です。

 新型コロナウイルスを巡る政府の緊急事態宣言が9月30日に解除された。私たちは、感染拡大の波が来るたびに右往左往し、去るたびに解放感を味わってきた。こんな繰り返しはもう、終わりにしたい。

 「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではなく、振り返って課題を検証すべきだ。感染拡大の第5波では、東京や大阪などで病床が確保できず、救えたはずの命が救えなかったという悔やんでも悔やみきれない事態が相次いだ。医療や政治はもちろん、宗教もなぜそうなったのかを分析しなければなるまい。

 病床確保は医療や政治に押し付けられる問題かもしれないが、人命という意味を超えた「いのち」がないがしろにされたのであれば、宗教こそ責任を負うべきである。薄っぺらなスローガンでいのちの大切さを説くことに甘んじず、生死を分けたものは何か、なぜ生死が分けられなければならなかったのかを納得させることができて初めて、宗教は人々から支持される。

 コロナ禍に対し、伝統仏教教団は昨年の第1波を受けて声明を相次ぎ発表したが、それ以降はほぼ沈黙してきた。釈尊の「無記」や、「賢者は黙して語らず」といった格言があるように、言葉を費やすよりも黙って理解させようという判断が働いても不思議ではない。祈禱や坐禅といった祈りの姿を見せることが安心につながる、という意見もあろう。

 ただ、コロナ禍から約1年半が過ぎて状況が変化し、さまざまな課題や矛盾が社会に生じてなお、何も語らないのであれば、語る言葉を持っていないと受け止められても仕方ないのではないか。

 一方で、波の合間に経済活動が息を吹き返し、参拝者が元に戻ることを期待する声が、拝観寺院を中心に聞かれる。

 京都市観光協会は、市内の主要ホテルと旅館の客室稼働率について、紅葉シーズンに入る11月は22.7%になると予測しつつ、行動制限の緩和や消費喚起策の内容・時期次第では「直前に宿泊予約が殺到する可能性もある」と、8月のデータ月報で指摘した。
 
 それが、寺院のにぎわいと仏法を広めることにつながるのなら、大変喜ばしいことである。

 しかし、社会の風潮に安易に従うことは、避けた方がいいのではないか。

 例えば、新型コロナワクチンの接種証明を用いる大規模イベントを寺院で開催したり、拝観や法要、法話会への出席条件に接種証明を求めたりすることには、慎重になるべきだ。ワクチン接種の強要や、受けない人への差別につながりかねないからである。むしろ、接種証明を使った政府による行動制限緩和が本当に適切かどうかを、宗教界が問題提起してもよかろう。

 第6波は、必ず来ると言われている。いつになるかは誰にも分からないが、備えは誰にでもできる。宗教界も、備えを怠ってはならない。

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