〈25〉お寺の外の聞法会
「お寺には一度も足を運んだことはないのですが、ここなら気軽に来られました」。何十年来のご門徒さんが、ご夫婦そろって「しんらん入門講座」へ来てくださった。
真宗大谷派瑞興寺(大阪市平野区)の清史彦住職が主宰する勉強会で、会場は篤信の門徒が建てた聞法会館「安住荘」(同区)。筆者にはちょっと理解が難しい心理だが、「お寺じゃない方が住職のお話を聞きやすい」と、ご夫婦はおっしゃった。
安住荘は「お寺ではない場所で聞法会を」という願いを込めて建てられた。約50年にわたり毎月の聞法会が続いてきたのを、昨秋から筆者が運営を引き継ぐことになった。
1月13日、リニューアル後初となる聞法会が開催された。新型コロナウイルスの感染が急拡大したが、ご聴聞に来てくださる方がたくさんいた。どの方も真剣に耳を傾けておられる。この場を維持していく責任を改めて感じた。
初めて来たという看護師さんがいた。休憩時間にはお茶を配る手伝いを率先してやってくれた。以前から出入りしている人かと間違えるほどだった。「お寺へ行くのに慣れているのですか?」と尋ねると「いいえ、行ったことはありません」と。
今さらだが、安住荘というのは不思議な場所だ。お寺にお参りするのは躊躇(ちゅうちょ)する人が、気安く訪れることができる。そして、法話に耳を傾ける。そんな人が一人や二人ではなかった。
社会に求められているということを、訪れる人が教えてくれる。幸い、法話をしてくださる住職はたくさんいる。訪れる人の気持ちも分かってきた。場所を維持する意味もはっきりした。
「老病死」の最前線にいる看護師の中には、仏教を学びたいという人が少なくない。でも、お寺へ足を運ぶのには勇気がいる。「教えてやろう」という僧侶側の姿勢はないだろうか?「暗黙のルール」が人を遠ざけていないだろうか?
共に学ぶ姿勢と「善(よ)い人でなくていいんです」ということを、大事にしていきたい。(三浦紀夫)
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