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〈2〉お金だけが頼りか

※文化時報2021年1月25日号の掲載記事です。

 身寄りのない人が亡くなると、お金があっても葬儀ができないことがある。自宅に現金が残っていれば、民生委員などの力を借りてできなくもない。でも、銀行口座ならば、他人には手も足も出ない。

 実際にそんな問題が起こっている。大阪市内に寺があるK住職も経験した。一人暮らしの信徒が急死した。金銭的には裕福なのだが、親族への連絡先が分からない。ご遺体は火葬されることなく葬儀社の保冷庫へ。「こんなことになるなら、寺としてもっと檀家のことを知っておくべきだった」と痛感したそうだ。

 結局、数週間後に息子さんと連絡が取れ、葬儀を執り行うことができた。もし、どの親族とも連絡がつかなければ、行政の手で火葬され、財産は国庫へ入ることになっただろう。

 一人暮らしの高齢者は「お金だけが頼り」と思っている人も多い。気持ちはよく分かる。

 近隣に認知症が進んだ一人暮らしの高齢者がいる。光熱費の支払いが滞り、家の中には賞味期限が切れた食品が散乱していた。心配したケアマネジャーが、ご本人立会いのもと預金の確認をした。何通も出てくる通帳を合算すると、なんと億に近い金額だったそうだ。ご本人には全くその自覚がない。涼しい顔で「預かっておいて」と言ったそうだ。

 介護保険制度が始まって20年が経過した。あまり知られていないが、実は成年後見制度も同時に始まったのだが、残念ながら、介護保険ほどは広く利用されていない。

 もちろん、制度上の欠点もある。後見人になっていた弁護士らによる横領事件もごくわずかだが起きている。だからといって、世の中に必要がない制度とはいえない。

 お金がなくては生活できない。現代のわが国ではそうだろう。しかし、お金は「いのちのよりどころ」となるのだろうか。老後のためにと貯めたお金も、認知症になってしまえば使うことが難しくなる。死亡すれば、お金がひとりでに動いてくれるわけでもない。

 それを伝えるのが、僧侶の役目ではないだろうか。(三浦紀夫)

 三浦紀夫(みうら・のりお)1965年生まれ。大阪府貝塚市出身。高校卒業後、一般企業を経て百貨店の仏事相談コーナーで10年間勤務。2009年に得度し、11年からビハーラ21理事・事務局長。上智大学グリーフケア研究所、花園大学文学部仏教学科で非常勤講師を務めている。真宗大谷派瑞興寺(大阪市平野区)衆徒。
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