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〈社説〉ビハーラ活動への苦言

主筆 小野木康雄

※文化時報2024年7月12日号の掲載記事です。

 拝啓 浄土真宗本願寺派のビハーラ活動者の皆さまにおかれましては、日々の尊い取り組みに、心から敬意を表します。終末期医療や介護を受ける人々と家族が抱える「いのちの苦」を和らげるのは、並大抵のことではないと存じます。真宗の教えをいただく皆さまだからこその活動だと、感じ入る次第です。

 私は2011(平成23)年に前職の一般紙で宗教担当記者となって以来、ビハーラ活動に関心を持ってきました。緩和ケア病棟で患者や家族の苦悩に耳を傾ける僧侶を密着取材し、そうした僧侶を養成する現場にも立ち会ってきました。父が脳梗塞で倒れ、「家族の話を聞いてくれる宗教者が、もっと医療現場にいれば」と痛感したことで、現職に転身する決心をしました。

 そんな立場から、本日はあえて苦言を申し上げます。

 先日、本願寺津村別院(大阪市中央区)で、障害のある子やひきこもりの子の「親なきあと」に関するビハーラ大阪の研修会がありました。講師は、お寺の支援に期待を示しました。

 すると、参加者の一人から、講師と私の携わる活動にすぐにでも参画したいとお申し出がありました。やりとりの末に条件が整わずお断りすると、その方は私たちの活動を侮辱するメッセージを送ってきました。

 1月に本山本願寺(京都市下京区)で行われたビハーラ活動全国集会では、やはり「親なきあと」の講演で、質疑応答の際に「こんな話を聞くために来たのではない」などとこの講師を罵倒する参加者がいました。

 ちなみにこの講師は講演を年間約50回行い、他教団の研修にも登壇していますが、非難された経験はこの2回だけだったそうです。

 本願寺派のビハーラ活動は1987(昭和62)年に始まり、2018(平成30)年時点では32教区で2580人が活動していると聞いています。クレーマーは一部の方で、大多数は立派な方々だと知っています。

 それでも、活動者の75%が60代以上で、若い世代の参加が少ないのを見ると、いささか独善的で傲慢(ごうまん)な体質が敬遠されているのではないか、という気がしてならないのです。

 皆さんは、この文章の最初の段落に、違和感を抱きませんでしたか。

 読み返してみてください。「いのちの苦」を和らげることなど、本当にできますか。真宗は、人間が人間を救う教えですか。救えないと自覚するからこそ、多くの支援者は研鑽(けんさん)と学びを重ねるのではないですか―。これは、心地いい言葉を真に受けて慢心していないか、確かめてほしくて書いた文章なのです。

 ビハーラ活動は、唯一無二の心のケアではありません。どんな社会課題も、単独の団体では十分な成果を出せないほど複雑化した時代です。皆さんも、さまざまな分野の方と協働する必要があるでしょう。

 だとしたら、周囲が協働したくなるような、真摯(しんし)で謙虚な態度を取りませんか。実績を誇る前に、誰のため、何のために活動するのかを考えませんか。

 社交辞令ではなく、ビハーラ活動の発展を心より念じているからこそ、苦言を申し上げました。合掌

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