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〈13〉コロナ下の檀家回り

※文化時報2021年7月12日号の掲載記事です。

 新型コロナウイルスの影響で入院中の家族に面会できないと嘆く人が増えている。

 筆者がこの1年間に導師を務めた葬儀も、そんな家族ばかりだった。臨終の時にそばにおれず、最後に顔を見たのはモニター越し。それどころか、ご遺体の引き取りで病院に入る家族の人数も制限されている。いま入院中に亡くなったら、子や孫ですら対面できるのは葬儀ホールでということになるやもしれぬ。子や孫に「死に際」を見せることもできない。

 こんな男性もいた。「妻が何号室に入院しているのかも分からない」という。面会できないのだから、何号室にいるかを伝える必要がないという病院の判断だそうだ。モニター越しに見る妻は反応がない。意識はなくとも、手足をさすってあげたい、肌の温もりを感じたいと思うのが夫婦だろう。コロナ禍は、それをも奪っている。

 家族ですら面会できないのに、赤の他人の僧侶が会えるはずもない。だからといってお寺に引っ込んでいるわけにもいかない。

 面会できないと嘆く家族のケアに回らねばならない。医療や福祉の専門職も見落としてしまいがちである。気付いていても、専門職であるが故に手が出しにくいという事情もあるだろう。

 筆者の福祉仏教は訪問が基本である。時には缶ビールをもって訪れることもある。「飲みに出掛ける」という発散の機会もコロナ禍は奪ったのだ。前述の男性は、妻が入院したので独りぼっちで家で過ごしている。リタイアしたシニア層で、一日中誰とも会うことがない。元々職人かたぎなので、他者と接するのは好きではない。妻の入院がきっかけとなり、男性の心身も弱っている。こういう家にこそ訪問したい。

 気持ちがあっても「そんな人にどうやって出会えばいいのか?」という質問をよく受ける。「出会っているのだが、気付いていないだけ」ということはないだろうか? それとも、現代の寺院は檀家の家庭事情が見えなくなっているのだろうか?

 灯台下暗しのことわざもある。コロナ禍で嘆いている人はいないか、檀家を回ってみてはいかがかと思う。(三浦紀夫)

 三浦紀夫(みうら・のりお) 1965年生まれ。大阪府貝塚市出身。高校卒業後、一般企業を経て百貨店の仏事相談コーナーで10年間勤務。2009年に得度し、11年からビハーラ21理事・事務局長。上智大学グリーフケア研究所、花園大学文学部仏教学科で非常勤講師を務めている。真宗大谷派瑞興寺(大阪市平野区)衆徒。
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