【能登半島地震】集落に1人…門徒が墓守 穴水町・石本文夫さん
※文化時報2024年2月13日号の掲載記事です。
元日の能登半島地震で被災した石川県穴水町のある集落で、1人残って墓守を続けている男性がいる。石本文夫さん(71)。地震前に暮らしていた15世帯は、全員が同町にある真宗大谷派光宗寺(住川佑見住職)の門徒だった。「故郷は捨てられない」。避難していった他の住民たちを案じながら、墓石を立て直して回り、念仏を唱えている。(佐々木雄嵩)
集落の住民にけがなどはなく、住宅にも大きな被害はなかったが、ライフラインが断たれたことで集落全員が集会所での避難生活を余儀なくされた。ほとんどが70代以上の1人暮らし世帯。肩を寄せ合い、励まし合って毎日を過ごしてきたが、水道の復旧にめどが立たないことや土砂崩れへの不安が募った。
石本さんを除く住民は1月17日までに、町外の2次避難所や親族宅に身を寄せた。
石本さんは「生まれ育った故郷は捨てられない」と、全員が集落を離れてから自宅へ戻った。
地震前日の大みそかには、金沢市に住む息子夫婦が孫を連れて遊びに来ていたが、元日の午前中に帰った。「家族や親戚、集落の皆にけがはなかった。それだけでもありがたい」と語る。
息子は「金沢で一緒に暮らそう」と言ってくれるが、負担になりたくないと断った。ならばどうしても来るという息子を「雪が解けるまで待て。家族があるだろう」とたしなめた。町中心部までの道は狭く、傾斜の急な未舗装路もあって、積雪で閉ざされてしまうこともある。5キロほど山を下った電波の届く場所から、定期的に安否報告をする約束で、息子も渋々納得したそうだ。
お寺も被害…救済に動けず
「気楽な年金生活だと思っていたが、今はやることがたくさんある」
そう語る石本さんは、午前中は集落を回り、地震で倒れた墓石を立て直している。1人で行うには危険な重労働だが、転がったままの墓石が忍びないのだという。「壊れていても、せめて元の場所に戻してあげたい」。長く付き合いがあった住民の月命日には、忘れずに花を供え、念仏を唱えている。
昼ごろに帰宅すると、井戸水をくんで汗と泥にまみれた服を洗濯。終わってから炊事する。避難所を閉じる際にもらった食料でしのいでいるが、そろそろ買い出しに行かなければならなくなってきた。
電気が復旧してからはテレビを見て過ごしていたが、地震関連のニュースに嫌気がさして見るのをやめた。いまは一仕事を終えた後の一服が何よりの楽しみだそうだ。暖房は薪(まき)ストーブのみ。地震で倒れた杉を切り、薪として使っている。「杉は駄目だね。パッと燃えて長持ちしないよ」。そう語りながら、新しい薪をストーブにくべた。
今後は自宅の床や建具を少しずつ修復していくそうだ。「春が待ち遠しい。早く孫の顔が見たい」と話し「その頃には住民も戻ってくるだろうか。墓を見たら驚くかな」と目を細めた。
町中心部に近い光宗寺は集落の現況を把握しているが、直ちに門徒救済に動ける状態にはないという。今回の地震で寺は大きな被害を受け、寺族は町外に避難している。
真宗大谷派能登教務所に設けられた現地災害救援本部は、集落のある地区の支援も進めたい考えだ。