【能登半島地震】墨書に見る希望 八坂神社で書家の僧侶が作品展
※文化時報2024年11月19日号の掲載記事です。
元日の能登半島地震で被災した石川県七尾市。本堂と鐘楼堂の解体を余儀なくされた真宗大谷派願正寺では、書家の前住職・三藤(みつふじ)観映氏が、書を通して希望を見つけようとしている。「言葉は凶器にも、救いにもなることがある」。利き手の右手を動かせなくなった自らの困難を乗り越え、再建のために左手で書をしたためる。(松井里歩)
野村宮司が呼び掛け
10月25~28日、三藤氏と弟子の僧侶・神職らによる書作展「墨縁が結ぶ神仏習合の世界」が八坂神社(野村明義宮司、京都市東山区)の常磐新殿で開かれた。一門による新旧約115点がずらりと並び、迫力ある字が来場者を圧倒。七尾市の被災店舗「高澤ろうそく」と、輪島塗などの伝統工芸品を扱う「あらき」が出店し、復興への決意を印象付けた。
三藤氏は、大谷派の大谷暢顯前門の書道相談役を務め、日展入選31回を果たした高名な書家だ。
書作展の開催は、三藤氏が昨年、七尾市文化賞を受賞したことがきっかけだった。当初は地元の和倉温泉で記念祝賀会と個展を今年5月に開こうと企画していたが、地震で温泉街も被災し、計画は中止を余儀なくされた。
そうした中、弟子の一人で同郷の野村宮司が三藤氏の境遇を案じ、八坂神社での個展の開催を持ち掛けた。三藤氏は、逆に野村宮司や他の弟子たちにも声を掛け、一門で墨跡を出すことになった。
出展者は、真言宗総本山教王護国寺(東寺、京都市南区)元教化部長の土口哲光亀光庵(京都府向日市)庵主、臨済宗東福寺派元財務部長で大本山東福寺塔頭南明院(京都市東山区)の永井圓洲住職、東寺僧侶の中野和順氏ら錚々たる顔触れ。飛鷹全隆前長者も賛助出品を行った。
被災の願正寺再建へ
三藤氏が長く住職を務めた自坊願正寺は、地震で甚大な被害を受けた。鐘楼堂は全壊し、本堂は大規模半壊。突然の倒壊などで近隣に二次被害が出てはいけないと、発生約2カ月後の段階で、約1500万円かけて自費解体に乗り出した。
門徒も被災しており負担をかけられない中、昨年11月に継職したばかりの三藤了映住職がクラウドファンディング(CF)を提案。書家仲間からも寄付金を集めて、賄うことができたという。
「みんなに助けられてここまできた」。三藤氏はしみじみと語る。
一方、再建に向けては、先月から国の指定寄付金=用語解説=制度を活用した協力を呼び掛けている。
宗教施設での制度活用については、日本宗教連盟(日宗連、石倉寿一理事長)が7月に大谷派能登教務所(七尾市)で開いたセミナーでも説明され、税制優遇により資金が集めやすくなると評価されていた。
了映住職もセミナーに参加したのを機に申請を進め、制度の対象となった。10月23日からの3年間で募集しており、目標金額は2億円。会員制交流サイト(SNS)などを活用し、支援を呼び掛けている。
「左手でも」に救われて
三藤氏は2年前に脳卒中になった。利き手である右手がうまく動かせなくなり、一時は「絶望のどん底にいた」という。
入院生活中、ある看護師から「書を書いてほしい」と頼まれた。
気安く言われたように感じられて、三藤氏は怒りをあらわにしたが、看護師は「左手でもいいから」と食い下がった。
そこで、はたと気付いた。「まだ自分には左手がある」。自分を苦しめた「書を書いてほしい」という言葉が、救いの言葉に変わり、書家としての人生をあきらめずに書き続けるきっかけとなった。
八坂神社で行われた展示には、左手での作品を含む37点が並んでいた。三藤氏は、自分自身の経験と、家屋や店舗が倒壊したまま野ざらしになっている被災地の風景を重ねるかのように、こう語った。
「被害を受けた人の身になってほしい。頑張ってくださいではなく、頑張ろうねと一緒に動いてくれること。その身になって、能登を考えてもらうことを切に願う」
一方、野村宮司は地震によって過去の物がなくなり、歴史をさかのぼれなくなることで、反省や学びもなくなることを危惧する。
「先祖の思いや教えを受け継いでいくのが、人間の文化なのではないか。過去をどう記録し、記憶していくのかという努力を、宗教者として重ねていきたい」と話した。
【用語解説】指定寄付金
公益法人などが広く一般に募集し、財務大臣が期間と募金総額を指定する寄付金。教育または科学の振興、文化の向上のための支出で、緊急を要するものが対象となる。寄付者は所得税や法人税の優遇措置を受けられる。宗教法人の場合は通常、国宝や重要文化財の修理などに限られるが、阪神・淡路大震災や東日本大震災、熊本地震などでは、特例として建物復旧のための募金も対象となった。