〈31〉「親なきあと」の現実㊤
※文化時報2022年4月26日号の掲載記事です。
今年3月、80代の男性が亡くなった。満中陰(四十九日)の2日前、その男性の終末期ケアに関わっていた看護師に連れられて男性宅を訪れた。一人残された息子さんに会うためだ。
息子さんは中程度の知的障害がある。男性がある程度の預貯金と自宅を遺しているので当面の「生活費」には困らないだろう。しかし、親が亡くなって一人になった知的障害者が生きていくには支援が必要である。
息子さんは、障害福祉サービスを受けやすくするために都道府県知事などが発行する療育手帳を持っていたが、サービスは受けていない様子。看護師が役所の障害福祉課に連絡したところ、「本人が『助けてほしい』と役所の窓口に来る必要がある」と言われたようだ。
親と同居中は生活してこれただろう。でもその親は、もういない。 初めて会ったその日、息子さんはご飯を8合炊いていた。看護師が「こんなにたくさん誰が食べるの」と悲鳴を上げた。さらに「自宅の診断を無料でします」というリフォーム業者の訪問日を書いた紙も出てきた。慌てて電話してキャンセルした。こんな状態で支援なしに暮らせるとは思えない。
中陰壇には院号が入った白木位牌(いはい)が安置されていた。7日ごとに葬儀社が花を替えに訪問し、お寺さんのお参りもあるようだった。独りぼっちになった息子さんに定期的に会っていたのは、葬儀社とお寺さんだけだった。この息子さんのことが心配ではなかったのだろうか?
看護師は、患者が死亡しているので本来はもうその家を訪問することはない。しかし、あとに残された息子さんのことが心配で時々訪れていたのだった。看護師ではどうすることもできないので役所へ通報したが、前述の通りの対応だった。たまりかねて筆者に連絡してきたという。
葬儀後も関わり続けていた唯一の存在が、葬儀社とお寺。この方々がどう思っているのか知りたくて、満中陰当日に家で待っていると、葬儀社の担当者がやってきた。事情を尋ねてみると大層「真面目な」返答だった。(三浦紀夫)=次回に続く
サポートをいただければ、より充実した新聞記事をお届けできます。よろしくお願いいたします<m(__)m>