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【能登半島地震】〈社説〉宗教性 支援に生かせ

※文化時報2024年2月9日号の掲載記事です。

 禅の立場に基づく独自の宗教哲学を展開した京都学派の哲学者、西谷啓治(1900~90)は石川県で生まれた。エッセー集『宗教と非宗教の間』(岩波書店)に収録された「奥能登の風光」には、幼少期に何日かを過ごした珠洲市鵜島地区の情景が描かれている。

 西谷は、街道のすぐそばに広がる美しい砂浜と桜貝、水平線などを描写し「地上のものではないような一種の感じを含んでいた」と回想した。そして、万葉歌人の大伴家持(おおとものやかもち)が詠んだ歌を引用し「幾代神(いくよかむ)びぞ」という感覚であると記した。幾代を経ての神々しさなのか―と感嘆したことが、幼心に刻まれていたのだという。

 能登半島地震から1カ月が過ぎた今、私たちが念頭に置かねばならないのは、被災地の風土が多分な宗教性を帯びているということだ。最大震度7の揺れと津波に襲われ、無残な姿になったとしても、そこで暮らしてきた人々の土徳は変わらず根を張っている。

 災害関連死を含む死者は240人に上り、寺院関係者も犠牲となった。石川県内の住宅被害は4万6千棟を超え、寺院や教会も倒壊や損壊が相次いだ。人々のよりどころである宗教者・宗教施設が失われたり壊れたりしたことは、痛恨の極みだ。

 被害が甚大な石川県能登地方には、真宗大谷派と曹洞宗の寺院が多い。両教団とも多大なマンパワーを割いているが、復旧はおろか関係者の生活すらままならない。教団を超えた支援を考える必要がある。

 他教団の中には、本山が義援金を出した信貴山真言宗のように、被災地に所属寺院がないにもかかわらず、支援に乗り出したところがある。一方でお見舞いの言葉だけ公表して全く動かない教団や、被災寺院から不満の声が上がっている教団もある。利他の精神にもとると言わざるを得ない。

 今回の地震は発生後すぐ、個々の宗教者が災害ボランティアらと協力して被災地に入った。公的機関による復旧を優先させる方がいいかどうかという議論の余地はあるものの、日ごろから防災に取り組み、社会活動を通じて信頼を得てきた宗教者の素早い行動は、現地の人々の大きな心の支えとなったに違いない。

 各教団や関係団体は、今こそ組織力を発揮して、心のケアなど宗教者が得意とする活動を始めてほしい。土徳に甘えていてはならない。時機を逸し、「今さら来て、宗教者に何ができるのか」と言われるような事態だけは避けてほしい。

 2次避難や自主避難などを通じて、住民らが身を寄せている場所はばらばらだ。故郷にとどまるか、離れるかといった決断は、今後もさまざまな局面で迫られる。寺院や教会には、檀家や門徒、信者のネットワークを通じた孤立させない取り組みもできる。ここでも教団の後押しが欠かせない。

 文化時報もこの間、宗教メディアに何ができるのかと自問してきた。記者たちは交代で被災地に入り、現場取材で感じ取ったことを今号掲載のコラムにつづった。答えが出たわけではない。これからも自問を続けながら、被災地の宗教性に根差した報道を続けたい。

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