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「仏法興隆を確信」大本山妙心寺・山川宗玄第36代管長に聞く 

※文化時報2024年7月30日号の掲載記事です。

 臨済宗妙心寺派正眼(しょうげん)僧堂(岐阜県美濃加茂市)師家の霧隠軒・山川宗玄第36代管長が5月26日、大本山妙心寺(京都市右京区)に晋山した。正眼短期大学学長や大伽藍(がらん)の住職を兼務しながらも、実行派・行動派で知られ、管長就任後は精力的に活動している。インタビューでは、宗教界を取り巻く国内情勢などに言及。「宗教不信の時代だが、必ず興隆できる。一雲水として務めを果たしたい」と力強く語った。(高田京介)

迷いが許される道

 《東京の禅宗寺院で生まれた4人兄弟の次男。埼玉大学理工学部物理学科に入学したが、苦学生だった。進路を迷う中で出会ったのが、酪農。1971(昭和46)年、大学3年の夏のことだった》

――得度されるまでに、北海道で酪農に関わっていたとお聞きしました。

 「実家の寺は貧しく、4人兄弟で余裕もなく唯一進学が許されたのが国立大学。苦学生でした。3年から下宿をして、アルバイトで生活費の一部を工面していました。その年の夏休み前、大学の掲示板に貼ってあった、北海道の酪農家の手伝い、つまり援農の仕事に目が留まりました。何げなく興味を覚え、行く決心をしたのです」

 「やってみると、思いのほかハマってしまった。自然が好きで、都会と違い余分なストレスもありません。でも一日の休みもない目まぐるしい日々を過ごしました」

 「大きなけがもしたのですが、不思議な充実感を覚え翌年も挑戦。ついに一生の仕事にと思い詰め、そこでゼミの教授に頼み込み、研究室の単位を保留してもらい留年。3年続けて通い、合計の研修日数は1年を超え、本気で酪農の道を進むことを考えました」

――どうして修行の道に進まれたのでしょうか。

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