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〈40〉刑務所よりも不自由

※文化時報2022年9月6日号の掲載記事です。

 「刑務所が福祉施設化しているし、福祉施設は刑務所化している」。8月24日、元国会議員で服役経験のある山本譲司さんの講演会が開かれた。山本さんの発した問題提起に、ハッとせざるを得なかった。
 
 筆者は講演会の前に、関西圏にある刑務所へ面接に行った。そこには、頼るべき身寄りのない高齢女性がいた。出所の日が近い。
 
 「出所しても行く所がないでしょう。住む所を用意しておきますから迎えに来ますね」と促しても「自分で何とかするからエエわ(迎えの必要はない)」と言う。実はこの高齢女性、数年前にも同じ刑務所から釈放され、その20日後に逮捕され、また刑務所に戻ってきた経歴の持ち主である。今回も全く同じことになる確率が高い。
 
 「そんなこと言わずに、ベッドもお風呂もありますし、ご飯も用意しますよ」と粘る。「ほな考えとくわ」と返ってくる。関西弁で「考えとく」は「拒否」に近い。出直すことにした。
 
 この高齢女性のような人はたくさんいる。社会の冷たさが身に染みており、唯一の居場所が刑務所になってしまっている。福祉の存在を知らない訳ではない。福祉施設の職員よりも刑務官の方がよほど自分のことを心配してくれると感じているのだろう。それが、山本さんの言葉につながる。
 
 講演会の後、また別の刑務所へ面会に行った。そこにも似たような高齢男性がいた。聴力がずいぶんと衰えている。年齢は80歳に近い。それでも、出所したら「西成に行ったらなんぼでも仕事がある」と言い張る。自分の体が衰えている現実が受け止められていない。
 
 出所時に誰も迎えに行かなければ、わずかな所持金を数日で使い果たし、また刑務所に戻ってくる姿が目に浮かぶ。本人たちには刑務所の方が居心地がいいし、安心できるのだからどうにもいかない。福祉とはいったい何だろうと考えてしまう。
 
 「刑務所には自由はないが、不自由もない」とよくいわれる。しかし、高齢者にとって「福祉施設には不自由しかない」のであれば、看過できない問題である。われわれが行く道の話だからだ。(三浦紀夫)

 三浦紀夫(みうら・のりお)1965年生まれ。大阪府貝塚市出身。高校卒業後、一般企業を経て百貨店の仏事相談コーナーで10年間勤務。2009年に得度し、11 年から仏教福祉グループ「ビハーラ21」事務局長。21年には一般財団法人安住荘の代表理事に就任した。上智大学グリーフケア研究所、花園大学文学部仏教学科で非常勤講師を務めている。真宗大谷派瑞興寺(大阪市平野区)衆徒。

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