SNSが私達にもたらしたのは

以前、何週間か何ヶ月か前にSNS展〜もしSNSがなかったら〜という催しがあったのを思い出した。ただ思い出しただけで、そのイベントに足を踏み入れてもないし内容も何も知らない。

ただ考えたくなった。SNSがない世界のことを。

SNSは別世界

SNSが存在する世界に私たちは慣れてしまった。10年以上前は全然存在すらしていなかったはずなのに、いつしか私たちの世界に入り込み、当たり前の顔をして存在している。そして私たちも当たり前にそれを受け入れている。
SNSがない世界は10年以上前にあったはずなのに、なぜだか今そんな世界のことを考えると奇妙な気さえする。まるでSFの世界かのように。

燃え殻(@Pirate_Radio_)さんの言うように、SNSは様々な私たちの境遇に影響を及ぼしたのだろう。実感として事実であろう。
SNSのおかげで有名になれた人はSNSがなかったら今と違う人生を歩んでいるかもしれない。ある意味、SNSがあることにより今まででは有名になり得なかった人が有名になれたのかもしれない。
SNSのおかげで仲良くなれた人とは、SNSがなかったら出会う事すら叶わなかったかもしれない。
一方で、SNSのせいで消えて無くなってしまったものもあるに違いない。SNSのせいで知りたくなかった事を知らなければいけなくなったかもしれない。

SNSはいわば我々実世界と平行に存在する別世界のようなもである
実世界ではオンタイムで残り得ない多種多様な人の吐露が宙に浮き彷徨っている別世界である。どんな人でもその世界には思いや考えをアーカイブとして残すことができる。

SNSは発信者に対しても大きく影響を及ぼした。実際は情報を受け取ることに専念する人が多く存在する一方で、発信する側の人間が容易に社会に考えや作品を発表することができるようになった。これは大きな恩恵である。

実際、我々の行動にも大きな影響を与えていることは言うまでもない。旅行をすればSNSに投稿し、何かの節目があれば共有しようとする。前者に至っては目的と手段が逆になってきているとすら言われ始めている。旅行に行ってSNSに投稿すると言う順番がSNSに投稿するために旅行すると捉え始められているのだ。これに関しては流石に言い過ぎではあるが、実際Instagramに投稿するためにスイーツを食べに行ったり、Instagramに投稿することを考慮して行き先を決めている人は少なくないはずだ。これの善悪については今ここで話すと長くなるので割愛するが、SNSがなくなれば我々の行動が変化するのは自明だろう。

またSNSがもたらしたのは友人や知り合いとの距離感覚である。
この前、数年振りに友人に会ったが、SNSでよく会話もしており、その友達の写真などもSNSを通して見ていたために、会った瞬間の新鮮味は全くなかった。別世界でゼロ距離で交流しあえば数年振りの再会も数日振りの再会もほとんど変わりはしないのである。

SNSがない世界でも私は私

もしSNSがなかったらこのような変わってしまった私たちの生活が10年前にタイムスリップする。

容易に発信できていた情報が全世界に発信するのが困難になり、知らない大人同士の口喧嘩を知らずに済み、全世界にいろん人がいるということに気づけないかもしれない。我々の行動はSNSに寄与することなくその行動を純粋に全うすることができ、数年振りの友人との再会では相手の変化に驚くこともあるかもしれない。SNSで出会うことのできた人とは二度と会うことができないかもしれない。

しかし、こう思いたい自分もいる。

「たとえSNSがなくたって私たちは何も変わりゃしない。」

発信場所が身近にあるだけで、本当に有名になるであろう人は有名になるのだろうし、SNSで出会うことのできた人ともSNSがなくても実際に出会うことができるかもしれない。私たちの境遇も行動もSNSがあってもなくてももしかしたら変わらないかもしれない。

これこそまさにパラレルワールドの世界であるから実際どうなんて誰も分かるはずないが、我々はSNSに囚われすぎてSNSに自分の行動や境遇を支配されないように客観的に自らを捉えコントロールすることが必要なのかもしれない。

実世界の私もSNSの中の私もいくら見繕おうとも私は私である。SNSの檻の中に私の中のすべてが閉じ込められてしまわないように、私は私であり続ける。

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