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常識

自分が持っている当たり前の情報や認識、知識を他者に求めてはいけない。何度も自身に言い聞かせてもなお、ふと無自覚にそれらを求めている自分に気づくことがある。

例えば、今やデザイン、イラスト、写真などの活動をしているSNSユーザーなら知らない人はいないほど普及しているSUZURI。デザインのみアップロード・レイアウトすれば在庫を持たずに自分がデザインしたTシャツやスマホケース、その他グッズが販売できるというサービスである。我々クリエイターサイドからすればもはや当たり前にあるもので、「クリエイター全員が利用しているサービス」とまでは言わないものの、クリエイター同士で話していれば共通言語として当たり前に通じるため「知らない人なんているの?」という感覚になってしまっている。

たまにフォロワーさんから「SUZURIってなんですか?」「こちらの商品はどこか店頭で購入できますか?」などと聞かれてハッとする。根本的に全く知らない人いるんだと驚きながら、自らの他者に対する無自覚な認識の強制に気付く。SUZURIに関しては、改めて考えると皆が皆知っているようなものでもないし、母に聞いてみれば確実に知らないだろうし、常識の範疇とは到底言えない。

自分が常識だと認識しているそれは、他者からすると全く知らない未知の領域だったりする。もっと次元を下げて考えてみると、SNSを全く利用せず常にデジタルデトックスをしている私の友人はInstagramのストーリーズを知らなかったし、ましてや最近Twitterがそのストーリーズをマネして始めたFleetのサービスを終了したことに関しては、彼はおそらくFleetの存在すら知らずに存在自体が無くなってしまったことだろう。

私だって皆さんが当たり前に知っている名著のことや、ジブリやディズニーの有名な作品のことを一切知らなかったりする。「一般常識」と「常識」という言葉が使い分けられている通り、常識とはおそらく一般常識とは別に、それぞれ個人や組織、環境に左右されて形作られるものがあり、それは所謂「一般常識」とはまた別の「個別常識」とでも言えるものが存在していて、その個別常識に関しては門外漢にとってはただの新しい情報であり、そんなものを押し付けられてもただただ困惑するだけだ。

自分の常識は他者にとってはその限りではない。当たり前のことなのだが、忘れてはいけない。自戒を込めてここに記す。

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