メンヘラという言葉について

メンヘラという言葉が苦手だ。誰かに向かって言うのも嫌だし、自分にも使わない。また、誰かが会話で「メンヘラ」という単語を言っているのを聞くのも好まない。でも、なぜメンヘラという言葉が苦手なのかを説明するのはとてもむずかしい。うまく説明しようとして失敗した経験が何回もある。

例えば以前、僕は「メンヘラいない説」を唱えていた。これはそのまま「メンヘラなんて、この世にいない」という説だ。

この説の根拠を誰かに話すとき、僕はまず尋ねる。
「そもそも、メンヘラって何だと思う?」
するとたいていの人がいろいろ答えてくる。「依存しやすい人だよ」とか、「ほら、精神的な疾患を持っているような人」とか。それに対して僕は得意顔でこう答えていた。
「でもね、これって人それぞれ答えが違うんだよね」と。
「つまり『メンヘラ』と人が呼んでいるものは、それぞれ認識が違う。『メンヘラ』には定義がないんだ。ということは、メンヘラは存在しない」

でも、このように言っても人はなんか腑に落ちない顔をしている。だまされた、みたいな釈然としない顔。それで、大体なんやかんやと反論される。僕としては真面目に根拠付きで説を唱えたはずなのに、なんでだ。

あるとき「本当にメンヘラという言葉の定義はないのか?」と思って調べてみたことがある。すると、あった。思いっきりあった。

なんらかの精神疾患を抱えている人や、抱えていると思われる人

もともとは2ちゃんねるで、精神疾患を抱えている人が自分たちを呼称するために生まれた言葉だということも学んだ。

やはり、学びは疑いからはじまる。もし僕が「本当に定義はないのか?」と疑うことがなければ、あのままの得意顔で終わっていた。いや、あれが得意顔だったということさえ知らずに終わっていたのだ。無知は恐ろしい、疑いに感謝を。

もともとメンヘラという言葉は精神疾患を抱えるマイノリティの人々のためのものだったのだ。そう考えると、一概に「メンヘラいない説」を主張することはできない。

それでも、まだなんとなくモヤモヤが残っている。メンヘラという言葉を、僕自身が警戒してしまっていることは譲れない事実なのだ。なんとなく苦手だと思い、使いたくないなあと思ってしまう。これはなんでなんだろうか。

僕はいろんなところで「わたしメンヘラなんだよね」とか「あいつってメンヘラだよな」とかの発言を聞いた。そのどれもに共通している点は、「メンヘラはあまりよくない」と捉えられていることだ。「精神的な問題を抱えているのは異常だ」とか、「依存するのはよくない」とか、「落ち込みすぎるのを変えなきゃ」とか、そのような思いがメンヘラにまつわる発言の裏にある気がしている。

でも、本当に自分の中の闇に飲まれそうになったとき、落ち込むことをよくないことだと捉えていたらやってられなくなる。本当にしんどいとき、自分はだめなのだと思い続けていると、その闇から抜けられなくなるのだ。落ち込むことはよくないと思うこと自体が、自らの闇と闘う上での敵だと僕は考える。

僕が苦手なのは、「メンヘラ」という言葉の裏に潜む、「落ち込むことはよくない」という価値観そのものだ。だから「わたしってメンヘラなんだよね」と言われると、「そんなこと言わないほうがいいと思うなあ」と思うし、「あいつってメンヘラだよな」と言われると、「それは言っちゃだめだ」と思う。何も考えずに言葉を使っていると、その価値観がいつの間にか定着し、いざというときに自らの闇と闘えなくなるかもしれない。

確かに「メンヘラ」という言葉はある人々をひとくくりにできて便利かもしれない。でも、言葉は人を規定する。望まない規定をされないためには、使う言葉の意味を一生懸命考えるほかない。

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