文具王として伝えるメディアを持つことEX01「デジタルとアナログ」

こんなニュースを見た。

突然資産を失う恐怖

簡単に知的生産物としての資産の差し押さえができてしまうのは、デジタルの恐ろしさではあり、デジアナ論でも無視できない問題の一つだ。もちろん、普段の運用コストは圧倒的に違うから、現在を生きるためにはデジタルを使わないのが答えではないのは自明だ。しかし歴史的に考えた場合、粘土板やが5000年、紙が1000年は残せる実績を有するのに対し、デジタルの実績は50年に至らない。

実際この私の生きてきた人生の中ですら、小学校で書いたノートがいつでも閲覧可能なのに対し、中学高校以降に触れた、書院や文豪などのワープロ専用フォーマットに始まり、ページメーカーやクオークエクスプレスなどのレイアウトソフト、マルチメディアディスクフォーマット等に泣かされ続け、既に多くの情報が再現不能だ。(プリントアウトしていたものは残っている)

目下18万枚を整理していたAppleのApertureから追い出されて今泣く泣くLightroomに引っ越すのに10日以上かけたうえにこれまでの整理されていた構造を失い、途方に暮れているところで、この場合個々の画像が無事でも整理している入れ物が死ぬとこれまでの「整理整頓された構造」という資産が失われる。(たとえば図書館の本が突然購入日順に並べ替えられたら、その図書館は書籍を一冊も失っていなくても図書館としての価値のかなりの部分を失う感じかな、と思ったが、手がかりとしての文字情報のない写真の場合、さらに再構成する事が困難だ。)

次はEvernoteがほんとうに"Ever"なのか、というと、それも信用ならないわけだ。現状ものすごく便利に使っているScrapBoxとGazoも心配だ。

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