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日本のセイルトレーニングの生き地獄(ボツ供養)

一つ前に書いたこちらのポスト。

その枕を書いてたんですが、わりと調子良くするする書けたんです。
でも、途中で読み返してみたら、なんかえらくネガティブな文章だったので、あわてて書き直しました。

とはいえ、せっかく書いた文章だし、内心ちょっぴり思ってることでもあって、そのまま消しちゃうのももったいない気もするので、ここで再掲しますね。

帆船の話をしていて、相手に「まるで生き字引ですね」って言われた時に思ったことですw

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かれこれ25年ほど帆船に関わってきている。
日本で民間団体が運行してきた「あこがれ」「海星」「みらいへ」の三隻に関わってきた。
それぞれの船で国内でもあまりいけない土地や島を訪ねた。
韓国、中国、カナダ、オランダ、フランス、パラオなど、帆船で海外にも行くことができた。

そんな話を知り合いにしていて「日本のセイルトレーニングの生き字引ですね」と言われたことがあった。
そうなのかな。
帆船に運営側として関わったことはない。
ずっと、デッキで汗をかき、波をかぶり、風に吹きさらされてきた。
もしくは、熱のこもる厨房で、揺れのなかで調理の手伝いをしていた。

「生き字引」と言われるほどいろいろ知っているわけではない。
ただ船の上で、航海の中で起こったこと。
ゲストやクルーがなにを見たのか、感じたのか、なにに心動かれさたのか、覚えているのはただそのことだけ。

Stad Amsterdam には若いクルーが大勢いた。。
これまでもそう思っていたのだけど、彼らが楽しそうに働いているのを見て改めて、帆船は若者が輝く場所だなと感じた。

これまで、帆船でたくさんの人と知り合った。
ゲストもクルーも。
ボランティアクルーとして一緒に航海した仲間もたくさんできた。
20代や30代で知り合ったみんなは、歳をとって船から離れて行った。
素敵な思い出をカバンにそっと詰め込んで。

それが真っ当な生き方。
むしろ、50代になってまだ、若い頃と同じようにロープを引き、マストに登る。
それはどこかしら切ない。

「生き字引」より似合うのは「生き地獄」
引き際を見誤った成れの果て。


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