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ピンクレディーとブティックオーナー


静岡、とりわけ静岡市は、忘れ去られる街の様だ。そこに、レディース専門店があった。ティーンズを中心とするアパレルブランドの営業マン、荒波賢治は、東海から神奈川のエリアを担当していた。入社一年目で、担当させられた。しかも、前任者は、とうに辞めていた。

ただただ、真面目に、会社の上司の話と取引先の担当者の話を聞くだけだった。静岡のブティックのオーナー、杉浦弘蔵は、アイビーやコンサバな商品を扱ってはいるが、アグレッシブな流行りものもセレクトする敏腕オーナー兼バイヤーだった。

何故か、毎週の様に訪問した。足繁く通う賢治の態度を前任者と比較された。すこぶる、気に入ってくれた。
「前任者の丸山さんのお陰だ」と本気で思った。なにも分からないので、何でも聞いた。新人のメリットだ。含蓄があるオーナーは、「そんなことも知らないのか」と嬉しそうに話し出す。
「マルとは、丸編み機を使った製品で、カットソーという。メリヤス、Tシャツやトレーナーのことだよ。ヨコは、横網機で編んだ製品で、セーターとかニットとかのこと。家庭機で、ガーガー編んでいるお母さんのも同じだ」
「タテは、あるんですか」
「あるとも、ラッセルとかトリコットといつて、レースやカーテンの生地に使われる」
と詳細に教えてくれる先生の様な存在だった。
営業は、熱意と誠意が必要だと痛感した賢治。ある時、衝撃的な話を杉浦から聞いた。
「ミーちゃんとケイちゃんもうちの客でしょっちゅう来ていたんだよ」
突然のカミングアウトに聞き返した。
「ええ、ピンクレディーの」
平然と笑いながら、杉浦は話を続けた。
「毎日のように来ていたよ。まだ、高校生だったから、あんなに有名になるとは信じられなかったずら」
冷静沈着なオーナーも方言が出るほどの衝撃だったようだ。
カーラジオからピンクレディーの曲を聞かない日はないほど、すでに誰でも知っている国民的な2人になっていた。
「なぜ、ポップに書かないんですか?ケイちゃんの着たブレザーとか?ミーちゃんが着たコートとか?誰も分からないですよ。この店の宣伝になるのに」
と賢治は、口惜しさも手伝って、熱弁したい。
「かっこ悪い。一応、若い子が集まるブティックだよ。ピンクレディーが、自ら宣伝するのならいい。そんなことは、あり得ないじゃんね」
と杉浦は、独自の美学を語った。

今なら、SNSを使って、暴露する輩ばかりだが、当時は発信する手立てがなかった。あったところで、杉浦は書かなかった筈だ。

男の美学を感ずることもあった。展示会の時に、会社に来ることがあった。なんと、真っ赤なアルファロメオを会社の駐車場に横付けした。ベンツやBMは、見かけるが、スポーツカーは、滅多に見たことがないので、クルマ好きな社員が集まって来たほどだ。誰も乗ることが出来ないアルファロメオをチョイスする辺りが洒落ている。

余計な言葉より態度や行動で示す杉浦にミーちゃんもケイちゃんも信頼を寄せていた事が分かった。もちろん、賢治も大ファンである。

様々な事が起こったり一年であったが、真面目さとメモではあるが、イラストやデザイン画を描き続けた事を秘かに知った企画室の梶部長に大抜擢されて、企画室に移動になった。何も専門知識が無い男に、知恵と知識を授けてくれた杉浦。

先生や師は、どこにでもいる。巡り合っても、気付かない人が殆どだ。尊敬と感謝の気持ちさえあれば、有能な人は側に居る。

「ピンクレディーの恩師は、私の恩師」
これは、誰にも言えない。心の中にしまうしか無い。賢治はまだしまい続けている。

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