不足か欲望か
いつものごとく、幸せとはなんだろう、みたいなことを考えてしまいます。
ちょっと、今日の投稿は、とりとめのない話になってしまいそうです。
さて、試しに、「自分が思う幸せ」のために足りないものを考えてみたのですが、収入に対する不安が強いことに気づきました。
あとは、まだ実績を上げられてないなとか。
自己実現したいというところでした。
でもそれはよく考えると、"足りない"というよりは「もっともっと」という"欲望"なのですよね。
では、何をしているときが幸せで、何が起きたら嫌なのか、自分の快/不快を考えてみました。
幸せだと思うときは、
家族といるとき
ピアノを弾いているとき
美しい音楽を聴いているとき
美味しいものを食べているとき
歌っているとき
みんなが笑ってくれているとき
訪問演奏の仕事をしているとき
料理が上手くできたとき
嫌だと思うときは、
顔色を窺ってしまうとき
指図やマウントをされるとき
無神経に土足で入ってこられるとき
話を遮られるとき
不機嫌な態度をとられるとき
人と比べて落ち込んでしまうとき
そしてそのうえで自分に足りないと思うものは、先輩方にあって自分にないものを比べてみることにしました。
結果、
落ち着き、経験、知識、場数、フットワークの軽さ。
でも、努力で増やせそうだと思えました。
平等に与えられた24時間をどう使うか。
成功したいという気持ちが強いけど、そのためには失敗や恥ずかしい思いも乗り越える必要があるでしょう。
とにかく自分を好きになるために、行動、行動、行動!
それなのに、なんでこんなふうに、立ち止まりながらじゃないと進めないんだろう。
私は、スタートダッシュが良いのに挫折をしてしまう、ウサギとカメでいうとウサギタイプ。
でも、本当にそうだろうか。
もしかしたら、失速や転倒しただけで、ウサギのように眠りはせず、カメのように少しでも歩いているかもしれない。
問題は、隣の芝生を眺めすぎて、本当の目的地を忘れかけてしまうことかもしれない。
ゴールするために、横目をふっている場合じゃないぞ。
そのためにも、今の自分に足りないものと、向かいたい欲望は定期的に見直そう。
それでも、人とかかわり合って生きている以上、どうしても隣の芝生は目に入る。
でも、同じものが欲しいかと言われたら、必ずしもそうじゃない。
羨望や嫉妬だけで手に入れたものは、すぐに輝きを失くしてしまう。
例えるなら、自分に似合わないのトレンドコスメとか、好きでもない高級珍味とか?
見せびらかしたいのかな。
もっと羨ましいとか、認めて欲しい。
ある時期に失った自尊心とか、昔壊してしまった友情とか、無駄に終わってしまった時間への喪失感とかが、たまに今日みたいに自分を苦しめてくる。
だけど、もう一回、改めて、自分自身に言い聞かせましょう。
私がいま求めているものは、本当に自分が欲しいもの?
本当に自分は満ち足りていない?
それとも、もっと上をいく欲望から、頑張りたいと思っている?
私は、満たされていると分かっただけで生きた心地がしました。
求めているものを、ただの嫉妬か、本当の望みか、仕分けたことで視界が明るくなりました。
現在地と目的地を確認して、カメのように進みます。
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