【文章】香取神宮と香取市

ツイッターに短文で載せるのも味気ないので、見たこと感じたことを文章でこちらに上げていこうかと思います。
感染症のこともあり初詣は今年は行かず、少し日程をずらして香取神宮にお参りに行くことにしました。

車で田んぼしかない田舎道をずっと走っていくと香取市に入ります。
船橋の方は東京と大差ないほど都会なのに、そこから30分ほどで本当に何もない、ガチの田舎道になるのが千葉の不思議で魅力的なところだなぁ、と前から思っています。千葉のそういうところが好きです。

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香取神宮に来ました。
写真だと遠近の錯覚で人が多いように見えますが、実際はそこまで多くなく、人はまばらでした。
香取神宮は成田と並んで千葉の三大神社らしいのですが、成田と比べると派手さはなく、こじんまりとしていました。しかし建物などひとつひとつはしっかりとした歴史と風格を持っていて、説明文を読むたび、驚きと歴史的な面白さを感じました。

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松の木もとてつもなく高かったです。

少し離れたところに、地震を収めるために置いたと言われる要石もあったので見に行きました。

神宮を一通り回ると、車で10分ほど離れたところにある「伊能忠敬記念館」に行きました。伊能忠敬が17歳から50歳までこの佐原に住んでいたということです。
記念館では伊能忠敬の生涯を丁寧に説明していましたが、まず驚いたのが、忠敬は地図を作るまでに商人として成功を収めていたこと。
商人として成功しつつ、勉学も好きだったようで、色んな教養を本から学んでいたようです。50過ぎから測量の任務をし始めましたが、その際幕府から認められてなかったため、自費でやりますと頼み込んでようやく測量の任務につけたとか。
商人として成功してたから自費で測量をやれたのであって、成功していなかったら測量の第一歩も踏めず、ここまでやれていなかったかもしれません。

地理学もそうですが、天文学も独学で学んだり、19歳年下の優秀な専門家に教えを請うたり、勉学好きの謙虚な人なのだなあと感じました。
頭脳が優秀だからこそこのような成果も成し遂げたのかと思っていましたが、夫は「商人として成功しているのもマネジメント能力が優秀だったからだろうし、地図作成も大人数で遂行していくものだから、やはりこちらもマネジメントを上手くやって成功したのだろう」と話していて、なるほど、そういう見方もあるのか、と思ったりしました。

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佐原の街並みも綺麗でした。風情があって好きです。
船にも乗れますが、この冬の寒い時期は船の上にこたつがあり、お客さんはこたつに入りながら乗船していました。なんだか韋駄天コタツみたい。
夏になったら船に乗りたいなあ。

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伊能忠敬の生家に行ったりもしました。

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佐原は芋が名産なのか?芋のスイーツが結構推されていました。
芋フラペチーノが売っていたので食しました。
これは美味しい!!
芋の優しい甘さでくどくなく、さっぱりしていました。
甘さに飽きずにずっと飲めそう。
二人で美味しいね~とずっと言っていました。

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