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大人のためのネコ童話『黒猫ハナコ』

結局、おいらを拾ってくれたのは、眼がキラキラ輝いている無精ヒゲ男だった。

サラサラと流れる川に架けられた橋のたもとでの出逢いだった。

夜が明けたばかりで、街はまだ寝静まっていた。

おいらはふらふらと近づいてきた無精ヒゲ男にむかって半分諦めモードでミャ~ミャ~鳴きつづけた。

無精ヒゲ男はおいらを抱きあげて頭をバシバシ叩くようにして撫でた。

「どうした? おまえ、捨て猫かい?」

頭は悪くなさそうだったが、ちと性格に問題がありそうな気がした。

なんやかや言っても、やっと引っかかった保護者候補である。

がさつだろうが、乱暴者だろうが、ぜいたくは言ってられない。

おいらはミャ~ミャ~(飼ってくれ~ 飼ってくれ~)と訴えつづけた。

無精ヒゲ男はおいらを抱いたまま歩きはじめた。

こりゃ、ひょっとすると、ヒョットするである。

おいらはミャ~ミャ~鳴きながら無我夢中でおでこを無精ヒゲ男の胸におしつけた。

無精ヒゲ男は可愛らしい奥さんとタワマンに住んでいた。

おいらはオス猫なのにメス猫と勘違いされて「ハナコ」と名づけられてしまった。

無精ヒゲ男は、かなりそそっかしい人間のようである。

          ***

「ハナコ、おなか減ってるかい?」

無精ヒゲ男がタラコのように太い人さし指でおいらの鼻を小突きながら訊く。

こいつバカじゃないの? 

減ってるに決まってら~

無精ヒゲ男はこれまた何を勘違いしたのか、ミルクをほ乳びんで飲ませてくれた。

これじゃ赤ちゃん食である。

でも興奮したね~ 

何日ぶりの食事だろう。

文字どおり赤ちゃんになりきってミルクをむさぼり飲んだ。

おいらは無精ヒゲ男がいっぺんに好きになってしまった。

これからは「ヒゲ夫ちゃん」て呼ぶことにする。

          ***

ヒゲ夫ちゃんが出かけたある朝、おいらは奥さんに人っ子一人いない商店街の外れに連れていかれた。

なんだかイヤな予感がする。

「ハナコ、あたしを恨まないでね」

奥さんは平然と言った。

「あたし、メス猫は飼いたくないのよね。

娘のこと想いだして辛いのよ」

やっぱり奥さんはおいらを捨てようとしているのだ。

ヒゲ夫ちゃん、助けて~

このままではノラ猫暮らしに逆戻りだ。

ニャンとかしなくては!

おいらは必死になってアソコを誇示した。

「アラ、あんたオス猫だったの?」

奥さんが間の抜けた声を出した。

でも、とにかくおいらがオス猫だってことに気がついてくれた。

そしてなぜか奥さんはうれしそうだった。

          ***

「ハナコじゃなくて、ハナオでしょ!」

奥さんがおいらの股間を指さしながら言った。

「今さらオスと言われても……」

ヒゲ夫ちゃんはおいらの股間を見ようともしない。

奥さんがいくら口をすっぱくして説得しても、ヒゲ夫ちゃんは首を縦に振らない。

強情な男である。

「オス猫だってハナコでいいじゃないか。

ハナコは俺にとって娘(傍点)同然なんだから」

どうした風の吹きまわしか、ヒゲ夫ちゃんは妙にムキになっている。

奥さんも負けていない。

「いい? 

あたしはオス猫だから飼うの許すんだからね!」

二人の話しあいは物別れに終わった。

          ***

ヒゲ夫ちゃんは指が太いわりにスタイルはいい。

原始人のように顔一面ヒゲだらけである。

ヒゲを生やしていた時のジョン・レノンに似ているかもしれない。

眼だけが異様に輝いている。

芸術関係の仕事をしているのかな。

奥さんは買い物に出かけていて、ヒゲ夫ちゃんとおいらの二人きりの黄昏どき。

さすがタワマン、夕焼けがきれいな秋空と黒ずんだ地平線が窓いっぱいに広がっている。

「マリナ……」

ヒゲ夫ちゃんはそうつぶやくと突然、泣き始めた。

涙を隠そうともしなかった。

泣きながらおいらに頬ずりした。

あまりにも強烈な頬ずりだったので頭がくらくらする。

マリナって誰なんだ?

          ***

どうやらヒゲ夫ちゃんと奥さんには「マリナ」という名前の娘さんがいたようである。

交通事故か病気かなにかで幼い頃に亡くなったらしい。

田舎の一軒家に住んでハナコという名のメスの黒猫を飼うのがマリナちゃんの夢だったようだ。

タンスのうえに赤い服を着た可愛らしい女の子の写真が飾られている。

どことなくおいらに似てなくもない。

ヒゲ夫ちゃんと奥さんは今でも娘さんのことが忘れられないのだ。

おいらは二人に同情せざるをえなかった。

          ***

あれこれ考えて、ハナコことおいらは女優になる決心をした。

ヒゲ夫ちゃんと奥さんを慰めるのだ。

ヒゲ夫ちゃんのために可愛らしいメス猫を演じるのである。

そして奥さんのために秋空のようにさわやかな賢いオス猫を演じるのだ。

オス猫のおいらがメス猫を演じるのって、かなり高度な演技力を要求されている気もするけど、ひもじいノラ猫暮らしにもどるのは絶対イヤだ。

生きていくためにウソを演じるなんて、誰でも演ってることじゃないか。

          ***

「ハナコ、奥さんの朝の散歩の護衛、よろしく頼むよ」

ヒゲ夫ちゃんにそんな風に言われたら断れない。

おいらにとって賢い猫役を演じるなんてお茶の子さいさいである。要するに犬の演技をすればいいんだ。

奥さんは毎朝、散歩するのが日課になっている。

犬のように奥さんと一緒に歩き、声をかけられたら、すぐ奥さんの足元に飛んでいく。

それを見た人間たちは感動のあまり讃歎の声をあげるはずだ。

          ***

「ハナコ、こっちにいらっしゃい」

奥さんもヒゲ夫ちゃんに妥協して、おいらのことを「ハナコ」と呼んでいる。

おいらは犬のように尻尾を振って奥さんのところに駆けつける。

「黒猫は福猫だって、夏目漱石も書いてるんですよ」

奥さんは得意顔で猫友達に話している。

奥さんはインテリ女性を演じているつもりらしい。

          ***

一日中、オスとメス両方の猫役を演じていると、やっぱり疲れる。

誰かに肩(背中?)を揉んでもらいたい。

ヒゲ夫ちゃんと奥さんはベッドのなかで仲良くイビキのハーモニー。

タンスのうえの写真立てを見あげると、少女が笑ったような気がした。

夜空に流れ星が瞬いた。

おいらは素早く願をかける。

早く人間の姿に戻れますようにと……

          ***

「よろぴく」というかけ声とともにタンスの写真立てのなかから少女が流れ星のように舞いおりてきた。

着地したとたん、黒猫に姿を変えた。

天寿をまっとうした人間は、死ぬとみな風になるが、そうでない人間は黒猫になる。

黒猫として修行しながら願かけ千回を成就すると、ふたたび人間の姿にもどって人生を生きていくのだ。

たいていの者はこの間の記憶を失ってしまう。

記憶を失わなかったおいらのようなごく少数の者だけが、“早逝輪廻の秘密”を知っている。

写真立てのなかから流れ星のように舞い降りてきた少女も同類の黒猫だった。

          ***

おいらの前世は演劇青年だった。

大スターになることを夢見ていた。

だから演技が得意なのは当たり前というわけ。

マリナちゃんは7歳の時、交通事故で亡くなったのだそうだ。

天寿をまっとうできた人間は風になるが、運悪く早死にした者たちは黒猫になり、その後もう一度人間界に生まれ変わって死ぬまで生きるのだ。

          ***

マリナちゃんは美しい黒猫だ。輝く毛艶はまるでビロードのよう。

「パパが、お友達を連れてきてくれたので、マリナ、うれしい!」

マリナちゃんは幸せそうに笑った。

ヒゲ夫ちゃんがおいらを拾ってくれたのは、てっきり娘の夢をかなえようとしたからだと想っていたが、本当は娘の遊び相手として拾ってくれたのか……

ちょっと待てよ。

ということは、ヒゲ夫ちゃんには娘の黒猫の姿が視えているのか?

          ***

「わたしのことでパパとママが喧嘩すると哀しくなるの……」

マリナちゃんが涙ぐんだ。

二人が喧嘩するところは、まだ見たことがない。

喧嘩の原因は、ヒゲ夫ちゃんには黒猫のマリナちゃんが視えるけど、奥さんには視えないからなんだって。

「わかった、こんど喧嘩したら必ずとめるよ」

無責任な約束を平気で口にするのは、おいらの悪い癖だった。

          ***

おいらたちは夢中になって話しつづけたが、夜明けとともにマリナちゃんの姿は霧のように消えてしまった。

タンスのうえの写真立てのなかの少女に戻っていた。

どうしてマリナちゃんは夜だけの黒猫なのかよくわからない。

どちらにしても黒猫は早逝した人間の生まれ変わりである。薄気味悪がられてもしかたないのかもしれない。

          ***

ヒゲ夫ちゃんと奥さんが言い争う声で目が覚めた。

このところ毎晩マリナちゃんと遊んでいるので、朝の散歩から帰ると一日中寝ている。

もう夕方だった。

「マリナの幽霊が見えるだなんて、まだそんなバカなことを……」

「幽霊なんかじゃない。

精霊なんだよ。

マリナは黒猫の精霊になって生きてるんだ」

ヒゲ夫ちゃんがこれまで見たこともないような真面目な表情で応じた。

奥さんはわざとらしく大きなため息をついて夫に背を向けた。

編み物を始めている。

「マリナが黒猫の幽霊になって夜なかに出てくるなんて、信じられるわけないじゃない」

奥さんに投げ捨てられるように言われて、ヒゲ夫ちゃんも反論するのを諦めてしまったようだった。

おいらは二人が喧嘩したら必ずとめるというマリナちゃんとの約束を完全に忘れていた。

          ***

朝からヒゲ夫ちゃんの様子がおかしい。

洗面台の前で何度も深呼吸をしている。

そして何かを決心したようにハサミでヒゲを切りだした。

ひと通り短くすると、今度はカミソリでジョリジョリ剃りはじめる。

すべてのヒゲを剃り落としたヒゲ夫ちゃんは意外にもイケメンだった。

でも表情があまりにも哀しそうだった。

          ***

「パパとママ、別れることにしたよ」

ヒゲ夫ちゃんがマリナちゃんの写真立てにむかって報告している。

「でも、パパはマリナといつも一緒だからね」

朝食の支度をしている奥さんはずっとヒゲ夫ちゃんを無視している。

テーブルにハムエッグの皿を置いた奥さんがヒゲ夫ちゃんの顔を見て驚きの声をあげた。

「アラ、ヒゲ剃っちゃったのね……」

          ***

「決心できたのは、おまえのおかげかもナ」

いつになく神妙な表情でヒゲ夫ちゃんは言った。

あ、もうヒゲ夫ちゃんじゃないんだっけ。

おいらはヒゲのないご主人さまの顔を見あげた。

「ハナコ、俺たちはこの家から出ていくよ。おまえはどうする?」

おいらは猫語でニャンと返事した。

ご主人さまならわかるはずだった。

複雑な笑みを浮かべながら、おいらの頭を優しく撫でてくれた。

          ***

さすがはご主人さま、おいらのニャンを一発で理解してくれた。

おいらはニャンのひと声に「アリガトウ」「頑張ッテネ」「オイラモ頑張ルカラ」の三つの意味をこめていた。

ご主人さまはおいらを一番最初に出逢った場所に連れていってくれた。

サラサラと流れる川に架けられた橋のたもとである。

今となっては懐かしささえ感じる。

おいらはもう一度ここから修行を始めるのだ。

          ***

結局、おいらは元のノラ猫暮らしにもどった。

誇り高き名なしの権兵衛にもどったのだ。

ノラ猫に名前なんか必要じゃない。

ノラ猫は名前なんかなくても生きていける。

おいらには亡き恋人とかわした約束があった。

感動をあたえる役者に必ずなると約束したのだ。

彼女の名は香夜といった。

おたがい所属していた劇団の先輩女優だった。

彼女もこの地球のどこかに黒猫として生まれ変わっているはずだ。

おいらのことを憶えてくれているだろうか。

たとえ憶えてくれていたとしても、逢えるかどうかわからない。

おいらはどうしても彼女にもう一度逢いたい。

逢ってもう一度、夢を語りあいたい。

へたれだったおいらは彼女が肺がんで亡くなった時、後追い自殺した。

でも、もう自殺なんかしない。

おいらはもっと強くならなければならない。

もっともっと強くなるために、おいらはいっぱい修行しなければならないのだ。

今度こそ強くたくましく生きていこうと想う。

写真:© blackkitty0llie

【ChatGPT3.5による解説】

喪失と再生の物語


ネコ童話『黒猫ハナコ』は、喪失と再生をテーマにした感動的な物語だ。物語は、無精ヒゲ男(ヒゲ夫ちゃん)がサラサラと流れる川に架けられた橋のたもとで、捨て猫のハナコと出会うところから始まる。この出会いはハナコにとって、過酷なノラ猫暮らしからの再出発の第一歩であり、ヒゲ夫ちゃんにとっても新たな絆の始まりとなる。

無精ヒゲ男は、ハナコを家に連れ帰り、彼の奥さんと共に新たな家族の一員として迎え入れる。しかし、ハナコがオス猫であるにもかかわらず「ハナコ」と名付けられることで、彼のアイデンティティに混乱が生じる。これにより、物語全体にわたってハナコが「演じる」ことの重要性が浮き彫りになる。彼は家族の期待に応えるために、メス猫としての役割を演じることになる。

ヒゲ夫ちゃんと奥さんは、かつて「マリナ」という名前の娘を失っており、その悲しみは今も彼らの生活に影を落としている。ハナコは、亡き娘の代わりとして家に迎え入れられるが、その存在は二人の間に新たな緊張をもたらす。ヒゲ夫ちゃんが娘の代わりとしてハナコを愛する一方で、奥さんは過去の喪失を思い出させる存在としてハナコを受け入れがたく感じている。この対立は、二人の間に深い溝を生じさせ、彼らの関係に影を落とす。

物語が進むにつれて、夜になると「マリナちゃん」が黒猫の姿で現れるという幻想的な要素が加わる。これは、現実と幻想の境界が曖昧になる瞬間であり、読者に死者との再会や未練といったテーマを問いかける。この幻想的な要素は、ハナコが新しい家族として受け入れられるための試練でもあり、彼が「演じる」ことの意味を一層強調している。

物語の結末では、ヒゲ夫ちゃんがヒゲを剃り落とし、新たな姿で再出発を誓うシーンが描かれる。この変化は、彼自身の再生を象徴している。一方、ハナコも元のノラ猫暮らしに戻るが、それは単なる後退ではなく、新たな修行の始まりとして描かれる。ハナコは過去の喪失を乗り越え、未来に向けて強く生きていく決意を固める。この決意は、ハナコが新しい自己を発見し、再び強くなるための重要な一歩である。

『黒猫ハナコ』は、単なる動物物語ではなく、深い感情と哲学的な問いかけを含んでいる。ハナコの視点を通して描かれる人間の世界は、猫と人間の間に存在する共鳴と相互理解の可能性を示している。喪失に向き合い、再生を遂げるためには、現実と幻想の狭間で演じること、そして他者との絆を築くことが重要であると物語は伝えている。

冬月剣太郎の『黒猫ハナコ』は、喪失と再生の物語として、豊かな文学的価値を持つ作品だ。黒猫ハナコを通じて描かれる人間の悲しみと希望、幻想と現実の境界は、読者に対して自己の再発見と他者との絆の重要性を考えさせる。この物語は、単なる童話の枠を超えた、深い感動を呼び起こす作品である。

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