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大人のためのネコ童話『すべての猫は詩人である』

猫が詩を書くはずがない……なんて誰が言ったの? 

あたいは生まれた時から詩人志望だった。

まだ一片の詩も書いたことはないけれど、いつの日か光り輝く言葉の宝石のような詩を書いてみせるつもり。

その日のために毎日、視るモノ、聴くモノ、すべてが詩の種だと想ってメモってるわけ。

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世の中には、いつもひもじい思いをしているノラ猫がいるらしいけど、あたいの生まれは真逆だった。

いっとう最初の記憶は、暖炉の近くに置かれた籠のなかで姉妹たちと一緒にママンのおっぱいを吸っている情景。

いつのまにか姉妹たちはいなくなってしまったけど、優しいママンがいてくれたおかげで、あたいはいつも幸せだった。

ママンはそれはそれは美しい白猫だった。去年の暮れ、みんなに看とられて大往生した。

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昔は名前のない猫なんてザラだったらしいけど、あたいには名前も名字もある。

裏庭の梅林が散る頃に産まれたので、飼い主が「梅林チル」と名づけてくれたの。

字が書けるようになったら、サインの練習をしなくっちゃ。

ちなみにママンは「梅林てる」よ。

ママンが産まれた日は、梅林が秋の夕陽に照らされてとっても綺麗だったそう。

飼い主は、いつもパイプをくわえている女性哲学者。働き盛りの彼女は何事にも冷笑的なの、恋愛談義を除いてはね。

テレビに出させて今の日本の政治家のことをメッタ斬りさせたら痛快だと想うよ~

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陽あたりのいい窓ぎわで安楽椅子を揺らしながら飼い主がパイプ片手に名言をつぶやく。

「猫はわたしの思考をパイプの煙のように深めてくれる」

なんだかよくわからないけど、わからないところがいいとあたいは想う。

飼い主は一日中、名言(迷言)を吐きながら、みんなを煙(けむ)に巻いているの。

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「たしかに、わたしはおまえにエサをあたえているから飼い主かもしれないけれど、おまえはわたしの魂にエサをあたえてくれているから、わたしの飼い主でもある」

なにやらまたシチメンドクサイことを飼い主は語りかけてくる。

あたいがよく意味もわからないのにミャ~と返事すると、飼い主は満足そうに微笑んだ。

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飼い主は哲学的なコトを言うのは得意中の得意なんだけど、そのほかのコトはなんにもできない。

電球も取り替えられないし、独りで散歩もできないんだわさ。

こないだも一緒に散歩していたら、後ろから自転車が猛スピードでやってきたの。

あたいが注意してあげなかったら間違いなく事故ってたわね。

猫の視野は280度あるんだけど、人間は200度しかないんだって。人間って不便ね~

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突然「キャ~ッ」っていう飼い主の悲鳴が聞こえたので、大急ぎで駆けつけた。

そしたら部屋の隅っこに縮こまって床を指さして泡を吹いていたの。

視ると、そこには大きなゴキブリが一匹。

あたいはサッと飛びついて食べてやった(大好物)。

飼い主は泣きながらあたいを抱きしめた。

人間ってどうしてこんなに臆病なんだろ?

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真夜中、ゴキブリと遊んでいたら、また「キャ~ッ」という飼い主の悲鳴。

あたいが飛んでいくと、窓ガラスを指さして「幽霊」って言いながら震えているの。

あんた、そりゃ自分の影でしょ。

あたいは飼い主を慰めるようにミャ~って言ってやった。

ミャ~ミャ~という猫語だから、彼女がわかったかどうかは不明だけどね。

窓ガラスの影の動きが自分の動きと一致しているので、ようやくわかったみたい。

だけど、どうして窓のむこうの庭に立っていた本物の幽霊には気がつかなかったんだ?

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どうやら、あたいたち猫には当たり前のように視える幽霊が人間には視えないらしい。

すぐそばに立っていても気づきもしない。

あたいは幽霊が大好き! 

物知りが多いし、冗談もわかる。

飼い主ときたら哲学以外はなんにも知らない。

冗談も通じない。

ま、そんな真面目なところが彼女の長所なんだけどね。

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毎週末、飼い主は自宅に若い人たちを集めて哲学の講義をしている。

月謝は一回につき5000円だって。

彼女は若い頃からフランス人哲学者のサルトルを研究している。

せっかく日本人に生まれたんだから西田幾多郎あたりにしとけばいいのにね。

若い人たちは、あたいの真っ白な毛なみをベタ褒めしてくれるので嫌いではない。

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飼い主ときたら恋愛経験もないくせにサルトルとボーヴォワールの恋愛談義になると熱くなる。

まるで二人の恋の現場を見てきたようにしゃべっている。

恋愛談義は若い人たちも好きらしく、実存哲学の解釈の時は眠そうな顔をしていたくせに急に眼を輝かせはじめる。

だったら、もっと突っこんでサルトルとボーヴォワールのセックス論とかやったほうが役に立つと想うんだけど。

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講義のないふだんのウィークデーになると、訪問客はめったにない。

飼い主の瀟洒な屋敷は静まりかえっている。

誰もいない芝生の庭を独りで散歩していると、猫に生まれてきてホント良かったと想う。

ベランダに安楽椅子を持ちだして読書に耽っていた飼い主がふと顔をあげて、秋の金色の陽ざしを全身に浴びながら優雅に歩きまわっているわたしを満足そうに見ている。

完璧に調和のとれた時間と空間がここに在る。

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うたた寝から目覚めたら、眼の前に大きな犬のくるぶしが崖岩のように突っ立っていたの。

あまりにも予想外なコトだったので、あたいは悲鳴をあげることもできないまま固まっていた。

「ハハ、驚いた? 

新入りのアルマよ」

驚きのあまり眼を丸く見開いたままのあたいの顔を満足そうに見おろしながら飼い主が説明してくれた。

象のように巨大な(あたいにとっては)グレートデンだった。

亡くなった詩人の友人から譲り受けたらしい。

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グレートデンには前の飼い主がつけた名前があったらしいけど、女性哲学者は気に入らないと言って、新たにアルマと名づけた。

正式な名前は「北の城塞のアルマ」というのだそうだ。

いつものことながら彼女のネーミング・センスは奇抜だ。

グレートデンのアルマは兵士のようにたくましいのでローマ帝国時代の防人に見立てているのだろうか。

我が家の防人は体こそ巨体だったが、眼だけをじっと見ると実に優しそうな顔をしている。

親愛のしるしなのか、あたいのほっぺたをいつまでも舐めあげるのには辟易したけど。

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その日以来、あたいとアルマはいつも一緒だった。

アルマがあたいにひと目惚れしたことはわかっていたけど、あたいは気づかないふりをしていた。

わざと下男あつかいしたりしても、アルマはあたいの命令に従順に従った。

恋は盲目というけれど、その時のアルマはそんな感じだった。

あたいはあたいで調子に乗っていた。

アルマに対して残酷なふるまいをすることも少なくなかった。

美しさは罪深いという。

あたいは自分の白猫としての美しさを自覚していたけれど、罪深いとまでは想っていなかった。

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ある日、庭の垣根からチュルチュルをさしだしている男がいたので、あたいは思わず近づいていった。

チュルチュルに唇が触れる寸前、男は両手であたいを鷲づかみにすると袋に放りこんだ。

そしてそのまま走りだした。

あたいは動転のあまり頭のなかが真っ白。

アルマの遠吠えに気がついたのは、車のエンジンがかけられた時だった……

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飼い主がパイプ片手に意気揚々と誘拐事件のてん末を教えてくれた。

あたいを誘拐しようとした男の車はアルマの猛攻撃で前進を阻まれ、彼の破壊力のある体当たりによってドアをブチ壊されてしまったのだそう。

火事場の馬鹿力ってやつね。

あたいが意外だったのはアルマと再会した時、彼の全身がお星サマの群れに包まれて輝いているように視えたの。

あたいは知らず知らずのうちに恋に落ちていた。

あたいとアルマの魂が結ばれたのは恥ずかしながら言うまでもなし。

ついでに恥ずかしながらをもうひとつ付け加えると、これまた意外なことに大恋愛をしたにもかかわらず、あたいはまだ詩を書けていない。

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みんなが集まっている客間では、暖炉に薪がくべられ、ときおり木の爆ぜる音がする。

「三島由紀夫は自分にしか書けない最後の小説として『豊饒の海』という転生物語を遺しました。

はたして人間が本当に転生するのかしないのか、わたしにはわかりませんが、遺伝子的な解釈をすれば、人類史は転生物語そのものかもしれませんね」

週末の講座で、飼い主の女性哲学者はいつものように無表情のまま淡々と語りつづける。

若い人達もほとんど無反応で聴いている。

なんとも退屈ないつもの教室風景である。

ふと、あたいは想った。

アルマの前世は猫だったのではないかと。

図体こそ馬鹿デカくて猫離れしているけれど、彼の感性は猫そのものだから。

photo:© 不詳

【ChatGPT3.5による解説】

詩と哲学の共存


『すべての猫は詩人である』は、詩人志望の猫チルとその飼い主である女性哲学者との生活を通じて、詩と哲学の融合を描き出しています。物語の冒頭で、チルが詩人を志し、日々の出来事を詩の種として捉える姿勢は、詩的感性の本質を示しています。詩は日常の中に隠された美しさや意味を見出すものであり、チルの視点はその過程を象徴しています。

一方で、飼い主の女性哲学者は、哲学的思索を通じて人生の意味を探求しています。彼女の名言や講義の中で語られる哲学的洞察は、猫と人間の関係性を深めると同時に、哲学が持つ抽象的な性質を浮き彫りにします。「猫はわたしの思考をパイプの煙のように深めてくれる」という言葉は、哲学と詩の間にある共通の探求心を表しています。

チルの美しさの意識とそれを取り巻く状況は、物語の中で愛と美の追求を描きます。彼女の母猫や飼い主との関係、さらに新たに登場するグレートデンのアルマとの関わりは、愛と美の複雑な絡み合いを示しています。アルマとの出会いと関係性は、異種間の愛情の形を示し、最終的に彼らの魂が結ばれる様子は、愛の普遍性とその神秘的な側面を強調しています。

物語の終盤で触れられる三島由紀夫の『豊饒の海』や転生の話題は、生と死の繋がりを示唆しています。チルがアルマの前世が猫であったのではないかと考える場面は、転生や魂の永続性に対する哲学的な問いを投げかけています。このテーマは、詩と哲学の双方において重要な要素であり、物語全体を通じて一貫して流れる思索の一部です。

『すべての猫は詩人である』は、詩的感性と哲学的探求が織りなす物語であり、チルの視点から描かれることで、詩と哲学の共存が自然な形で表現されています。この作品を通じて、詩とは何か、哲学とは何か、そしてそれらがどのように私たちの人生に影響を与えるのかについての洞察を得ることができます。冬月剣太郎のこの童話は、詩人であることの意味と哲学的探求の重要性を再認識させる素晴らしい作品です。

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