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原稿料の話

原稿料の値上げ要求は人気作家にとっても頭痛のタネである。
全盛期にあった五十代の小池一夫は毎年各編集部に原稿料の値上げを強硬に要求していた。
当時の小池の原稿料は、業界最高のペラ(200字詰め原稿用紙)2万円に達していた。
これは『木枯らし紋次郎』の笹沢佐保と肩を並べる額であった。
ただし、毎年原稿料値上げを強硬に要求される各編集部のほうは頭を抱えていた。
収支の帳尻合わせの限界だったからである。
小池原作の単行本は、作画家の原稿料も上乗せされるので8万部以上売れないと元がとれなくなっていた。
優に8万部以上売れていた時期は問題なかったが、バブルに翳がさし、刷り部数が減少しはじめると小池にピンチが訪れる。
手塚治虫は、ページ単価の原稿料を晩年にいたるまで1万円に抑えていた。 編集者が注文しやすいように配慮していたと言われている。
神様である手塚が1万円なので、他の作家は値上げ要求しにくかった。
手塚が亡くなると、猛然と人気作家の原稿料の急騰が始まる。
本宮ひろ志のモーニングの原稿料は20万円と噂された。
バブル時代の笑うに笑えない、せつない物語である。

写真:@DIME

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