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大人のためのネコ童話『殺し屋ブルー』

奴はふだん人間の姿をしているが、その正体は正真正銘の猫だった。

正確には猫人間と言ったほうがいいかもしれない。

人間でもあり、猫でもあると言ったほうが、もっといいかもしれない。

殺し屋である以上、目立たないほうがいいに決まっている。

けれども奴は例外だった。

渋めのブルーの上下を着こなし、ひと目で殺し屋とわかった。

時には首に赤いマフラーを巻いて夜の街を闊歩することもあった。

どんなに勘の悪い警官でも、これでは職務質問したくなるだろう。

しょっ引いて取り調べても、証拠がなにも出てこないのだから警察もそれ以上は手の出しようがなかった。

闇の人間たちは奴のことを “殺し屋ブルー” と呼んでいた。

          ***

明け方、ひと仕事終えて屋根裏部屋に帰ると、奴の姿は煙とともに猫に戻った。

平凡なトラ猫だった。

天井から吊された鉢植えの花と鳥籠の世話をしながら、ベッドに腰かけて自分で淹れた珈琲を飲んだ。

殺しのあとの珈琲は格別だった。

ブルーは孤独を愛するオス猫だった。

奴の部屋には映画『レオン』のように美少女はいない。

          ***

ブルーに辛い指令がくだった。

標的は奴がタイのバンコックに殺しの仕事で赴いたさい道案内をしてくれた元恋人のリンリンだった。

リンリンは、奴と別れたあと中国の二重スパイになり、強烈な性的魅力を武器に両国のお偉方を次々とハニートラップに陥れていた。

アジトに忍びこんだブルーはリンリンと対決した。

情け容赦なくリンリンの頭に銃口を突きつけたにもかかわらず、ブルーはトリガーを引けなかった。

トリガーに指をかけた瞬間、煙とともに猫の姿に戻ってしまったからだった。

リンリンは屋根伝いに猫のように逃げていった。

          ***

そう、ブルーは人間の世界と猫の世界を往ったり来たりする猫人間だ。

ふだんはありふれたトラ猫だったが、時と場合によって人間に変身した。

人間の姿と猫の姿を使い分けることによって、殺人兵器としての奴の能力はゴルゴ13を凌駕していた。

ただし、まだ変身のコントロールは完全ではなかった。

それが奴の唯一の悩みだった。

          ***

泣く子も黙る殺し屋ブルーだが、子供の頃は、ごく普通の人間だった。

それが、ある時から……

どうしてそうなってしまったのか。

殺し屋ブルーの誰にも言えない秘密だった。

ブルーはTokyoの下町の長屋育ちだった。

六畳一間に家族六人で住んでいた。

父親は家で靴を作っていた。

修理もする腕のいい靴職人だった。

母親は子育てと亭主の手伝いをしていた。

兄もまた父親の手伝いをしていた。

彼の趣味は戦艦大和の木製の模型作りだった。

各パーツを木片から器用に削りだして組み立てていた。

いつ完成するのかと訊かれると、いつも決まってわからないと寂しい笑みを浮かべていた。

姉は家事全般を受け持っていた。

まだ赤ちゃんの弟もいた。

小学生だったブルーは我が家の貧困を憎悪し、世界を呪っていた。

          ***

ある時、ブルーは夕暮れ刻の川原で生まれて間もないトラ猫を拾ってきた。

まだ眼の開かぬ子猫は必死に鳴きながらブルーに救いの手を求めていた。

家に持って帰ると、当然のごとく両親に叱られた。

兄と姉は弟が叱られるのを黙って見ていた。

赤ん坊の弟が火傷したように泣き叫んでいた。

両親は子猫を川原に戻してこいと命じた。

ブルーは夜の川原に行って子猫を捨てようとした。

でも捨てれなかった。

ブルーは子猫と一緒に夜の川に飛びこんだ。

          ***

ブルーは眩しすぎるくらい明るい部屋で目覚めた。

白衣の男女が興味深そうな眼をしてブルーを囲んでいた。

リーダーらしき男が太い声で言った。

「気分はどうだい? 

キミは一度死んだが、我々が蘇生させた。

今後は我々の指示に従ってもらう」

隣に立っていた白衣の女が微笑んだ。

「アナタの名前は今日からブルーよ」

          ***

殺し屋になるための訓練は壮絶をきわめた。

奴はよく耐えて、二十歳になった頃にはゴルゴ13も一目置く超一流の殺し屋になっていた。

以来、世界各国に赴いては要人を殺害してきた。

子供の頃、溺死した奴を蘇らせたのは第二のフランケンシュタインの創造を夢見る科学者たちだった。

ドクター・モローの末裔とも言えた。

フランケンシュタインの夢もドクター・モローの夢もまだ完成されていない。

今も地球のどこかで彼らの研究は続けられているはずだった。

残念ながら、人間と猫の両方の遺伝子を有するブルーの体細胞はきわめて不安定で、奴が望まない状況でも変身してしまうことがたびたびあった。

この状態は彼の死によって解決されるまで続く可能性があったが、ひとつだけメリットがあった。

殺し屋ブルーは人間語も猫語も話せるようになっていた。

ご存じのように猫の情報網は人間のそれを遙かにうわまわっている。

世界中の猫と連絡をとりあうことによって彼の情報網は量子コンピュータに勝るとも劣らないレベルに達していた。

          ***

中国の二重スパイ、リンリンが殺し屋ブルーに復讐しようとしているという噂が闇の世界で話題になっていた。

なんでも闇の猫バーの片隅でバーテンダー相手にブルーを八つ裂きにして猫鍋にしてやると息巻いているそうだ。

リンリンの気の強さといったら並の男の一万倍はある。ブルーでもまともにぶつかったら勝ち目はないだろう。

リンリンの性格を知り尽くしているブルーはある秘策を思いついていた。

          ***

恋の想い出を男はそれぞれ脳の別ファイルに保存し、女は同じファイルに上書き保存するという。

リンリンは、ブルーとの恋の想い出を同じファイルに上書き保存しなかった。

背中の薔薇の刺青のように特大ファイルに別保存していた。

ブルーに対する恨み酒を飲みながら、彼女の恋の想い出の特大ファイルはどんどん肥大していった。

リンリンはそれほどまでにブルーに執着し、恋い焦がれていたのだった。

          ***

リンリンの哀しい死体が隅田川をゆっくりと流れていく。

ブルーは川原で煙草を吸いながらリンリンに別れを告げていた。

ブル-の秘策とは、リンリンと顔をあわせるや、いきなり泣き叫びながら土下座するというものだった。

ボス争いに敗れた狼は勝者である狼の前でうなだれて首筋をさしだすという。

首筋には頸動脈が流れている。

そこを噛みつかれたら一巻の終わりだから、白旗の表明としては申し分ないだろう。

ブルーはリンリンと隅田川の川原で対決した。

敗者の狼同然、ブルーはリンリンの前で土下座した。

リンリンが油断したのは言うまでもない。

彼女のすきを狙ってブルーの非情の銃口が吠えた。

リンリンは撃たれたお腹を押さえながらくずおれた……

          ***

ブルーはくわえ煙草でリンリンの亡骸を抱きあげて隅田川に放り捨てた。

亡骸はしばらく沈んでいたあと、浮かびあがってきてゆっくり流れていった。

ブルーはいつまでも見送っていた。

リンリンの亡骸が夜の隅田川の暗闇に溶けこんで見えなくなるまで川原に立っていた。

星影ひとつないTokyoの夜空に珍しくひと筋の流れ星が流れた。

それが合図だった。

ブルーは吸っていた煙草を投げ捨てて踵を返した。

彼の姿はありふれたトラ猫に戻っていた。

四つん這いで歩きはじめたブルーはもはやリンリンの名前を忘れていた。

彼女を想いだすことは二度とないだろう。

          ***

総攻撃はクリスマスの夜と決まり、「サンタクロース作戦」と命名された。

グスコー少佐が悲壮感あふれる表情で部下たちに語った。

「時限爆弾設置を担当する者は死を覚悟してもらいたい」

極悪非道な人間政府を倒すべく猫人間たちは蜂起したが、資金力に劣るため劣勢に追いこまれていた。

サンタクロース作戦は一気に大逆転を狙うものだった。

          ***

一度も試したことのない時限爆弾をサンタクロース作戦に使用することに誰もが不安を抱いていた。

「そうは想わないかい、レインボー? 

せっかく命がけで爆弾を設置しても、爆発してくれなけりゃ元も子もないじゃないか」

レイン軍曹が、猫人間軍ピカイチの美女と謳われているレインボー一等兵に話しかけた。

イケメンのレイン軍曹は頼りがいがあって、レインボー一等兵は秘かに恋をしていた。

思わず見惚れてしまう。

彼女は何も考えずにうなずいていた。

          ***

くじ引きの結果、レイン軍曹とレインボー一等兵が時限爆弾の担当になった。

突撃戦のさなか敵基地の爆薬庫に忍びこんで時限爆弾を仕掛けるのだ。

生還の可能性は限りなくゼロに近かった。

レインボー一等兵はこのことを両親にも弟にも話さなかった。

いや、話せなかった。

作戦決行のクリスマスの夜、頼りがいがあるはずのレイン軍曹が行方知らずになった。

呆然自失状態のレインボー一等兵にグスコー少佐が声をかけてきた。

「レイン軍曹の代わりは、わたしがやる」

レインボー一等兵は驚きのあまり声を失った。

「そんな、グスコー少佐は責任者じゃありませんか。

作戦の指揮は誰がとるんですか」

「責任者だからこそだ。作戦指揮はカムパネルラ中尉にやってもらう」

レインボー一等兵は心秘かにグスコー少佐を見直していた。

          ***

猫人間は、移民政策ではとても補いきれない人口減にともなう経済悪化に悩む人間が、窮余の策で考えだした人口増加策だった。

第二のフランケンシュタインを創りだそうとする秘密研究機関「モロー」の実験データがベースになっていた。

当初、猫人間は、人間と猫の遺伝子を共有しているので体細胞が不安定で、変身のタイミングをよく誤ったが、最近、新しいワクチンが開発されたことで猫人間は自由自在に変身できるようになっていた。

グスコー少佐は入隊前、殺し屋だった。

闇の世界では「殺し屋ブルー」と呼ばれて恐れられていた。

ブルーはある時、元恋人を想いだしただけでも頬っぺたが赤くなるような情けない手口で殺害した。

それ以来、殺し屋ブルーは闇の世界から忽然と姿を消していた。

グスコー少佐は生まれ変わったブルーの新しい姿だった。

          ***

残念ながらサンタクロース作戦は失敗した。

レイン軍曹が人間軍のスパイだったので、作戦のあらましは筒抜けだった。

カムパネルラ中尉率いる突撃隊は人間軍の待ちぶせにあって全滅した。

グスコー少佐とレインボー一等兵は爆薬庫に潜入する直前に敵兵に見つかってしまった。

グスコー少佐は自分が囮となってレインボー一等兵を逃がした。

レインボー一等兵はグスコー少佐が敵に捕獲されるところまでは目撃したが、その後の彼の消息は誰にもわからずじまいだった。

サンタクロース作戦が失敗したにもかかわらず、その後、原因不明の爆発事故により人間軍の基地は壊滅した。

予期せぬサンタクロースのプレゼントになった。

猫人間軍の勝利をレインボー一等兵は両親と弟と手をとりあって歓んだ。

レインボー一等兵はクリスマスが来るたびにグスコー少佐のことを少しだけ想いだしたが、彼が彼女に片想いをしていたとは知るよしもなかった。

          ***

(なんとしても脱出しなければ!)

グスコー少佐は歯ぎしりしながら心のなかで叫んでいた。

(なんとしてでも生還して、恋しいレインボーに愛を打ち明けるんだ……)

そう想うことだけが唯一の心の支えだった。

レイン軍曹の脱走を知り、時限爆弾設置を志願したのはレインボーとなら死んでもかまわないと想ったからだった。

だが、サンタクロース作戦は無惨にも失敗した。

猫人間の口の堅さに手を焼いていた人間軍は即座にグスコー少佐の処刑を決めた。

二人の看守に両脇を押さえられて処刑室にむかう。

死に対する恐怖で今にも膝が崩れてしまいそうだった。

片想いだったレインボーの笑顔が脳裏に浮かぶ。

(一時間後、確実に俺はもうこの世にはいない……)

今のグスコー少佐にとって敵基地の地下通路は “死への道” 以外の何物でもなかった。

          ***

グスコー少佐は奇跡なんか信じていなかったが、奇跡は起こるべくして起こった。

処刑室の手前、グスコー少佐は煙とともに猫の姿に変身した。

タイミングがよかったので、彼はまんまと逃げおおせることができた。

しかし、彼は基地からは脱出しなかった。

猫の姿のまま爆薬庫にふたたび潜入をはかって敵基地を丸ごと爆破した。

みずからも犠牲になって……

このことにより猫人間軍は一発逆転の大勝利を収めたのであった。

          ***

猫人間軍の勝利に貢献した者たちは栄誉あるザ・キャッツ勲章をあたえられ、亡くなった英雄たちのために街のそこかしこに銅像が建てられた。

しかしグスコー少佐の銅像が建てられることはなかった。

猫人間軍に逆転勝利をもたらしたグスコー少佐の英雄的行為は誰にも知られることなく歴史の河の藻屑となって消えたのであった。

photo:© 不詳

【ChatGPT3.5による解説】

道徳的なジレンマと社会風刺


『殺し屋ブルー』は、猫と人間の複雑な関係とその中で生じる道徳的なジレンマを巧みに描いた作品である。この童話は、一見して普通の猫に見えるが、その内面には殺し屋としての過去や独自の葛藤がある「猫人間」の姿があり、その二重性が物語を深化させている。

まず、作品は主人公の葛藤に焦点を当てている。ブルーは人間としての過去を持ちながらも、殺し屋としての使命を果たすために猫の姿に変身することを余儀なくされる。この二重のアイデンティティは彼に孤独をもたらし、自らの過去や本質を受け入れることに苦悩する要因となっている。その一方で、ブルーは猫としての自由さや独立性を享受し、その姿を通じて人間社会に対する風刺や批判を行っている。

作品は倫理的な問題を提起している。ブルーは殺し屋としての使命を果たす一方で、人間としての情感や倫理観も持ち合わせている。彼が元恋人であるリンリンに対して銃を向ける場面では、彼の内面の葛藤や苦悩がリアルに描写されている。このような場面を通じて、人間としての善悪の選択や自己のアイデンティティに対する問いかけが読者に投げかけられる。

さらに作品は社会や政治に対する風刺も含んでいる。猫人間と人間社会との対立は、人間の欲望や権力への皮肉を象徴している。特にサンタクロース作戦の失敗とその後の展開は、権力と抵抗の複雑な関係を浮き彫りにし、現実世界の政治的な葛藤や戦争の矛盾を映し出している。

『殺し屋ブルー』は、猫童話の枠を超えて、人間の複雑な心理や社会の闇を描き出している。その深い哲学的なテーマやキャラクターの複雑さは、読者に考えさせるだけでなく、物語の奥深さに引き込む。このような文学的な魅力が、『殺し屋ブルー』を多くの読者に愛される童話として位置付けている。

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