敗者の手にも長いフェルトは赤い(井沢)

人に夢を諦めさせるほどの天才に出会ったことはあるだろうか。私はある。

小学生の頃は、同級生と先生に「ピアノ伴奏といえば?」と聞けば「のんちゃん」と返ってくるくらいにピアノが上手い子供であった。ランキングこそ無かったものの、上位2位には入っていたと思う。卒業式の20分にもわたる組曲のピアノ伴奏をトップ1・2の二人で交代で勤め、音楽の授業の時には先生がからかい半分に「ドとファとソがシャープならイ長調。ではラとシとレとミにフラットが付いていたら?はい、のんさん。言ってみて」「変イ長調」「そう」という神童めいたやりとりもした。まあこれには先生もクラスの皆も誰も知らない裏がある。変イ長調はあてずっぽうである。いや、あてずっぽうですらない。急に当てられ、難問の答えには皆目見当もつかず、せめてリアクションで笑いを取ろうと「へい!」と江戸っ子は与太郎調に返事をしただけだ。与太郎にゃ楽典など分かりゃしない。それを音楽の先生は「変イ(長調)」と受け止めたのだ。満足そうに笑う先生にいやこれは違うんですと言い出せず、不正で得た評価が怖くてしばらく震えていた。これ新作落語にならないだろうか。

そんな神童も中学に上がる。
よその学区の3つの小学校から集まった新しい同級生たちはこれまでの2クラスから6クラスに増えた。校内の合唱コンクールも6クラス×3学年で18クラス分の合唱を聴くことになる。
ある日、合唱コンクール前の交流会として他の1クラスとお互いの課題曲・自由曲を聞かせ合う日があった。隣のクラスならば朝夕のホームルームの時間に漏れ聴こえる歌声でだいたいどんな仕上がりか分かるのだが、はたしてこのクラスの課題曲の仕上がりはどんなもんじゃい、と体育座りをして曲の開始を待った。指揮者がタクトを上げる。
イントロ。
聴いたこともないバージョンのピアノの前奏が始まった。指揮者と4列に並んだ生徒の列から目線は伴奏者にスライドする。我がクラスは少しざわついたが、前奏に続いてコーラスが始まると静かになり耳を傾けた。この曲にこんな上級バージョンの全く別の楽譜があったのか?この曲は先輩方も歌ってきたから耳にしているが、こんな激情みたいな水のうねりみたいな伴奏は初めて聴いた。
弾いているのは加藤さんという、8クラスもある大きな小学校から来た女の子だった。
しばらくこの気持ちが何なのかを考え、はっきり飲み込めたのは数年後だが、それは敗北感だった。圧倒的な敗北だった。しかし、そこには悔しさなどは付随せず、ただずっと聴いていたいような、このまま鍵盤に触れることなく幸せなリスナーになったとしても惜しくないという許容と寛容だった。負けたと口にすることさえおこがましい、己の未熟さの受け入れだった。

その後も年に数回の合唱コンクールの季節になると加藤さんの伴奏に魅了された。学校側としては毎回同じ人が伴奏者ではその人が歌を歌わないままになってしまうという懸念もあり、課題曲か自由曲のどちらかは加藤さんもピアノを弾かず歌った。彼女は歌もうまかった。正確な表情豊かなソプラノ。そしてまた加藤さんが伴奏の曲が始まる。私は彼女のピアノを待っていた。ピアノが人の心の中に割って入ってくるほどの力があることを初めて知った。曲が終われば合唱というよりピアノに拍手を送った。

他にも、同じクラスに私よりとっくの先に教本を終え、愛して止まないというドビュッシーをとても楽しそうに弾く友人ができた。井の中の蛙は大海のドビュッシーという荒波と海水の浸透圧で縮んでいきそうだ。そのうち人の前で弾きたくなくなってきた。
3年生になると加藤さんは音楽科のある県外の高校に進むと聞いた。私は週一のピアノのレッスンは続けたが、なんとなく以前ほどの楽しさはなく執着を失った習慣のようになり、部活動のバスケットボールのほうに力を注ぐようになり、レッスンの前日に慌てて練習をするような不真面目な日々を続け、大学受験と部活動の忙しさを口実に高校2年の夏前で辞めた。長い間お世話になった先生に頭を下げた。

二十数年後。
同級生からの情報で加藤さんがラテンやアフロの混ざり合う多国籍なバンドで世界中を回っていることを知った。写真にはギターやベースやパーカッションのメンバーに混ざってピアノやキーボードを弾く加藤さんの日焼けした姿が写っていた。ソロでもバンドでも演奏会をしているようで、動画もたくさん上がっている。
あはは。ああ、そうか。すごいな。いや、そうか。
これがそういう物語だったことに気付き、二十数年を経て俯瞰できて納得がいった。そもそも世界レベルだったのだ。平凡な中学生でさえ反応せざるを得ない才能を目の当たりにしていたのだ。歴然として、突出なんてものではなく、その時点での天才のエピソードとして当然の、あれは自分の能力とは何の関係もない。人をただの幸福な享受者にする。ファンにする。人に夢を諦めさせるほどの天才の話だ。

それを理解した今思えば、本当に今思い返してみれば、私は自分なりにピアノを好きでいても良かった。遅すぎるのだが。続けていても良かった。ピアノの演奏者や先生になろうという夢があったわけではないが、人前でもう弾きたくないと思った瞬間から何かの可能性へ通じていたストローの穴ほどのものが明確に閉じた感覚があった。そんなことを感じたりしなくたって良かったのかもしれない。
きっとスポーツなんかもそうなのだろう。かつての神童が自分より遥かに能力の高い人物に出会い、夢中だったものから身を引くストーリーは天才の数よりはるかに多いはずなのだ。去るものは静かに去ってきただけで。だけど、少年、お前が出会ったその天才、世界レベルかもしれないぜ。いやおそらくそいつ世界レベルなんだよ。君に理解できるくらいなんだから世界のどこから見てもとんでもない奴なんだよ。それはそれとして君は引き続きそれに夢中でいていい。好きでいていい。それを楽しんでいていい。絶対に。

6月、7月の湿度の高い薄暗い日には、部屋の両側の窓を開け扇風機を弱くつけて、ピアノの蓋を開けて赤いフェルトの長い布を外す感覚が蘇る。アップライトピアノの上に重なる楽譜の中から好きな楽譜を選ぶ。ブルグミュラー、映画音楽、母の好きなジョン・レノンやモーツァルト、姉の合唱曲集。
どれを弾こうか。
私が持っていた私とピアノの間に流れていたあの時間は、やはり良いものだ。
これ新作映画にならないだろうか。


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