片思いのはなし(もんぜん)

中学一年生から高校三年生まで6年間、片思いをしていた。

相手は、中学一年生のころ、席が隣だった女の子。
授業中、ノートの片隅に書いた落書きを見せたり、変な顔をしたり、いつもふざけあっていた。よく笑う子だった。

ある日、数学の授業が自習になった。
自習時間特有のざわめきが教室を包んでいた。誰も勉強なんかしていない。
僕は消しゴムに彼女の似顔絵を書いていた。少しだけ変な顔にして、笑わせようと思った。
でも半分ぐらい書いたところで、彼女が僕に顔を近づけてきて、声をひそめて言った。

「お願いがあるんだけど」

お願い? なんだろう?
みんなが騒いでいるなかで、ひそひそ話をするのが、いけないことをしているようでドキドキする。

「好きな人がいるの」

ええ? 恋バナ?
そんなの、心の準備ができていない。でも、これってもしかして……

「だ、誰が好きなの?」
「それは……」
「誰?」
「……やっぱりいい」
「そこまで言っといて、それはないよ」
「でも恥ずかしい」
「じゃあ、その好きな人の班だけ教えて」
「ヤダ」
「班ならわかんないって」
「わかるよ」

なんて言いながら、結局、班までは教えてくれることになった。
ちなみに僕は6班だ。

「1班?」
彼女は首を横に振る。
「2班?」
違うらしい。
「3班?」
違う。だんだんと6班が近づいてくる。
「4班?」
違った。うそだろ。

あと1/2。どうする? 彼女の好きな人が僕だったらどうする? 死んじゃうよ。どうしよう。変になっちゃう。あわわわわ。

まばたきができなくなった。全身に力が入り、彼女の顔をじっと見た。恋って人間を硬くするんだと思った。

でも、うかれていられたのは、ここまでだった。

「5班」
「うん」

彼女の好きな人は5班の田中くんだったのだ。田中くんはただのイケメンだ。

そりゃそうだ。ぼうず頭でメガネで背が低いのにネピアのティッシュ箱よりも顔が長い。あだ名がオクレ兄さん(見た目がそっくり)。モテる要素がひとつもない僕のことを好きになるわけがない。

「そうなんだ」
「うん」

顔を真っ赤にしてうつむく彼女は世界で一番カワイイ人だった。

彼女から「5班の田中くんの好きな人を聞いてほしい」とお願いされた。
僕は「おまかせあれ〜」とおどけてみせた。

そして翌日、僕は田中くんに好きな人がいるか聞いてみた。その結果、CCガールズという答えを得たが、それを彼女には伝えられず、二学期は終了した。

田中くんと彼女は三学期に一度デートしたらしい。

僕は彼女と距離を置くようになった。田中くんとの話を聞かされるのがつらかったからだ。
でもきっとそれが良くなかった。気持ちの整理をうまくつけられなかった恋に思春期の不安定さが混じり、拗れに拗れた。距離を置いてからのほうが彼女への想いは強くなってしまった。

中学二年生の頃には、彼女の家の周りを毎朝走って、努力する僕を見せようとした。
中学三年生の頃には、彼女の家の近くで子猫を拾う練習をした。

中学を卒業したあと、彼女とは別の高校に行くことになった。
まだ好きだった。

彼女のお兄さんが所属しているラグビー部に僕は入部した。
そのころには背が伸びて、メガネも外してコンタクトにし、髪型をツーブロックにした。突然、知らない女の子から告白されることもあった。

でも、まだ彼女が好きだった。

ラグビー部の先輩にプロテインだと言って石灰を食べさせられたときも、麦茶だと言ってイソジンを飲まされたときも、家に帰ると、僕は彼女のことを考えた。

ラグビー部の夏合宿で夜中に先輩の前で余興しなきゃいけなくて、追いつめられた挙句にちんちんでヨーヨーしたときも、そのあと僕は彼女のことを考えた。

たまに彼女を見かけることもあったし、見るたびに髪の色が変わっていくことが気になったけど、声はかけられなかった。

彼氏ができたらしいという噂も聞いた。
でもまだ好きだった。

高校三年生の花園予選、ぼくたちは準決勝で負けて、ラグビー部を引退した。
そして受験勉強も終わり、高校の行事はほとんど終わった。18歳になった人から免許を取り始めるアディショナルタイムのような時期に突入した。

そんなある日、本屋に寄った帰りに近くのバス停へ行くと、彼女がベンチに座っていた。周りを見渡すと誰もいない。まだまだ寒いけど、春を予感させるようなうららかな日で、太陽がきらきらと彼女を照らしていた。

彼女は僕に気がつき、笑顔になった。
「ひさしぶり。元気?」
中学一年生のときと何も変わっていない笑顔だった。
でも無口で人見知りになっていた僕は、
「おう」
とだけ言って、地面を見つめた。

これでいいのか?
神様がくれたチャンスなんじゃないのか?
6年間の片思いの集大成を見せろよ。

でも、何をしゃべっていいのかわからない。

ちらっと彼女を見ると、相変わらず可愛かった。彼女はもしかしたら僕の好きという気持ちを具現化した存在なのかもしれない。

「東京に行くの?」
彼女がそう聞いてくれた。
「うん」
僕は4月から東京の大学に行く。彼女は地元の短大へ行くらしい。
「雰囲気変わったね」
「変わってないよ」
「そっか」
これで会話は終わった。「変わってないよ」に精一杯の愛情を込めた。

そして同じバスに乗って、別々の座席に座った。バスは動き出し、窓の外をぼおっと見ていると、ふと「ああ、恋が終わったんだ」と思った。涙は出なかった。涙すら恋する気持ちに変換してしまい、もう枯れていた。

これが告白すらできなかった6年間の片思いの一部始終である。外から見ると何も起きていない。でも全力だった。

それから20年以上経つが、彼女とは一度も会っていない。僕はそれから演劇にはまり、ギャンブルにはまり、たくさんの失敗を繰り返しながら、生きている。だいぶ汚れてしまったような気もする。

でも自分の過去をたぐりよせれば、バカみたいに純粋だった片思い童貞野郎に繋がっていると思うと、ほんのちょっとだけ救われたような気持ちになる。

彼女にはずっと幸せでいてほしい。

もしこの先、偶然会うことがあったとしても、決して話しかけず、全力で逃げるつもりだけど。

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