アンケート(xissa)

アンケートに九条改憲に関する項目がある。
改憲に賛成しない、の欄にチェックをつける。このチェックはとても私的なものだ。

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私には祖母がいた。祖母は戦争の間大陸を転々とし、興安丸という船で日本に帰ってきた。祖母は私にひたすら優しかった。引き揚げの影は当時の家には既になかったが、一緒にごはんを食べ、散歩をし、眠る、その間も祖母の身の内にはついたり消えたりする電球のようにそのことはあった。気づかれないくらいひっそりとあり続けた。
たまにもれる異国の言葉や、車夫や子守娘の話から匂いは感じていたが、祖母が戦争中に外国にいて、船で帰ってきた、というのをはっきり知ったのは、幼稚園か、もう少したってからだったと思う。
幼い私は、背中に二つ折りにした座布団をくくりつけて走るのがお気に入りのあそびだった。祖母の腰紐で座布団をくくりつけてもらって家の前の土ぼこりの立つ通りをよく走り回っていた。
通りかかった顔見知りのおばさんが私を見て、「奥さん、奥さん、船が出る、急いで、急いで」と手をたたいて笑いながら言った。きょとんとして立ち止まると、引き揚げごっこしてるのねえ、ムメさん引き揚げ者だからねえ、と私の頭をなでて立ち去った。
意味もわからないまま私は「奥さん、船が出る」を祖母の前で披露した。祖母は笑った。祖母が笑うのがうれしくて、私は座敷を駆けまわった。そういうふうにしておばあちゃんはおふねにのってせんそうからにげてきたのよ、と祖母は言った。おにぎりを洗面器にいれて、おむつのなかにおじいちゃんの腕時計を隠して、みんなで手をつないで帰ってきたの。それを聞いても私は引き揚げごっこをやめなかった。祖母が笑っていたからだ。

祖母はたまに引き揚げの時の話をした。祖母の話はいつも突然で、たまたま思い出したらそこに私がいたので聞かせた、といった風情だった。怒りでもかなしみでもなく、彼女にとってはそれが生きることだった時期の、ふつうの思い出話だった。デパートに行った話をするように祖母は話した。私がそれに興味を持つことはなかった。私は引き揚げをただの船旅くらいに思っていた。

引き揚げる間際に住んでいた家で、シェパード犬を飼っていてね、とある日の祖母は話し始めた。私は小学三年生になっていた。後ろ足で立ち上がるとおばあちゃんくらいある大きな黒い犬よ。トニーって名前の。賢くて、よくなついていたのだけど、犬はおふねに乗せて連れて帰るわけにはいかなくて、おとなりにお世話を頼んだの。置いていく日、たくさん撫でて、たくさんごちそうをあげたの。トニーはすごくうれしそうにしっぽを振ってた。元気でね、って言って家を出たら、いつものお出掛けのときはそんなことしないおりこうなトニーが大きな声で吠え出したの。鳴きやまないの。私たちは行かなくちゃならない。トニーの声はだんだんに遠吠えになって、でもずっと聞こえてくるの。私たち、それを聞きながら、ずーっと、泣きながら歩いたのよ。
突然祖母の話に色がついて見えた。祖母が辿ってきた今までのことを初めて思った。おばあちゃんはいつも笑っているけれど、身体の中には私の知らないかなしいことやこわいことがいっぱいつまってる。やさしい祖母をかなしい目にあわせた戦争を私は憎んだ。そして引き揚げごっこをしていた自分を恥じた。

祖父の本棚に「興安丸の記録」という写真集を見つけた。白黒の写真はどれもにじんだようにピントがあっていなかった。黒い大きな船が写っていて、影のような人間が吸い込まれていた。それに祖母たちが乗ったのだと思うと恐ろしかった。恐ろしくてたまらないくせに小学生の好奇心はそれを見ることを止められなかった。
写真集をめくっていると、祖母が、あら、その本まだあったのね、と言った。おじいちゃんに捨ててって言ってたのに。
私の開いていたページには痩せこけた女の人が仰向けに寝ている写真が載っていた。傍には小さな女の子が顔を覗き込んで手を合わせている姿が映っていた。おふねに着くまでに体力を使い果たしちゃうのよね。祖母は言った。せっかく逃げてもおふねのうえで亡くなる人は多かったのよ。
おばあちゃんも見たの? と私は聞いた。ええ、と祖母は答えた。ずーっと子どもの細い泣き声が聞こえていたけどいつの間にか聞こえなくなって、声をかけたら、抱っこしていたお母さんも座ったまま死んでたの。目もあけたまま。そこらにそんな人がいっぱいいたの。亡くなった人は海に落とすのよ。黄色い布に包んで。ごーんと銅鑼を鳴らして。おとなはね、そのうち沈んでいくのだけれど、小さな子はいつまでも浮いていてね、おふねの後ろをくっついてくるの、日本に連れて帰ってー、って言ってるみたいに。
祖母から生々しく死の匂いを感じた。この人のすぐそばにあった死。他人ごとではない死。祖母は写真集を閉じ、大丈夫よ、と私の手をさすってくれた。日本は戦争しません、って約束したから。だからもうそんなことは起きないの。
絶対、ないの? 恐怖でいっぱいになった私は訊いた。絶対、ないのよ。祖母は笑った。だって世界に約束、したのだもの。

祖母は私が中学を卒業した年に亡くなった。祖母と過ごした最後の冬、お昼ごはんの後にふたりでだらだら見ていたテレビの女優さんを指差して祖母は突然、あんな柄の着物、持ってたわ、と呟いた。もっと色味は薄かったけど、そっくり。ベージュ色の地に茶に近い紫の太いよろけ縞が描かれた着物は昔の人にしては背の高かった祖母に似合いそうだった。持ってないの?と尋ねると、日本に帰ってくる時に置いてきちゃったから、と祖母は答えた。他にも素敵なのをいろいろ持っていたのよ、銘仙のあじさい模様のとか銀鼠の付け下げとか。あったらあなたにあげられたのに。
あんなのもあった、こんなのも持っていた、と祖母はひとしきり着物のことを喋った。さびしそうだった。着物は興安丸に乗り込むまでの準備やその道中で、一枚一枚金銭代わりにしては失くしていったらしかった。正絹は喜ばれるの、と祖母は表情なく言った。テレビの女優さんはとうに消えていて、祖母はお茶入れ替えましょう、と立ち上がった。
葬式のあと遺品を片付けていると彼女の五人の子供たちのへその緒が入った箱が出てきた。小箱には一人一人の名前がていねいに書いてあった。祖母が大陸から持ち帰ったものは多分これだけだった。

***

記入の済んだアンケート用紙を眺める。どちらを選んでも罪悪感めいたものは残る。それでも私は、自分たちが泣いて手にした約束のことを誇らしげに話してくれた祖母を、散々な目に遭った祖母たちの人生を、なかったことにはしたくない。

薄っぺらい紙を揃えて折る。封筒に入れる。封をする。

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