忘却癖(タカタカコッタ)

風呂に入りたくないグダグダを、私は何かのせいにしている。乾いた米粒を指で弾くと、つけっ放しのテレビからクラシック音楽が流れ始めた。

早めの夕食後、まだ陽のあるうちに風呂に入り、湯船に浸かったまま湯を抜いて浴室から出た。窓の外はまだ明るかった。子どもの頃の感覚が湯上りの火照りともに蘇る。あの時は夏で、テレビで大相撲中継が流れていた。ランニングシャツ姿の父があぐらを組んで観ていた。その背中越しに観る相撲は全く面白くなくて、ただ風呂からあがったのに外が明るかったという不安定さだけが印象に残った。

私の部屋のテレビは床にレンガを4枚並べたその上に置いてある。赤色のブラウン管小型テレビ。テレビの上にはガムテープがあって、ガムテープの輪の中にガンプラが入れてあって、それはガンプラが立ったまま入浴している様にも見える。

テレビに映るリポーターは開口一番「はっひふっへほーっ」と陽気に喚き散らし、「遅ればせながら只今参りましたーっ」とあっこさんと呼ばれる人に報告していて、遅ればせながらと言いながら笑っていられるのが理解できなかった。あっこさんと呼ばれる人は怒っていた。

夜が深くなって軽い散歩に出た。家のすぐ前に交通量の多い国道が走っていて、運転する全ての人たちが真剣に目的地へ向かっている。国道脇の歩道に明日の朝出すはずの可燃ゴミが捨てられていて、半透明のゴミ袋から煙草の吸い殻と茶色い汁の付いたカップ麺の容器が見えた。

国道沿いの広い更地に立てられた看板に建設中のマンションは地上45階建で来秋完成予定と書いてあり、周りの住宅景観を全く無視した綺麗なイラストが添えられているがこの町はそんなに美しくはない。出来れば高層階に住みたいと思いながらその前を通り過ぎた。

国道から脇道に入った途端に、ガムを吐き捨てたヤツが点在していて、その中にはアスファルトと同化しているヤツもある。そこまでのヤツになると靴の裏にも着かないと思うのだが敢えて踏むこともせず歩いた。

 

コンビニとシャッターの下りた酒屋の隙間から黒猫が出てきて私と目が合って走り去った。3メートル程離れた民家の塀に飛び乗ったところで止まって、私の方を振り返り両耳をピンと後ろに引いている。垂らしたしっぽの先だけが別の生き物の様に断続的に上下する。黒猫が立ち止まってくれたことが嬉しくなり、私も足を止めて黒猫の黄色いまん丸の眼を見つめる。私と黒猫の間に微妙な緩急をともなった均衡があって、私は綱渡りの様な感覚で少しずつ近寄ろうとしたのだけれど、j-phoneの着信音が呆気なくその均衡を崩し、デリカシーが無いなと発信者に対して思った。深夜のネオンが汚い町を更に汚なくしていた。

散歩から帰り、台所の水道から水を汲んだ。ミネラルウォーターと水道水の味の違いは分からないからこれでいい。水を飲むと鉄の味があった。部屋に戻りあぐらをかくと、右の靴下の親指の付け根の下の骨の出っ張りの部分が破れている。そういえば昨日も破れた靴下を畳んで仕舞った。

靴下の穴に指を入れて、直接皮膚を掻くと角質がややふやけていたので、そのまま匂いを嗅いだ。どこかで嗅いだ匂いだった。ミートボールだった。

それから、ミートボールがミートボールとなるまでの凄惨な現実を遡っていたら、涙が出て、まだ風呂に入っていないなと思った。久しぶりに湯を張って入ろう。出る時は湯船に浸かったまま湯を抜こう。浴室へ行き、給湯ボタンを押すと、数秒の間を置いて給湯口から湯がブワッと出て来て、ドブ川に流れ出す下水口を思い出した。

実家の近くのドブ川には汚い亀が棲んでいて、これは正に棲むという漢字がぴったりだといつも思う。このドブ川で万年も生きなければならない亀に産まれなくて幸せだと思ううちに、ミートボールの事などどうでも良くなって、風呂が沸いた。

NHKは青、黄色、赤、緑、黄緑、灰色等の矩形を配置したカラフルな画面を放映している。民放は懐かしい風俗映像とクラシックCDボックスの音源をBGMにして天気予報をループで流している。

そのループを観ている。

片肘をついて寝転んだ視線の先に干からびた一粒の米があって、ミイラを思い出して指で弾いたら思いのほか跳ねたので、

「お」

と声が出た。

風呂は沸いている。

靴下の穴に指を入れた。

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