マタタビとコインランドリー(坂上田村麻呂の従兄弟)

 そいつは、第一声から偉そうだった。
 中に入った僕と目が合うなり、よっこらしょと立ち上がって、
「じきに晴れるのに、なぜコインランドリーなんかに来たんだ?」
と聞いてきた。
「そうですよね」と僕は適当に相槌を打つ。
 どうやら、そいつは先客らしい。
 初対面の人間に向かって、馴れ馴れしく話しかけてくるやつがいるものかと思う。しかも、こんな雨の日にコインランドリーにやって来た僕がおかしいみたいな言い方で。天気予報もこのまま雨が続くと言っていたし、じきに晴れるって言う方が間違っている。
「すげえ量、溜めたもんだな」
 そいつは僕の洗濯かごを見て、また偉そうに呟いた。
 いや分かってるよ、僕だって。ただ家で少しぐうたらしていたら、洗濯物が勝手に溜まっていたんだ。だから僕はコインランドリーでパーっと洗濯物を片付けに来ただけなのに。それを他のやつに、とやかく言われたくはない。
 ってか、そんなことより。
「あの…」僕はそいつに話しかける。
「なんだ?」
「なんで猫がしゃべるんだよ」

 コインランドリーにいるのは、僕と、偉そうにしゃべる猫だけだった。雨の日にこんなにも人気のないコインランドリーは珍しい。
 僕が洗濯物をドラムにセットしたタイミングで、猫は「遅えよ」と小言を挟んでから、話を進めた。
「あのな。コインランドリーの空間ってのは、猫と人間が会話できるような構造になってるもんなんだわ」
「そんなの初めて聞いたんだけど?」
「そうか?これ、猫界では常識だぞ?」
「そんなこと言われても、僕は人間だから困るね」
「そうか。まあ、こうやってコインランドリーで会話できるのを発見したのは、昔の偉猫らしいんだがな」
 『偉猫』ってのは、たぶん人間でいう偉人のことだろう。偉そうな猫という意味なら、こいつも『偉猫』には違いないけれど。
「それより、お前暇か?」猫が聞いてくる。
「洗濯が終わるまでならね」
「なら1タビ百円で買わないか?」
 猫はそう言って、僕にマタタビ1粒を見せてきた。
「だいたい人間はマタタビに興味ないし、1マタタビも要らないよ」
「1マタタビじゃなくて、1タビ百円な」
「数え方はどうでも良いよ。1タビでも1マタタビでも」
「だからそうじゃねえって。旅だよ旅。1旅百円」
「どういうこと?」
「いいか。このマタタビを1粒噛む度に、いろんなコインランドリーへ旅ができるのさ。1旅百円。どうだ?買ってみないか?」
 猫はそう言うと、僕にあーだこーだと説明を続けた。いろんなコインランドリーというのが少し引っかかったが、僕はとりあえず猫の話に乗ることにした。
「言っとくけど、洗濯物が終わるまでだからね」
「あいよ」
 猫はしっぽをピンと立てた。その合図を見て、僕はマタタビを1粒噛んだ。

****

「どうだったか?」猫が旅の感想を求めてくる。
「そんなに楽しくなかったよ。だってコインランドリーを巡っただけで、そこから外には一歩も出られないんだからね」
「そりゃ、マタタビの副作用だから仕方ないな」
「でもニューヨークのコインランドリーは楽しかったよ。犬がドラムに入って、ハムスターみたいに走ってさ」
「あれは実に滑稽だったな」
「まさか犬より猫の権力の方が強いとはね」僕は思い出し笑いをしてしまう。
「ところで、ここが最後のコインランドリーなんだが」
 猫はそう切り出すと、いつの間にか側にいた女に近寄って、その女の膝の上にちょこんと乗った。
 ここは随分古めかしいタイプのコインランドリーだった。ドラムをよく見ると、アメリカ式のコインランドリー用洗濯機で、コインの投入口には英語が書かれている。
 英語?外国?いや違う。ここは東京だ。そして、猫を膝に乗せた女は、先日亡くなった僕の母だった。

 僕は生まれる前に父を亡くしていたので、母さんはひとりで僕を育ててくれた。曽祖父の代から続いている銭湯と、それに併設されているこのコインランドリーを、ずっとひとりで切り盛りしながら。
 母さんが倒れたという電話を聞いた時、僕は大学に通うため北海道にいた。僕は急いで東京にかけつけたが、僕が病院に着いた頃には、母さんはもう死んでしまっていた。

「ごめんね、母さん先に逝ってしまって。でも最期にあんたに会わせてほしいって願っていたら、こうやってドリーが会わせてくれたの」母さんは膝の上にいる猫を撫でながら言った。
 ドリー?そうだ、思い出した。母さんが小さい頃にこのコインランドリーで飼っていたという猫の名前が、ドリーだった。
 僕が気づいた事に呼応するように、ドリーは僕を一瞥し、母さんの膝の上でニャーと鳴く。
「あんた最近ずっと家に引きこもってたじゃない?母さんが死んでしまったせいで、そうなったんじゃないかって心配してたのよ」母さんは言った。
 母さんの言う通り、僕はここ数日、ずっと自分を責めてていた。母をひとり東京に残し、北海道の大学に行った自分を。東京の大学に通い、母さんの側にいてあげられることもできたんじゃないか、と。
「あんた、どうせ母さんが死ぬ瞬間に立ち会えなかったことを悔やんでるんでしょう?母さんはね、あんたが頑張ってるのを望んでるんだからね。それだけは忘れないでちょうだい。それに、あんたには感謝しきれないほど、たくさんもらっているのよ」母さんは言った。
 僕はドリーに貰ったこの不思議な時間で、母さんに伝えたかったことをたくさん話した。母さんは優しい顔でずっと僕の話を聞いてくれた。
 ずっとここに居たい。そう思ったけれど、マタタビの効果が長く続かないことは、これまでの旅から何となく分かっていた。
「そろそろ、あんたとお別れの時間かしらね」
「そうだね」
「あんた、ちゃんと自分の家で洗濯しなさいよ?家の近くにコインランドリーがあるからって、横着しないの」
「うん、ごめん。分かった」
「それじゃあ元気でね。勉強頑張るんだよ」
「うん、ありがとうね」
 僕は母さんに別れを告げて、最後の1粒のマタタビを噛んだ。

 目が覚めると、僕は元のコインランドリーにいた。周りを見渡しても、ドリーはいなかった。
 洗濯と乾燥は、とっくの前に終わってたらしく、ドラムから取り出した洗濯物は冷え切っていた。旅に付き合ってやるのは「洗濯が終わるまで」って約束したじゃないか。心の中でドリーにぼやく。
 これからはちゃんと前を向いて生きていかなきゃな、と僕は思う。母さんもドリーも、本当に、本当にありがとう。
 僕は、畳んだ洗濯物をかごにに片付けて、コインランドリーの外に出る。気づけば空は、偉猫ドリーの言った通りに晴れていた。

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